株式会社mihaku 代表取締役社長 中嶋一生氏 | |
生年月日 | 1979年6月30日 |
プロフィール | 滋賀県近江八幡に生まれる。4人兄弟の長男。実家は祖父の代から続く日本料理店。幼少の頃から料理人たちに囲まれて育ち、次第に家業を継ぐこと、経営者になることを意識し始める。 関西学院大学を卒業後、料理人修行を決意し大阪の有名料亭に入る。それは大好きな車に関わる仕事と飲食ビジネス、2つの生きる途から選択したことだった。 |
主な業態 | 「瓢嘻(ひょうき)」「瓢斗(ひょうと)」 |
企業HP | http://www.hyoki.jp/ |
株式会社mihakuは、京都烏丸、銀座、赤坂、西麻布に本格日本料理店を展開する企業。メイン料理は「出汁しゃぶ」。ちょっと聞き慣れないが、豚肉などの食材をポン酢やゴマだれではない “五段仕込み・秘伝のつゆ”で食すオリジナルのしゃぶしゃぶだ。
素材と手間にこだわった料理とサービス、そして店内の落ち着いた雰囲気が人気を呼び、一人一万円を越える価格にも関わらずリピート客が絶えない。店舗にもよるが接待で使われることも多く、日本の政治・経済を動かす会話が会席料理を囲む各個室で行われるのだという。
その株式会社mihakuの経営に奔走するトップ、中嶋は大学卒業後に日本料理の板前としての修業を経て、わずか24歳で最初の出店(京都烏丸)を果たし成功を導き出す。当時を振り返る中嶋は「飲食業界の常識や慣習に縛られない若さと勢いが成功を生んだのかもしれない」と笑う。
中嶋が生まれ育ったのは琵琶湖の近くの近江八幡。そこは祖父(中嶋が生まれる前に亡くなってしまったが)が日本料理店を営んでいた場所であり、祖父の他界後も引き継がれている場所。中嶋は折に触れ多くの弟子を抱えた昔かたぎの職人であった祖父の武勇伝を聞かされて育った。「仕事が終わると毎晩のように祇園に乗りつける人だった」。まだタクシーが2台しかなかった時代に、毎夜貸し切るお得意様だった祖父。会えないからこそなのか、想像の世界で祖父の存在は大きくなっていった。
そんな中嶋は小さい頃から物作りが得意で、子供の頃には図工、大学生になると車に夢中になった。就職を考えたのはデンソーとトヨタ。しかしその一方“経営”というキーワードがなぜか心にひっかかる。「お金儲けをしたかったし、長男として家業を継ぐことも考えだしたんですね」。祖父の血が仕事を受け継ぐ決断をさせたのかもしれない。大学を卒業した中嶋は、調理師学校を経て大阪の老舗料亭「大和屋」に修行に入った。
「1年の修行で15Kg体重が増えた」。太ったのではない。メキメキと筋肉質になっていったのだという。重たい食材運び、力を込める鍋磨き、まかないを残さず食べる責任、寝る暇もない仕事生活…。180度転換した修行生活は、片手で腕立て伏せができるほどの身体を作り出していた。と同時に同期がどんどん辞めていく中で貪欲に和食の仕事を吸収。景気低迷によってちょうど規模の縮小を図っていた大和屋での修行に区切りをつけることにした。「店をやってみないか」と多店舗展開を考え始めた実家から声がかかったのだ。しかし資金提供はしてくれたがあとはすべて中嶋の責任で店を作り運営していく。板前修業に区切りをつけ、24歳で京都烏丸に出汁しゃぶをメインにした日本料理店「瓢斗(ひょうと)」をオープンした。
板前なので料理に自信はあったがサービスは手探り。はじめは店を切り盛りするスタッフと対立することもあった。しかし京都という土地柄なのか、店はカップルや家族連れ、そして接待客など多様な顧客に恵まれ繁盛していった。「経営に興味がある」といっても専門的に学んだわけではない。なぜ成功したのだろう?
「来客の様子の変化、注文の主流などを敏感に捉えながらメニューや価格設定などを臨機応変に変えていったんです」。飲食ビジネスの常識を知らないため、かたくなな姿勢がなかった、実はそこに成功の鍵があったのではないかという。しかしその一方では、契約していたコンサルの意見を却下し、本格会席料理を通すこと、安売りしないことを貫く。「若さとイキオイで自分が描く店を形にしていった」。それが奏功したのかもしれないと振り返る。そして結果がついてくる。2007年には念願の東京進出も果たし、2012年10月現在で京都1店・都内3店を運営。なんと北京のソフィティルホテルからオファがあり、すでに12月のオープンも決定している。
飲食の世界で経営者となり、よりよい将来を切り開こうとしている中嶋は、現在の日本料理界の在り方に大きな疑問と不満を持っている。それは“よく休み・よく稼ぎ・よく働く”が実現できておらず、どこか“おもてなしの精神、気合と根性で奉仕しよう”的な発想で下働きしている風土が蔓延していることにあるという。
たとえば金融や情報、メーカーやアパレル…。飲食業界も同様に企業経営を実現しないで業界の未来はないし、個々の会社が独自の企業価値持たずして人材の幸せはない。それが中嶋の考え方だ。
若き経営者がこれまで参考にしてきたのは、異業界で新しい仕組みを作り出すビジネスリーダーの著書だという。大学卒業時の就職の際、周りに飲食業界を意識する友人は一人もいなかった。「大学を出て飲食をやるのか?」。その風潮を自らが変えていくため、中嶋はあえてこの世界を選んだともいえる。
今後の展開としては、国内店舗はマックスでも100とし、元気な海外に積極出店し利益を上げるつもりだ。「本格的な会席料理をどこの店とも違う価格・環境で楽しめる企業価値を確かなものにし、社員が“上場企業の名刺”を持てるようにしたい」。若きビジネスリーダーの挑戦に、これからも注目していきたい。
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