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第332回 株式会社ノート 代表取締役 貫 啓二氏
update 12/11/20
株式会社ノート
貫 啓二氏
株式会社ノート 代表取締役 貫 啓二氏
2015年8月、株式会社串カツ田中に社名変更
生年月日 1971年1月27日
プロフィール 大阪府三島郡に生まれる。小さな頃から体躯が良く、中学2年時には180センチを超えていた。卒業後、トヨタに入社。27歳で退職し、素人のままBARを開業する。この時、ビジネスで生涯のパートナーとなる田中洋江氏と出会う。その後、デザイナーズレストランをヒットさせ、東京に進出。京懐石のレストランをオープンさせ、注目される。ところが、東京・大阪の店舗を管理するのはむずかしく、次第に業績は悪化。リーマン・ショックを境に苦境に落ちる。その後、少額の投資で出店した「串カツ 田中」が爆発的ヒットに。起死回生を図っただけでなく、いまもノートの主ブランドに君臨。今後は、FCの強化、海外進出などを目標にしている。
主な業態 「串カツ 田中」
企業HP http://kushi-tanaka.com/

少年時代の貫。

大阪府と京都府の境に三島郡があり、サントリー山崎工場がある。今回、ご登場いただく株式会社ノートの代表取締役社長、貫 啓二の生まれ故郷も、この三島郡。いまでも豊かな自然が残る街だ。大阪に生まれながらも「田舎者だ」というのは、この三島郡がなかなか都市化されなかったせいだろう。
父は町工場の、とびきり腕の立つ金型職人。母は編み物の先生をされていたそうだ。兄弟は2人。4歳離れた兄がいる。「父は真面目で、お酒も飲まない人です。夜8時くらいには帰宅していました。一方、母は口うるさい人で、とにかく『勉強しろ』といつもお尻を叩かれていました(笑)」と貫。貫自身は、兄の影響で小学校から硬式テニスを開始し、大会にも出場するなど運動神経のいい少年だった。
背も高く、中学2年生には181センチになっていた。母にはあいかわらず「勉強しろ」と言われたが、「バイクばかり乗り回していた」ということだ。

トヨタに就職。いつかはオレも。

大学には進学せず就職した。兄は警察官になったが、貫は郵便局とトヨタ自動車を受け、後者に就職する。平成元年の話である。
このトヨタ時代、貫は仕事に真摯に打ち込むとともに、起業家の片りんもみせはじめる。
「休日を利用してパーティやスノボーツアーを企画したんです。自分も楽しく、それでいてお金にもなるんですから、こういう仕事もいいなぁと、なんとなく起業することを考えはじめました」とのこと。
「そんなある日、ある人間が外車を乗ってきたんです。その時、いまのままじゃ一生こんな車に乗ることはできない。一回きりの人生、これでいいのかと思うようになったんです」。
いつか、オレも。起業が今まで以上に現実味を帯びてくる。27歳。10年勤めた会社を飛び出した。

バー開業。新たな出発。

準備はちゃんとした。トヨタに勤務しながらバーのオーナーに頼んで仕事をさせてもらった。無給。それでも良かった。投資資金も無事、借り入れることができた。準備万端。退職後、心斎橋で15坪のバーを開業する。初月は60万円程度の利益を確保。そこまでは良かったが、そう巧くはいかない。
「仕事は好きだから苦になりません。でも1年365日仕事をして、時給換算にすれば500円ぐらいです。もちろん生活はできましたが、それ以上、何も手に入れることはできない。これじゃ、トヨタにいた時とおなじじゃないか、と思っていた時に、田中に出会うんです」。
貫が田中というのは現副社長の田中洋江のこと。大手広告代理店に勤務する女性だった。
「最初は、お客さまの一人だったんですが、そのうちアルバイトをしてくれるようになって。時給はなし。でも、酒は飲み放題。そんな契約でした(笑)」。
田中は広告代理店に勤めていたこともあって流行にも敏感で、おいしい店も良く知っていた。そんな彼女が、貫の気持ちを察したように、ある時「このままじゃダメだ」と言った。
「それで、ついに心を決め、彼女の前で計画を紙に書いたんです」。

東京進出。名乗りを上げる。

これが田中との二人三脚の始まり。堀江にビル一棟を借り、田中が紹介してくれた有名なデザイナーにデザインを頼み、デザイナーズレストランを開いた。2001年2月のことである。無謀という人もいただろう。借入金は6000万円。うち1500万円はトヨタ時代、息子のように可愛がってくれたある上司が、「うまく行かなければ返済しなくてもいい」と言いながら貸してくれた。一層、失敗するわけにはいかなかった。
オープン当日は、寒い日だった。しかし、店はオープン直後から熱気に包まれた。TVも雑誌にもそれから連日のように取り上げられるようになる。
和のダイニング。余勢を駆って、東京にも進出した。青山のビルの3Fに隠れ家的な個室の京懐石料理の店をオープンした。「東京カレンダー」に見開き掲載される。それで一気に有名店になる。だが、いいことばかりではない。東京と大阪。この距離が、途方もなく遠く思えてくるようになる。
貫と田中、2人だけでは全店に目が行き届かなくなってきた。一方、東京の成功から、デザイナーズレストランを東京同様の京懐石スタイルに業態転換した。

