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第334回 株式会社バイタリティ 代表取締役 岩田 浩氏
update 12/11/27
株式会社バイタリティ
岩田 浩氏
株式会社バイタリティ 代表取締役 岩田 浩氏
生年月日 1971年5月7日
プロフィール 東京・浅草生まれ。中学卒業後、東京・八重洲の中華料理店「東竜」で5年間勤務。1997年より大手フードサービス企業に入社し、調理場責任者、店舗責任者、エリアマネージャーなどを歴任。その会社を08年12月に退社し、株式会社バイタリティを設立する。翌09年2月、小伝馬町に「鳥番長」1号店を出店。これを皮切りに出店を重ね、現在「鳥番長」3店舗、「日本焼肉党」、「豚大門市場」と、3業態6店舗を運営する。いまもっとも注目されている若手経営者の1人である。
主な業態 「鳥番長「三兄弟」「日本焼肉党」「豚大門市場」
企業HP http://ameblo.jp/vitality-bancho/
部員でもないのに、陸上大会に駆り出された。種目は走り幅跳び。周りには練習を積んだ選手たち。いくらスポーツが得意で、野球では4番、ピッチャーを務めているといえど、違った競技で敵うわけもなかった。周りも高を括っていたはずだ。ところが…。岩田は、天を駆けた。

4番、ピッチャー。

岩田が生まれたのは、1971年の浅草。父親は建築設計事務所を営む設計士で、母親は編み物の先生をされていたそうだ。2つ離れた兄が1人いる。
岩田からみれば教育熱心な両親だった。英語、水泳、絵画と習い事にも行かされた。どれもピンとこなかったが野球は熱心に取り組んだ。リトルリーグに入り、軟式ではなく小学生のうちから硬球を追いかけた。入部早々頭角を現し、4番でピッチャーを務めるようになる。キャプテンではなかったが、チームをひっぱった。中学になっても野球はつづけ、2度、全国大会に出場している。
野球も巧かったが、それ以外のスポーツもできた。中学1年生、陸上部の大会に駆り出され、走り幅跳びでいきなり5メートルを超える大ジャンプを披露。関東で8位の成績を残している。これが冒頭の話。
バネが違うのだろうか。これが「天与の才」という奴なのか。
抜群の運動神経のおかげで、スポーツではトップクラスの成績を残したが、中学2年あたりから学業のほうは急下降。本人曰く、「遊んでばかりいて、勉強はまったくしなかったから」だそうである。

あっぱれな選択。

「グレ始めたのは、中学2年生ぐらいからです。いま思えば、親に対する反抗心というのもあったんでしょう。悪い連中とも遊ぶようになって。結局、高校も行かなかったんです。何も考えていなかったんでしょうね。いくつかの高校から推薦で誘ってもらっていたんですが、もったいないことをしました」といって岩田は笑うが、何も考えていないわけではなかった。むしろ、高校生活を考えた時に、進学する理由を見いだせなかったというほうがただしい。「推薦」の2文字のなかにも、大人の利害が見え隠れした。純粋な中学生が反発するのも、頷けなくはない。
だが、いくら反抗しようと、反発しようと高校進学をあっさり諦めてしまうことなど、なかなかできるものではない。とはいえ「捨てる勇気」を持つことは、人生において大事なこと。「岩田の中卒、人生」。思えば、あっぱれな選択だ。

中華料理店、5年の武者修行。

「中学時代からバイトがしたったんです。ファミレスとかそうところで。だから、卒業してもとりあえず飲食だと思って、八重洲の『東竜』に行きました。時給が1000円。ほかより高かったんです(笑)」。
10代後半の岩田には、いくつもの思いが交錯していたはずだ。「勉学」と「遊び」、「現在」と「未来」、「理想」と「現実」。
もしかすれば、「将来」の二文字が重く背を押さえつけたのかもしれないし、「現実」の二文字が、岩田の反骨心をいっそ高めたのかもしれない。
しかし、岩田を凄いと思うのは、心がどれだけ揺れようとも「仕事」からは離れなかったことである。いくら遊んでも「仕事」はマジメだった。
のちに就職することにもなる「東竜」でも岩田は5年間、きっちり勤めている。「最初は洗い場からスタートですが、最後には仕込みもぜんぶできるようになっていました。東竜での5年間は、そういう意味で私の基礎をつくっています」。
もし、岩田が、途中で仕事を投げだしていたらどうなっていただろう。
さて、「東竜」の話をもう少し。
24歳でも、15歳の岩田からすれば、ずいぶん大人である。東竜でイチバン年齢が近い先輩が24歳だった。
「目をかけてもらって、パチンコとか、競馬とかにも連れて行ってもらいました。ただ、やっぱりバイクが好きでしたから、あまりハマるようなことはなかった。18歳からサーフィンをやるようになるんですが、それからは、賭け事はもちろんバイクも辞め、サーフィンに熱中しました(笑)」。
15歳から社会に出て、新たな仲間、スポーツとも出会いながら、岩田は20歳になる。まだ20歳だが、もう立派な料理人。それがうれしいことか、どうなのかは本人にしかわからない。

