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第29回 株式会社スティルフーズ 代表取締役社長 鈴木成和氏
update 08/12/02
株式会社スティルフーズ
鈴木成和氏
株式会社スティルフーズ 代表取締役社長 鈴木成和氏
生年月日 1952年、千葉県生まれ。
プロフィール 慶應義塾大学商学部卒業後、東京ヒルトンホテル入社。メインダイニング「ケヤキグリル」でのサービスを経てキャプテンに。その後、営業推進のエリート部隊であるセールス課で活躍し、1983年にキャピタル東急ホテルに移る。エリツク・クラプトン、ウラジミール・ホロヴィッツ、マイケル・ジャクソンなど著名アーティストの宿泊セールスを実現。1990年、リゾート系不動産会社への転職を経て1995年に株式会社スティルフーズ設立。77店舗のレストラン経営で話題となる。現在、店舗の選択と集中で右肩上がりの成長を再構築する一方、郊外アウトレットなどへの出店も積極推進中。
主な業態 「37 Steakhouse & Bar」「BAROLO」「NAPA」など
企業HP http://www.stillfoods.com/
ホテルマン時代は大物スターの宿泊を獲得するトップセールスマン。不動産会社時代は多額の海外不動産資産の後始末をするアセットマネージャー。鈴木氏はいずれも最新の情報や人脈を武器としなければ成立しない仕事に従事してきた。1995年、独立と同時にはじめてのレストラン経営に乗り出すが、これも新宿アイランドタワーに強い人脈を持ち、そこでの個人的信用が出店を任される結果となっている。「結論は自分で出す」というが、人と集まる場、そこでの会話を大切にし人生に活かしてきたという鈴木氏。成功と波瀾に満ちたこれまでのレストラン経営と今後の行方について聞いた。

ニュアンスを察知。着手したレストラン経営の再構築

 鈴木氏は1年365日、欠かさず誰かと夕食を共にしているという。同業のレストラン経営者、酒類や食材などの卸会社の社員、デザイナーなど。2006年のある日もそうだった。この日の相手は取引銀行の支店長。3月に同規模のレストラン事業を展開する企業が倒産し、この日の会話はどうしてもそこに行き着く。「銀行の人がね、はっきりとは言わないんだけれどニュアンスで分かるわけですよ。融資のスタンスが変るぞ、このままではいかないよ、っていうふうに伝えようとしている感じがね(笑)」。景気低迷期に入り極端に環境が変ってきたこの年、実は鈴木氏は77店舗にまで膨らんだレストランの経営を見直をそうと考えていた。切り売りするのか、まとめ売りするのか、それともどこかの傘下に丸ごと入って雇われ社長として続ける方法もある。悲観的にはならないタイプだが、具体的に手を打たなければならないことだけははっきりしていた。
 経営者にとって、銀行の融資基準が変るというのは眠れないほどの不安材料となる。特に“その日の客の入り”で売上が波のように変る飲食店経営者はなおさらの事。鈴木氏は不動産会社に勤務していた時代にバブル崩壊を経験しており、金利の変化などからその潮目のようなものに今回も同じ匂いを嗅ぎとっていた。結局、銀行の支店長の言葉のニュアンスを察した鈴木氏は、企業が買いたがるであろう人気店のレストランをケーキ部門も含め売却することを決める。「僕は新しいものを作ってきた人間。守ることに執着する必要はないと思いました。旬のものなら売れるし、売ってしまったのならまた新しく自分で作っていけばいい」。現在、スティルフーズは15店舗にまでスリム化し、会社として再構築を果たし第二のステージをガシガシと力強く歩み出している。


レストラン通いで高校通学は4年間。DNAは騙せない

 「アイ ラブ レストラン3」の著書でも知られるように、鈴木氏は慶応高校に通うため東京暮らしをはじめてから相当額のお小遣いを原資にして学生の身分にしてはあまりにも贅沢すぎる生活に浸る。代官山の「アリタリア」、飯倉片町の「キャンティ」…。単に有名人が集うレストラン、いかした雰囲気だからというミーハーな憧れからではなく、イタリア料理の味とそれを楽しませる空間の虜になったのだ。結局、夜の遊びに夢中になった鈴木氏は高校に4年間通うはめになり、その後大学にも進学したため、「今さら料理人になるのは遅いし」という思いから、ホテルマンを目指し東京ヒルトンホテルに入社する。数年後にレストラン経営に乗り出すわけだが、やはりそのDNAは高校時代の強烈なレストラン体験によって埋め込まれたのだろう。
 「ホテルではメインダイニングの“ケヤキグリル”でサービスを担当し、お客様の間近でペッパーステーキやサラダを仕上げるワゴンサービスが得意でした。お客様個々の好みに工夫するもんで固定客がたくさんついてくれました。でも、エリートになるのもいいな、と思いはじめたんです」。鈴木氏のいうエリートとは、自社ホテルのレストランやバーを自在に使い営業活動をする部隊“セールス・デパートメント”。なんと鈴木氏は、“ケヤキグリル”に食事にきた総支配人に自分の売り込みをし、5名の精鋭部隊の中に入り込んでいく。売り込みから5週間後に異動が叶ってからは、レディースプランの元祖を企画するなどして、夏場の稼動率アップに貢献する。
 その後の80年代半ば、ヒルトンと東京急行電鉄の解約満了に伴い東急を選択した鈴木氏は、新生キャピトル東急ホテルでホテルの認知度アップのミッションを負う。「外国人タレントの宿泊だ!と思いました。マスコミに大々的に取り上げてもらえるでしょ?(笑)」。目をつけたのは音楽関連。交渉力、そして人脈力を発揮し、エリック・クラプトン、ウラジミール・ホロヴィッツ、そしてマイケル・ジャクソン御一行様100名の宿泊を勝ち取った。


