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第326回 株式会社寶田堂 代表取締役社長 関 喬史氏
update 12/10/30
株式会社寶田堂
関 喬史氏
株式会社寶田堂 代表取締役社長 関 喬史氏
生年月日 1979年6月20日
プロフィール 香川県三豊郡財田町(現、三豊市)に生まれる。小学生の頃からスポーツ少年。小学生の時にはソフトボールを追いかけ、中高は野球部で白球を追いかけつづけた。大学は中央大。初めて、香川を離れ、独り暮らしを開始。仕送りとアルバイトで生計を立てる。卒業後、株式会社レインズインターナショナルに2期生として入社。「土間土間」を5年半経験し、部長に昇進するが、2007年に退職。株式会社寶田堂を設立し、1号店の「居酒家 さいたどう 高田馬場」をオープン。現在、「居酒家 さいたどう 高田馬場」をはじめ、「居酒屋 ちょいちょい 亀戸店」「炭火居酒屋 ちょいちょい 池袋東口店」「鶏・酒・人情 さいた堂 五反田店」を経営している。注目株の若手経営者だ。
主な業態 「さいたどう」「ちょいちょい」
企業HP http://saitado.com/

香川県三豊市。

香川県三豊郡財田町は、2006年1月1日に近隣の町と合併し、現在の三豊市になったそうだ。三豊市は香川県でも西部に位置し、瀬戸内海に突き出た小さな角を思わせるような形をしている。財田町の人口は4500人程度。小学生は1学年、1クラス16人。のどかな瀬戸内海を望む、この小さな町で少年関は生まれ育った。財田町の名産は、筍と米。寒暖の差が少なくないから、旨い米が採れるそうだ。関家は、養鶏場を営んでいた。米も作っていたので、少年関の仕事も少なくなかった。関が5歳の時、父が他界する。母はJAに勤務し、祖父母といっしょに暮らすようになった。養鶏場は、たたんでいる。

関とソフトボールと野球。

小学生の時にソフトボールをにぎったのが、野球の始まり。1学年、16人。男性9人、ようやくチームができるギリギリの数だったが、それで戦った。中学に上がると、野球に転向。しかし、人数はまたもギリギリ。「同級生7人、後輩3人の弱小チームだった」と関。関は、この野球チームをひっぱりながらも勉強の成績も良く、つねに全体で5位以内に入っていたそうだ。進学校に進学する。通学は自転車で1.時間。それでも進学すると同時に野球部の扉を叩いた。

サイドスロー

雨の日も自転車にまたがった。7時には出発し、8時着。朝練をして、授業が終わるとまた練習。ヘトヘトになりながらも、自転車を漕いで帰路についた。もともと内野手だったが、ケガをしてピッチャーに転向する。ケガがもとで守備が巧くできなくなったからだ。「練習ができない時は、走りつづけていました。監督がピッチャーに転向させてくれたんです」。オーバースローではなく、サイドから投げる変則。スピードはなかったがコントロールは良かった。しかし、鉄板のエースがいた。

挫折と胎動。

3年間1度も大会に出たことがなかった。最後の最後にチャンスが回ってきた。最後の夏大会。監督は奇策にでる。「うちのエースは県下でも有名だったんです。あれは、第一試合の時です。前日に監督に呼ばれ、『相手校がうちのエースを研究しているから、温存して抑えに回す』といわれました。先発は、2年の本格派右腕。中継ぎに私が使命されました」。関はこのチームでキャプテンを務めている。キャプテンなのに試合に出ない。いくつもの葛藤を繰り返し、最後の夏を迎えている。「試合が始まりました。先発が好投し1対3で勝っていたんですが、3回になって1アウト2塁の場面を迎えました」。監督が関のほうに近寄る。心臓が早くなった。「もともと4回から、と言われていたんです。それで監督が『関、いくぞ』、と言った時、『4回からじゃないんですか』と言ってしまったんです」。関は、けっして臆病ではない。だが、この時、「ハイ」という言葉が出てこなかった。監督は「おまえはもういい」と冷酷な言葉を投げ捨てた。「結局、エースが継投するんですが、試合にも負けてしまって。その夜は、どこをどう走ったかわかりません。ただ、捜索願がでるほど、消沈して家にも帰ることができなかったんです」。2文字の言葉が言えなかったばかりに、関の心は暗転する。たのしかったはずの野球まで、冷酷なスポーツのように思えたのではないか。この出来事は、関が乗り越えるべきカベの存在を示したことになる。少年は、心のキズとどう折り合いをつけ、乗り越えていくのだろうか。挫折と同時に、新たな関が胎動する。