酒屋の運転手。

とにかくサーフィンにハマり、土日が休みで給料のいい酒屋に転職した。仕事は運送。簡単にいえば、トラックの運転手である。給料は良かったが、2年目の時、腰を痛めた。「営業はどうか」と、温かい言葉ももらったが、その会社は退職し、違った会社で営業職に就くことになる。
「ネクタイを締める職業もいいな、と営業職の募集を探したんですが、その時になって『中卒』のハンディキャップをはじめて実感しました。求人だって高卒、大卒ばかりでしょ。中卒でもOKなんて会社はなかなかありません。それで、学歴不問と謳っていた訪問販売の会社に就職しました。選り好みはできませんでしたから」。
給与は歩合給制。交通費まで持ち出しだった。ネクタイは絞めたがサラリーがない、そんな状態に追いやられなくもない。結果はどうだったのだろう。
営業の才能もあったのかもしれない。新人にかかわらず、初月から岩田は好成績を収めた。月給も60万円ぐらいになったそうだ。まだ22歳だったから、大卒で20万円弱というのが相場だろう。3倍は儲けたことになる。
もちろん、勉強もした。「営業の指南書みたいなのですね。そういうのを片っ端から読破しました。心理学みたいなものもありました。どうすれば、お客様が心を開いてくださるか、そういう本も読みました。なんでもそうなんですが、仕事にはわりとハマりやすいタイプなんです(笑)」。それから4年。26歳。さすがに将来を考えた。営業はいい時ばかりではない。給料が良ければそれでいい、というタイプでもなかった。
「その時、もう一度『飲食』へ。そんなことを決意したんです」。

大手フードサービス企業へ。

ふたたび飲食へと考えた岩田は、教育制度が充実している点に惹かれ、ある大手フードサービス企業へ転職する。
この時、「東竜」で修行した5年の経験がものをいった。とはいえ本人はもっと素直で、もう一度ゼロからのつもりで勉強も重ねている。「焼き鳥も店内で串をさしていましたから、勉強になりました」と岩田。多い日には、1000本以上も仕込んだという。
ところで、どうでもいいことなのだが、やらなければ手に職はつかない。効率化という名の下に、どうも最近はこれらの手作業を業者に任せ、端折ってしまう店が多いようにも思う。その時は楽だが、何も残らない。これは、誰もが胆に銘じておくべきことだろう。
料理の基本ができていた岩田は、重宝された。スグに出番が回ってくる。調理責任者。新店の立ち上げを任されるケースが多かったため、責任も重く、仕事そのものも楽ではなかった。ある店では寝る間も惜しんで働いた。それが評価され、会社でも一二を争う人気店の店長を任されることになった。
スタッフたちも寝食を惜しみ仕事に向かう岩田の姿勢に惹かれていく。評価が更に高まり、ついには花形の店舗を任され、エリアマネージャーにも昇進する。
だが、「案外、つまらなかった」と岩田はエリアマネージャー時代を振り返る。
「たしかに勉強にはなりました、F/Lコストなどの数値管理もこの時にマスターしました。ただ、一方で歯がゆい思いばかりだった気がします」。
本社と店舗のギャップを感じ始めたのは、この頃だろうか。岩田が仕事をつまらないと言ったのは、後にも、先にもこの時だけ。

新ブランドの構築にチャレンジ。

本部と店舗の距離感がつかめないまま、エリアマネージャーを務めていた岩田に新たなチャンスがめぐってきた。新ブランドの開発である。岩田はまっさきに手を挙げ、新業態開発にまい進する。それがいまにつながっていることは言うまでもない。
苦労も多かったが得るものもまた大きかった。大ヒット店をつくったという自信も、その後につづいている。
一人ではもちろんできなかった。会社のバックアップがあってのこと。だが、その一方で岩田が先頭に立ち奮迅し、切り開いてきたことも事実である。いよいよ岩田の新たな挑戦が始まった。独立開業。はたして成功するのだろうか。

大ヒット業態「鳥番長」オープン。

2008年は葛藤の1年だった、と岩田はその年を振り返る。物件が決まると、「もうやるしかない」と腹が決まった。2008年12月12日に会社登記をして、翌2009年2月に「鳥番長」1号店をオープンする。
オープン以来、「鳥番長」が大ヒットしたことはいうまでもない。それは以下の数字からも明らかだ。初月で1300万円。それから2ヵ月間、1200万円で推移。年商は、たった25坪で1億3800万円を記録している。
そののちも、岩田は、2号店、3号店と出店を重ねていった。おもしろいメニューがある。韓国でも人気な丸鶏をベースにした、1羽丸ごと使った「鳥丸やき」と「鳥丸なべ」である。こちらはいまでも人気メニューとなっている。
それ以外にも、成功の要因はいくつも上げられると思う。ただし、「飲食の戦士では」、それを分析することはしない。それ以上に、人間岩田についてもう一度、考えてみたいと思う。
「学歴」。それが一つの壁になることはある。岩田も営業職を探していた時に、それを痛感している。だが、飲食に学歴の壁はなかった。中卒でも、高卒でも、大卒でも、おなじ。成功するかどうか、が尺度である。これほど痛快なものはない。
ただし、何をもって成功かどうかは、人によって違うだろう。岩田の場合、信頼できる仲間たちと大好きな飲食の仕事を追及していける、それが楽しくてしかたがないようだ。
さて、岩田の成功は、学歴がなくても成功することができることを私たちに教えてくれているが、それだけでもないだろう。岩田には才能があったからだと思う人は、もう一度、彼の人生を振り返ってみてほしい。
その才能とは、たぶん誰もが持っているチカラだと気づくはずだ。その愚直なチカラで、岩田は天を駆けた。

思い出のアルバム
 
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