リーマン・ショック到来。

「いろんな格闘がありました。とくに料理人は、どうしようもなかった。キッチンを雇っても次々辞めていくんです。彼の下ではつづかない。私か、田中しかハンドリングできないもんだから、私たちが店から離れられなくなってしまうんです」。
のちに、貫は串カツ店を開業するのだが、その際、特別な料理人がいなくてもできるのがいい点、と言い切るのはこの時の格闘が忘れられなかったからだろう。しかし、2人の奮闘もむなしく、業態転換した店は失敗。
「グズグズしたくなかったから」と思いきって手放した。東京に主軸を移すようになる。中目黒に「かすうどん田中」オープンしたのは、東京に進出して4年後の2007年のことである。
「ヒットはしたんですが利益がでない。原価ギリギリの値段でしたから」。「ロジックがなかったんです。行き当たりばったり。それでも、この店は多店舗展開を目指すために仕掛けた店だったんです」と貫はいう。熱い思いはあったが、ロジックがなかった。その結果、多店舗化をめざし開業したが、うまく行かない。
利益が上がらないから、次の出店ももちろんできない。スタッフも辞めていった。いままでの投資資金が重なり、借り入れは相当な額に膨らんでもいた。そんな時、リーマン・ショックがきた。

起死回生の道。

「正直、あの時はすべてを清算しようかと思いました。弁護士にも相談していたんです。田中というパートナーはいましたが、資金の問題は、経営者の苦悩なんです。田中も気づいていたと思います。彼女なりの考えがあったのでしょう。2008年の10月、『串カツをやろう』と言ってきたんです。レシピは、田中が父であり、先代の田中勇吉氏から受け継いでいました。大阪の下町の味をそのまま東京へ。私たちは、起死回生の賭けにでました。といってもいままでの借り入れに比べれば、かりに600万円かかったとしても微々たるもの、という思いがあったのも事実です。手をこまねいているよりいいだろう、とそれぐらいの気持ちでした。ところが、世田谷の店をみつけた時、これはいけると電気が走ったんです」。
起死回生というか、失敗すればそれで終わり。一か八か。
がけっぷちでオープンした「串カツ田中 世田谷店」が想像をはるかに超えるヒットを飛ばす。賭けは、勝ちと出た。連日、満員。月商300万円もあればいいと思っていた店で最高800万円を売り上げたこともある。積った借金も、毎月、消えていく。「これ一本で勝負しよう」。貫は、新たなスタートを切った。

ビジネスは、見た目ではなく、利益で勝負するもの。

「FCビジネスの強化、海外進出などやりたいことはたくさんある」と貫は話す。現在、「串カツ 田中」は、FC含め18店舗。おもしろいのは、子どもはもちろんだが、ペット可の店が多いこと。オープン当初、何でもOKと謳っていたスタイルがいまも残っている。 
FC各店は、2号店目に乗り出すケースも多いらしい。「串カツ 田中」という業態が、消費者の心をとらえていると共に、オペレーションなども容易に行える利点があるからだ。
このFC化にさらに注力する。その一方で海外も視野に入れ、2012年10月にはシンガポールに視察に出向いている。新業態の計画はないのかと尋ねると、いまは「串カツ田中のブラッシュアップが大事」という答えが返ってきた。1年、2年というスパンでは考えない。10年、20年、それがいまの貫の尺度だ。
「うまくいくとは思っていなかった」とデザイナーズブランドをヒットさせた当時を回顧して貫はいった。しかし、いまでは、おもしろいと思う一方で、こんなに怖い商売もないと思っていることだろう。だから、もう浮かれない。 2012年初頭までは、TVや雑誌の取材も一切、断ってきたという。串カツ店の店主となって、スタイルはスーツから前掛けにかわった。でも、意に介さない。
「ビジネスをやっていて、売上・利上げあがらないのが一番かっこ悪い」。その一言が印象的だった。
ちなみに「串カツ田中」は、串カツ店と思えないほど清潔だ。何故かと問うと、「4S」という言葉が返ってきた。4Sとは、整理、整頓、清潔、清掃を意味する。トヨタ時代に徹底的に叩きこまれたことである。
人生に、たしかに無駄はない。そして、偶然もない、ということに改めて気づかされた。

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