株式会社ティー ジー アイ・フライデーズ・ジャパン 代表取締役社長 岡本勇一氏 ※2011年9月末現在 代表取締役 桑原 豊氏 |
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生年月日 | 1962年、富山県生まれ。 |
プロフィール | 国立富山工業高専電子工学科を中退後、(株)喜多川産業、(株)ロンスターに入社し飲食ビジネスを経験。1993年に(株)ワタミ入社。居酒屋つぼ八の和民への業態転換を営業管理課長として推進後、取締役営業部長に。 1998年(株)ティー ジー アイ・フライデーズ・ジャパンの設立にあたり取締役営業部長に就任。2005年、同社代表取締役社長に就任し現在に至る。 |
主な業態 | 「T.G.I.フライデーズ」 |
企業HP | http://www.tgifridays.co.jp/ |
富山県で運送業を営む家庭に生まれた岡本氏は、忙しく働く両親にできるだけ負担をかけず生きようとする、ひたむきな青年だった。「中学を卒業したら自分で働きながら学校に行こうと決めていました」。授業料が安く、好きな理工系の勉強ができる国立の学校に入ろうと、岡本氏は富山工業高専電子工学科を選択。中学卒業と同時に家を出て、一人暮らし、そしてアルバイトと通学を両立させる。
「小さい頃から、瞬発力やリーダーシップがあるというタイプではなく、粘り強い性格だった」というように、お好み焼きチェーンを展開する会社に職を得た岡本氏は、真面目に仕事を続け60代の社長に可愛がれる。「いずれは日本を支える人間になりなさい。だからそのために勉強しなさい」。顔を会わせるたびそう語りかけてくれる社長は、自らが学んだチェーンストア理論などを時間をみつけては岡本氏に聞かせたという。
社長の口癖は「飲食バカになるな」だったが、岡本氏はお好み焼き店の現場で貴重な経験をする。焼きを担当するスタッフは6名いるのだが、時折足を運んでくれるおばあちゃんが岡本氏の前にしか座らないのだ。つまり「あなたが作ったお好み焼きを私は食べに来ているのよ」ということ。岡本氏は自分の仕事で喜んでくれる人がいる感動を覚えたと同時に、これこそが仕事の原点なのではと考えるようになる。「20歳になったら本当に自分がやりたいこと一本に専念しょう」。学校を中退し金沢に出た岡本氏は、友人と共にパブレストランを始める。
友人が父親のサポートで始めるというパブレストランの共同経営者になった岡本氏だったが、お店は赤字の連続。人に感謝されるどころかアルバイトの給料支払いにも四苦八苦する中、ついには友人が夜逃げしてしまう。借金のみを抱えた岡本氏を助けてくれたのは父親だった。とにかく明日からの生活をなんとかしなければならないと切羽詰まった状態だった岡本氏は“新しい居酒屋という形態”で話題となっていた「つぼ八」を経営するローンスターの面接に臨む。バス代がないためテクテクと徒歩で1時間半をかけての会社訪問。「明日から働きたい」という岡本氏の必死な思いは社長に伝わった。
それから1年。22歳で店長になった岡本氏は、金沢でNo.1の売上げを上げる「つぼ八」の店長として頭角を現す。6時の開店から閉店までほぼ満席状態をキープする技は他の店長たちの勉強のネタとなり、最優秀店長とし社長表彰も経験する。
しかし「つぼ八」が全国500店舗になるころ、バブル崩壊や競合他社の進出などを背景に経営は苦しくなっていく。岡本氏が(株)ワタミの渡邊社長を紹介されたのは、ちょうどそんな時だった。「つぼ八を買い取って和民として再生していく。そのメンバーとして一緒にやらないか? 東京に出ておいでよ」。26歳になっていた岡本氏は興味をそそられたが、ローンスターへの恩返しをしてからと、30歳まで留まった。そして30歳になった誕生日の翌日、岡本氏は渡邊社長に電話を入れ上京する。
新鮮で安全で美味しい料理しか出さない、手づくりにこだわる居酒屋「和民」の戦略はこれまでの常識を打ち破るものだった。月に2店舗づつ「つぼ八」から「和民」へ転換させるが、効率よりも質を大切にしたため赤字が増えるだけ。岡本氏はそんな時期にワタミに入社し、10店の転換を実施した。それを支えたのは渡邊社長の信念。「この形態の居酒屋は世の中が求めるものなんだからやらなければダメなんだ」。いつしかその信念が岡本氏自身のもとのとなり、和民のオペレーション構築や組織化を推進。入社半年で営業部長となり陣頭指揮をとっていく。
居酒屋「和民」がブレイクしたのは50店舗近くになった時だった。目黒、五反田など山手線沿線に出店し、電車の中からも看板が見える店が増えた段階でサラリーマンたちに人気の店となり、ブームを巻き起こしていく。実はそれまでも転換組でない新規店舗は黒字だったが、地域に点在する売上の少ない店を買収し再生していたため、右肩上がりの成長が難しかったのだ。しかし一度ブランドが認知されれば強い。岡本氏は顧客本意を徹底的に追求する渡邊社長の考え、思いを言語化し、それを会社の仕組みへと形あるものへとしていった。ドアを開けてお客様をお迎えする、温かいおしぼりを笑顔でお渡しする…。“これをやらなきゃ和民じゃない”を従業員に徹底していった。
岡本氏が外食・飲食ビジネスに携わる上で使命としていることは何だろうか。また目的とは何だろうか。それは二つあるという。一つはお客様がお店を出る時にちょっと幸せな気持ちになれること、そしてもう一つは、従業員が仕事を通して成長し幸せになること。20歳で経営者を経験し、年輩の経営者の仕事も間近で見てきた岡本氏は、様々な経営者目線を感じる事ができるという。しかしそこに共通しているのは「人に幸せになって欲しい」という思いで、また経営者にそれがなければ会社というのは淘汰されると考えている。
1998年、以前からベンチマークしていた米国のカジュアルレストラン「T.G.I.フライデーズ」の経営に携わるチャンスを得た岡本氏は、やはりここでも従業員の成長を支え見守り、より多くのお客様の笑顔を生み出していきたいという。それが唯一お店の成長に繋がるとこと考えているからだ。
「従業員は私の子供も同然です。私の幸せは従業員が見違えるほど成長した姿を見た時なんです」。17歳から自活し道を切り開いてきた岡本氏は、従業員を昔の自分の姿と重ね合わせているのかもしれない。飲食の世界にはチャンスがあり、頑張り次第でいくらでも上昇思考を全うしていける。しかも人々のためという仕事の原点、信念を支えにしていけばいい。「こんなに楽しくてこんなに良い仕事はそうないんじゃないかな」。理想を現実としていけるビジネス。それが岡本氏が実践する飲食ビジネスなのだ。
お好み焼き屋時代の写真 | つぼ八時代の写真 |
ワタミ入社し、初のアメリカ研修の際の写真 | TGI渋谷1号店オープンの際のスタッフとの写真 |
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