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第293回 有限会社クリエイトワークス 代表取締役 猿渡弘太氏
update 12/06/12
有限会社クリエイトワークス
猿渡弘太氏
有限会社クリエイトワークス 代表取締役 猿渡弘太氏
生年月日 1973年8月5日
プロフィール 兵庫県尼崎市に生まれる。甲南大学卒。大手証券会社に入社し、トップクラスの成績を残し、独立。居酒屋「飛猿(とびざる)」を展開したのち、「猿cafe」をリリース。現在、この「猿cafe」含め13店舗を展開している。名古屋で新たな食文化を創造する経営者。<「食」を通して日本を元気にする。>ことをめざしている。
主な業態 「猿cafe」「Saru Labo」「Hungry Monkey」「Tres Tres Bon!」他
企業HP http://www.saru-group.jp/
「猿cafe」は、名古屋市を中心に飲食事業を展開する<猿グループ>の旗艦店舗。創業者の猿渡 弘太は、兵庫県尼崎出身の39歳。もと大手証券マンだ。今回は、このおしゃれなcafeのオーナーであり経営者である、猿渡に話を伺った。

尼崎生まれ、西宮育ち。

猿渡が生まれたのは1973年。出身は大阪市と隣接した住宅街でもあり、工場地帯でもある兵庫県尼崎市である。小学校から生徒数は多く10クラスを数えた。人見知りだが、負けずぎらい。教師に「これも、できないの」と言われると、それが悔しくて、「できるまで練習する」少年だったそうだ。スポーツは野球。中学になると家族は隣の西宮市に引っ越した。西宮は、尼崎とは一転して閑静な住宅地として知られている。夙川、苦楽園といえば関西でも指折りの高級住宅街だ。周辺には当時から、洒落た店が立ち並んでいたことだろう。猿渡の感性の一部は、この街によって育まれたのかもしれない。

家からの逃亡、失敗。

「東京に行きたいというより、早く家を出たいと思っていました。でも、東京の大学を受験したんですが、失敗。結局、合格したのは、兵庫県下の甲南大学のみでした(笑)」。家から、それほどかからない。「大学時代は、バイトとスキー。学費と生活費を捻出するため、ゴルフのキャディからホテルのフロント、居酒屋のホールと、さまざまなアルバイトをしました」。「しかし、スキーとバイトばかりで、就活を忘れていて、4年生の4月半ばからのスタートです。30社ほど受けて、ある大手の証券会社に就職が決まりました」。

証券マン時代。

猿渡が大学卒業したのは1995年。バブル経済の破たんが、大手企業を飲みこんだ時代である。証券マンとしては決して恵まれた時代ではない。簡単にいえば、契約がなかなか取れない時代だったはずだ。この証券マン時代に、猿渡は初めて名古屋で暮らすことになる。負けずぎらいの性格が功を奏したのか、それとも、人好きの性格が結果を生んだのか、厳しい環境のなか成績はつねにトップクラスだった。ある上司に言われた言葉も猿渡の背中を押した。「ひとと違うことをやりなさい。寝る時間を惜しんで働きなさい。失敗しても、死ぬわけではないんだから」。「甲南大学には金持ちの子が多く、私は苦学生ですから、周りの学生とはずいぶん経済格差があったんです(笑)。あの頃からです。独立志向が芽生えたのは。就職しても、独立の思いは消えず、逆にそれが仕事の原動力になった気もします。先輩たちからも薫風を受け、仕事も決してきらいではなかったんですが、27歳で独立しようと、それだけはブレなかったですね」。

飲食店をやろう。

「サラリーマンになって、その先何ができるのか。資格が取れるわけでもないし…。そういう風に思っていました」。特別、いい大学を出たわけでもない。自信があるといえば体力のみ。「その時、飲食の世界なら、競合があっても努力すれば勝てるはずだと、飲食に賭けることにしたんです。たまたま業界で有名な店舗デザイナーの方とも知り合いになり、よし、独立だ、と。ちょうど転勤の話も出て、タイミングも良かったんです」。好成績を残してきた猿渡の財布には、それなりの資金もたまっていた。