5軒成功するとなんでもできる気分になる。そこがキケン

 鈴木氏が独立、そしてレストラン経営に乗り出すきっかけは、ホテルから転職したリゾート系不動産会社で生まれる。「新宿アイランドタワーへの出店計画をプレゼンしたときのことです。先方は是非やってくださいという回答だったんですね。でもその先がありました。“不動産会社ではなく鈴木さん個人で”とおっしゃるんです」。ホテルにおけるキャリアを頭打ちと感じ、資産2000億円の優良不動産会社に転職した鈴木氏だが、勤務2年目にはバブル崩壊。海外不動産の後始末や国内不動産から利益を絞り出す仕事に終始していたため、周囲から背中を押されたことも力となって独立を決意する。1995年、株式会社スティルフーズ設立。記念すべき第一号店は新宿アイランドタワーのフランス家庭料理「プロヴァンス」だ。
 と同時に進行していたのがお台場プロジェクトだった。海があり夜景が美しいロケーション。臨海副都心は世界都市博覧会の中止という打撃はあったが、鈴木氏は人を集められる将来性のあるエリアと考えていた。テレビや雑誌などのマスコミに広くアナウンスし「お台場という面白いスポットがある」ことが広まり、レストランはオープン初日から長蛇の列。見事業界の冷たい視線を跳ね返してみせた。
 しかしスタートからすべてが順風満帆にいっていたわけではないという。「“プロヴァンス”で働くスタッフに給料を払えなくて、自分のカードでキャッシングを重ねてなんとか繋げたり、親の生命保険を担保にお金を借りるなんてこともやりました(笑)。もちろん生活は質素なものに180度転換。車は売りマンションも移りました」。社員はそんな鈴木氏を知っていたため辛抱したのだろうか? あきらめず打開策を練りながら最善の手を尽くす。お台場のレストラン、レストランのウエイティングのために用意したバーのヒットによって、すべてが順調に回りはじめ、2006年初頭には、スティルフーズは77の飲食店を経営する企業になっていた。
 「そしてまた変化が訪れます(笑)。06年春に30億円近い融資を受けていた銀行のスタンスが、どこかこれまでと違うぞと感じたわけです」。ここで冒頭の話に戻るわけだが、不況の予感をいち早く察した鈴木氏は、今度はキャッシュフローが滞る前に膨張したレストランをスリム化し、経営の再構築を進めることを決意する。「5軒のレストラン経営に成功すると、何か才能があるみたいに人は感じてしまうようなところがあります。10軒であれ大丈夫かな?と思うんだけれど、気をつけながらやっているんだけれど流行らない店も出てくる」。不況に突入する前にレストランの選択と集中を決意した鈴木氏は、化粧品会社への売却などを中心に経営店舗を15にスリム化した。


「ここで働いてよかった」と思ってもらえる会社にしたい

 スティルフーズは新卒採用もキャリア採用も行っているが、特に新卒採用の面接にユニークな手法を取り入れている。「最終面接に来てもらうときに私服で来てくださいとお願いしてるんです」。この人、どんなところにこだっているんだろう? 鈴木氏は、なんとか社員になるかもしれない人物を知りたいのだという。「例えばきたないジーンズというだけじゃなくてそこには個人のお洒落の感覚、こだわりがあるわけじゃないですか。僕はそういうところが知りたい。だから本音で話しもしたいので、笑ってもらえるような話題から始めてリラックスしてもらうようにもしています」。
 鈴木氏自身、いわゆる真面目一本槍の学生ではなかったし、遊びやお洒落、音楽などに興味が膨らんでいったことが現在の仕事をはじめるきっかけにもなり、レストランという空間創りに大いに役立っていると感じている。感性を大切にする、好きだと思えることやる。自分がそうであるように、やはり共に働く社員にもそうあって欲しいし、お互い刺激し合える間柄でいたいということなのだろう。
 現在、アウトレットに出店しているレストランが好調で、実績もあることから新規出店も視野に入れているという鈴木氏。夢は何か?と聞いてみた。「社員にここで働いていてよかったと思ってもらえるようなピカピカの会社にしたい。利益をきちんと社員に還元してね」。次ぎの出店計画を語るのではなく、人に対する思いを語ってくれた。一人の理想だけで企業は回らない。やはり夢を共有できる仲間がいてこそ、鈴木氏の発想が生き、またスティルフーズが成長していくのだろう。

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ホテル時代にマイケル・ジャクソンと ご家族と共に 一世を風靡したお台場の自社レストランにて
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