中央大学進学。

「推薦で大学に進みました。母は、せめて関西で、というのですが4年だけと言って東京の中央大学に進みました」。はじめて、田舎をでた。東京は関にとってどんな街だったのだろか。野球部には入らず、同好会で野球をした。いままでとは違った野球。アルバイトにも精を出した。日給1万1000円。効率のいいバイトにも、愉快でたのしい仲間たちとも出会った。それでも、あの時の心のキズは直らなかった。「そんな時、ある一言に出会うんです。326さんが書いた一言でした」。関はスラスラと、その一文を謳い上げた。「人生は掛け算である。君がゼロなら意味がない」。この一文と出会った時、心をおおっていた黒い霧が、晴れ渡った。あの時、どうあるべきだったのか。その答えがわかった気がしたからだ。「ゼロだったんだ、オレは」。「それから私は、チャンスは絶対に逃がさないと決めたんです。ただ、そのためには、私がゼロじゃだめだと」。ちなみに、関が326さんというのは、イラストレーターであり、詩人でもある中村満氏のことである。

Uターンか、起業か。

大学進学時、4年で戻ると約束した。実際、公務員にでもなるかと、公務員試験の勉強もした。しかし、友人の付添いで香川県の会社が参加する説明会に向かったことで新たな道が広がった。「たまたまなんです。東京で開かれた説明会ですから、香川でも有名企業が参加されていました。そのなかに私も気になる会社があって、そのブースに座ったんです。ところが、一つ間違って隣のブースに座ってしまったんです(笑)」。聞きなれない社名のブースには、わざわざ社長が出向き座っていた。ベンチャー企業らしい。ただ、社長の話ぶりに次第にこちらも膝を乗り出していた。「その社長に惹かれまして。そうだ、オレもこんな風に生きたいと思っていたんだと改めて気づいたんです」。起業、その二文字が、強烈に関の心を捉えた。その後、その説明会で出会った企業からも内定をもらっていたが、関が進んだのは、当時、猛烈なスピードで出店を重ねていたレインズインターナショナルだった。母に、言った。東京で就職すると。すると母は、「あなたの好きにしなさい」と未練の欠片も見せず、息子の選択を承知した。それがどれほど重い一言だったか。いまになればより分かる。

レインズインターナショナル入社、5年で部長にかけ上がる。

レインズインターナショナルとはもちろん、「牛角」などの人気ブランドを展開する企業だ。関は2期生というから、レインズインターナショナルが破竹のいきおいで出店していた頃である。大企業に就職した友人たちは首を捻った。「何で、飲食の会社なんだ?」。答えは関の胸のうちにしかない。「いつか起業しようと。そのために誰よりも早く、組織のなかでも駆け上がっていきたかったんです」。わざと「牛角」ではなく、「土間土間」という新ブランドを選択する。「牛角」さえ、関の目には成熟したブランドと映ったからだ。同期16名のなかで「土間土間」を選んだのは関一人。ほかのメンバーには違ったように映っていたのだろう。ともあれ、この覚悟を伴った選択により、関は猛烈なスピードで駆け上がっていくことになる。結局、レインズインターナショナルには5年半在籍するが、20代で部長にも昇進している。「部長といってもまだ若かったんで、SVたちは私よりみんな年上でした。でも、野球部時代のことを思い出しながら、最高のチームをつくりあげていきました」。最高のチームは、「土間土間」をひっぱった。肩書きだけではなく、レインズインターナショナルにとって、なくてはならない存在になる。しかし、2007年の5月。四六時中仕事に明け暮れていた関のからだがついに悲鳴を上げた。

会社設立。たどり着いた、新たな道。

「ストレスも重なったんです。全身にじんましんができて。その時、そろそろ新たな環境に身を置かないと、と思いだしたんです」。もともと起業志望。ついにその時がやってきたともいえる。5月に退職を決意し、準備を整え、12月に1号店となる「居酒家 さいたどう 高田馬場」をオープンする。反対も多かったそうだ。何しろ学生の街にサラリーマン相手の店を出店しようというのだから、無理もない。それでも、関には自信があった。というより、思い切りといえるかもしれない。「もう、オレはゼロじゃない。人生は掛け算。オレ流で打って出る」。周りの予想に反して、この店がブレイクする。こうして振り返ってみると、関の人生は、少年と大人、田舎と都会、これらの言葉に、はっきりと境というものを感じる。そのまんなかにあるのが、「人生は掛け算」という言葉だろう。現在、順調に出店を重ね、店舗数は4店舗になる。今後は、香川県はもちろん、四国の経済の発展のために地域とのコラボレーションを実現していきたいと言う。すでに、計画も進んでいる。都会からみれば、まだまだ四国は片田舎だ。だが、引き出すことができればパワーはある。そのきっかけを、関はつくろうとしているのではないか。「人生は掛け算」、だとすれば、関×四国は、どんな「あした」を私たちにみせてくれるのだろうか。楽しみでならない。

思い出のアルバム
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