資金が底をつく。

「いまだったら、もう少しブレーキをかけたというか」、笑いながら猿渡は1号店の出店を振り返る。50坪の居酒屋。スケルトンで借り、内装にも、設計にも金をかけた。デザインは、証券会社の時代に知り合った著名なデザイナー、(株)神谷デザイン事務所の神谷利徳氏に依頼する。「京都のおしゃれな店をイメージして、個室の居酒屋をオープンしました。最初は、神谷さんにも反対されたんですが、よしやろう!ということになって。いい店は完成したんですが、それで資金が底をついてしまうんです。神谷さんが仕切ってくれたおかげで、なんとかオープンにこぎつけることができました。もう、財布に残っているのは運転資金だけ」。猿渡は、初めて商売の怖さに直面する。だが、もう逃げられない。「飛猿(とびざる)1号店」がオープンする。

居酒屋からカフェに、喫茶店の文化に挑戦。

なんとかオープンにこぎつけた猿渡は、抜群の経営感覚を発揮し、順調に出店を重ねていく。運転資金だけになり、失敗も許されなかった1号店のオープン時からは考えられない状況になる。「創業当時の居酒屋は人に譲り、いま私はカフェを中心に経営を行っています」。この店が「猿cafe」だ。コンセプトは、<大人のファミレス>。「お酒が飲めない人でもゆっくり過ごしていただけるようなメニュー作りを行っている」という。名古屋はご存知のように、「喫茶店文化」が根強く広がっている。この文化にも、果敢に挑戦することになった。

女子のチカラ。

「猿cafe」の主なターゲットはいうまでもなく感度の高い女性たちだ。スタッフたちにも女性が少なくない。居酒屋を経営していた時代、スタッフの採用に苦しんだ。その時、スタッフたちの意見を聞き、「猿cafe」を始めたという背景もある。「カフェは比較的、スタッフを採用しやすいんです。それは、カフェが若い人にとって魅力的な業態であることを物語っています」。カフェをやりたいというスタッフの意見を吸い上げていくことで、「猿cafe」は、つよいチカラを手にいれていくことになる。「女の子の意見を取り入れることで、彼女たちのモチベーションもアップします。運営も全面的に任せ、お客様の意見も積極的に取り入れるようにしました」。勝因は女子力。もちろん、任せきりではない。経営者の感性は、より高みになければならない。FCにも乗り出した。

カフェの可能性を探り、あしたの「ごちそうさま」を創造する。

さまざまな実験も行っている。他業種とのコラボ企画もその一つだ。「名古屋のルーセントタワーでは、武将カフェと称しイケメンスタッフが武装してもてなします。劇団四季の近くの店舗では、劇団四季にちなんだウィキッドのデザインのコーヒーなどを出すなどして、ビジネス街ですが、土曜の夕方にも集客できるようになりました」。「豊田は、農業が意外にも盛んなんです。それで豊田の店舗の前でマルシェをやったり、食育を目的にカゴメさんと一緒にオムライスを作ったり、中部電力さんとともに省エネレシピなども考案しています」。こうした取り組み一つひとつがカフェ、もっといえば飲食業のあしたをつくるといってもいいのではないだろうか。

努力すれば、結果がでる。

2012年、インタビューをさせていただいた時、猿渡の年齢はまだ39歳だ。経営者として、いよいよ今からという年齢かもしれない。もと証券マンの挑戦は、飲食にどのようなインパクトを与えてくれるのだろうか。「小学校の時、足が遅いと言われて、父親といっしょに夜8時ぐらいから走り始めたんです。親父はすぐにリタイヤしましたが、私はそれからも速くなるまで独りで走り続けました。小さな成功体験ですが、私には大きな意味がありました。やれば、できる! 独立の一歩はたしかにいま振り返れば、無謀でしたが、それもまた、やればできることを証明するいいチャンスになりました」。現在、「猿cafe」は9店。他業態と合わせると13店舗になる。FC展開はもちろんのこと新業態の開発、他業態とのコラボなど、猿渡はまだまだ素敵な店をプロデュースしていくはずだ。やれば、できる!そんな彼の教訓を引き継ぎ、実践を通し証明してくれる人も、現在、積極的に募集中である。

思い出のアルバム
 
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