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第298回 株式会社コメダ 代表執行役(CEO兼COO)社長 安田隆之氏
update 12/07/10
株式会社コメダ
安田隆之氏
株式会社コメダ 代表執行役(CEO兼COO)社長 安田隆之氏
生年月日 1960年5月16日
プロフィール 京都生まれ、神戸育ち。兵庫県立長田高校を卒業し、「中央大学法学部」に進学。卒業後は、大学院に進み、修士となる。大手石油会社モービルに就職し、44歳まで勤務。その後、日本マクドナルドに入社。総務、人事、広報などを統轄し、最終的には上級経営会議にも参加する立場となる。2011年6月、日本マクドナルドを退職し、同年9月顧問としてコメダに迎え入れられ、10月より現職の社長に就任。関西・関東への更なる出店のかじ取りを任されている。
主な業態 「珈琲所コメダ珈琲店」「甘味喫茶おかげ庵」など
企業HP http://www.komeda.co.jp/

少年時代。

1960年、京都に生まれ、神戸にて育つ。2人兄妹で、妹とは6歳違い。父は、外航船の船員で、「一度、仕事にでると3ヵ月ぐらい帰ってこなかった」らしい。1年のうち半分は家にいなかったそうだ。
少年時代の安田は、「どちらかといえば平凡な少年だった」そうである。当時の少年たちは誰もが野球好き。安田も広場で野球ばかりしていた。
平凡というが、中学受験を試みている。当時はまだ中学受験をする生徒は少なかったはず。ただ、挑戦したが失敗。「友だち3人でいっしょに受けて、みんなで仲良くすべりました(笑)」。中学は地元の公立にこれまた3人で仲良く通うことになる。
中学でもクラブ活動に打ち込んだりはしなかった。帰宅部。だからと言って、時間があるわけではないが、勉強もそれなりにしたらしい。「私がいた兵庫県は、内申書が合否の7割を占めるんです。だから一発勝負というわけにはいきません。私が狙っていたのは、兵庫県下でトップ校の一つ長田高校だったので、学年で11番以内に入らなければなりませんでした。10クラスあったんで、クラスでいちばんが条件だったんです」。
なんでも、合格数450人に対し、志望者452人。巧く調整されたギリギリの数字である。2名の不合格者は、いったいどうなるのだろうと余計なことまで考えてしまった。

進め、東京へ。

高校では生徒会長になった。「お調子者がなるんですね、会長っていうのは。でも、生徒に自治というか、自由にさせてくれる高校でしたので朝の朝礼も生徒会で考えるなど思っていた以上に、楽しく、やりがいがありました。のちにある人に言われるんですが、その時に、リーダーシップを取る楽しさを知ったのではないかということでした。いまでも、当時の仲間とは会います。それだけ絆もできたということでしょう」。
高校時代は、いままで以上に楽しかった。だが、卒業すれば、次が始まる。大学受験。その準備は早くから始まっていた。「2年生になれば、文系、理系、国公立と私立という風に分かれるんです。私はとにかく東京の大学に進学し、独り暮らしをしたかった。それで進んだのが中央大学の法学部です」。
中央大学の法学部といえば、「弁護士」の合格者が群を抜いている。最初は、安田も弁護士と思っていたが、徐々に学問に惹かれていくようになる。
「学問というのを、もっと突き詰めたくなって大学院に進むんです。結局、博士課程は取らず修士で卒業するんですが…」。研究室には3年間いた。
「当時は4人しか採らなかったので倍率も高く、価値はいま以上にあったような気がします。でも、代わりに選び抜かれた優秀な人間ばかりでしょ。私の場合、それで一歩引いてしまって。適性という点から考えても、違うなと思って博士課程を断念したんです」。
安田でも、敵わないような優秀な生徒たちばかりだったということなのだろうか。安田はもう25歳になっている。

モービル、そして日本マクドナルドへ。

足かけ20年。25歳から44歳まで、安田は大手石油会社「モービル」で奮闘をつづけた。1999年、エクソンとモービルが合併し、現在のエクソンモービルになるのだが、安田にとって両者の風土の違いは大きなストレスになったようである。安田はその後、日本マクドナルドの原田泳幸社長と出会い同社に転職するのだが、その遠因となったのは、この合併時のストレスだったに違いない。ともあれ2005年4月、安田はモービルでの20年の戦いを終え、新たな戦いに参戦することになる。決算をみてみると、2005年の日本マクドナルドの業績はけっして良くないことが伺える。そんななかで、飲食業未経験の安田が、管理部門の責任者として迎えられる。
「マクドナルドでは、総務も、人事も、広報も経験し、最終的には上級経営会議にも参加させていただきました。足かけ7年勤め、2011年6月に退社するんですが、経営というキャリアを与えてくれたのは、間違いなくマクドナルドだったと思います」。

コメダは、喫茶文化だ。

日本マクドナルドを退社した年の2011年9月、安田は、顧問としてコメダに迎え入れられ、10月から社長に就任する。この起用は、朝日新聞にも取り上げられている。「次期社長に元日本マクドナルドホールディングス(HD)取締役の安田隆之氏(51)を起用する」とあった。
いよいよ、安田のコメダ時代がスタートする。むろん初めてだが、社長職にも戸惑いがない。関西・関東へFC出店を加速させるというミッションを担っている。だが、話を聞いていると、昨年10月に就任したばかりの社長とは思えない。もう長年、コメダ珈琲と歩んできたかのような年輪まで感じる。気負うことはないのだろうか。
「マクドナルドなどの飲食とは違って、コメダはいい意味でも、悪い意味でも喫茶店なんです。それ以外にはなれないし、なろうとは思いません」。
このようなコメダ珈琲のシンプルなシステムや考えが、気負いを持たせないのだろうか。
すでに全国区になっているので改めて説明するまでもないが、コメダ珈琲は、名古屋発祥の「喫茶店チェーン」である。直営店は5店舗だが、FCはすでに450店に広がっている。
ところで、ここで注意したいのはコメダ珈琲は「喫茶店チェーン」であり、「コーヒーチェーン」ではないということだ。コメダ珈琲は、一杯のコーヒーと共に、くつろぎの時間を提供している。むしろ、その点に注力している。それが「喫茶店チェーン」と言われる由縁である。名古屋発祥の喫茶文化。その代表的な担い手が、コメダ珈琲といえるのではないだろうか。

計算尽くされた、「くつろぎ」。

創業44年、時間の経過だけではなく、その間に行われてきたであろう試行錯誤、またトライアンドエラーが、強い仕組みを生み出している。だから「スタイルは真似ることができても、コメダ珈琲と同様に成功することはできない」と安田は断言する。
話を伺い驚いたのは、吹き抜けの天井、椅子の背もたれの角度、テーブルの脚、間仕切りの高さ、その一つひとつにコメダ珈琲の思想が込められていることだ。
言われた通り、顔を上げるとお隣との間は、間仕切りでいい具合に区切られていた。代わりにと、指差された方向に目を転じると、そこにはスタッフいて目が合うようになっている。
この計算し尽くされた設計がコメダ珈琲の人気の秘密だと確信した。
もっとも改めて言われるまでは、それと気づかず、明確な答えを持たないまま「いごこち」の良さに心惹かれてしまうのだろう。
この知らず、知らず、心が惹かれてしまうところがまたいい。

ゆっくり新聞でも読んで。

モービル石油という、世界のメジャーからスタートし、飲食というビジネスを日本マクドナルドで経験。そして、次なるキャリアの扉が開けられると、そこにはローカルな、名古屋という街で発祥した「喫茶文化」の担い手であるコメダ珈琲をひっぱる仕事が待っていた。規模で語れば、比較することすら可笑しいが、名古屋発祥の文化を日本の津々浦々に、また世界に広めるという意味では、いままで以上の価値をこの仕事に見出しているのではないだろうか。
「私たちのビジネスモデルは、10年、20年という単位に立って初めて成立します。3年で投資額を回収できるような、ハイリスク、ハイリターンをめざすビジネスではない。FCを希望されるオーナーには、その点を必ず理解していただきます。」
FCオーナーのなかには、27店舗を経営している人もいるそうだ。
路面店だけではなく、ビルインや、最近では、ショッピングセンターやショッピングモールからの引き合いが急増しているという。買い物だけではなく、いまやレジャー空間ともいえる両者だが、そんな活動的なスペースのなかにあっても、「ゆっくり新聞を読むような時間」が求められるようになった証拠と言えるのではないだろうか。
ただし、前述したように、提供する側が考える時間尺も長い。10年、20年が、一単位である。そんな尺度で、経営を考える。これは、ひょっとすれば、どんなスピード経営より難しいのではないかと思った。その難しいかじ取りを今後、どうしていくのか。いち企業の育成ではなく、文化の継承と発展。そのすべてが安田にかかっている。

思い出のアルバム
 
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