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第338回 株式会社イヌイ 代表取締役 柿沢直紀氏
update 12/12/11
株式会社イヌイ
柿沢直紀氏
株式会社イヌイ 代表取締役 柿沢直紀氏
生年月日 1975年4月20日
プロフィール 栃木県宇都宮に生まれる。学習院大学を卒業し、広告代理店で約5年間勤務。2003年にイヌイを設立して、現職となる。同社の実店舗、オーガニック野菜スウィーツ専門店『パティスリー ポタジエ』『野菜寿し ポタジエ』でオーナーパティシエを務める柿沢安耶氏とは、学習院大学で出会った。イヌイというフードベンチャーの経営パートナーであり、奥様でもある。
主な業態 「パティスリー ポタジエ」「野菜寿し ポタジエ」など
企業HP http://www.potager.co.jp/

日本食の再発明を試みる男

メニューの一つとして、野菜を用いたスイーツや寿司はある。しかし「それだけ」を謳った専門店を、これまで目にすることはなかったのではないだろうか。中目黒にある野菜スウィーツ店『パティスリー ポタジエ』と、六本木にある野菜寿し店『野菜寿し ポタジエ』がそれだ。
そんな一風変わった店を展開するのが、柿沢直紀社長率いる株式会社イヌイである。柿沢自身ニッチだと認めるが、なぜそこに切り込んだのか。そして、勝算と展望はどうなのだろうか?
そんな不躾な質問の答えから見えてきたのが、食におけるイノベーションに対する姿勢だった。「たとえばビートルズは優れていて、誰もがコピーします。しかしコピーバンドがオリジナルを超えることはできません。また、今の邦楽も日本語で歌うだけで、旋律や音も実は洋楽のコピーです。もし邦楽の価値を高めるなら、尺八や琴など独自の音色で、世界に届くメロディーを生み出すべきだというのが私の考えです。そして、それは食文化でも同様だと思います」。
つまり、日本の食文化を軸に新しいものを提案し、それを広めようというのである。海外をコピーするのではなく、海外にコピーされるくらいのものを創造していく。その切り口が野菜や米であり、野菜スイーツ専門店や野菜寿し専門店なのだ。「優秀な生産者の方々とのパートナーシップをますます拡大させています」と言う柿沢から、今回はその発想法や食というコンテンツ、ビジネスとその未来などを考えていきたい。

優れ者で、変わり者

幼少期の柿沢は、水泳スクールに通っていた。それもただのスクールではない。オリンピック出場選手の育成に力を入れているような所だ。100m×100本などという特訓を乗り越え、小学生時代には県大会の平泳ぎで1位に輝いている。また小4以降はサッカーに没頭するが、高校時代には宇都宮の代表メンバーに選抜されているほどだった。
さらに学業の方も優秀だったのだろうと想像する。これについて、柿沢本人は何も言わない。ただ学習院大学に進学したことについては「当時は欧米、特にイギリスへの憧れが強く、向こうの大学と提携していて留学が可能だと思ったからです」と、興味本位だったことを強調した。
一方で、中学以降は音楽とそのファッションにハマった。特に好んだのがポール・ウェラーだ。60年代のムーブメント『モッズ』色が強く、以降の時代に流されず、一貫してクールなものを追求するその姿勢から『モッド・ファーザー』と呼ばれ愛されるイギリスのミュージシャンである。彼のそんな姿勢などは、柿沢に大きな影響を与えたのではないだろうか。
あらゆることに追求姿勢が強い柿沢だが、大学時代はブズーキという少々マニアックな楽器にのめりこんだことがある。ギリシャ音楽で中心となる楽器で、マンドリンに似た弦楽器だ。金属的な音が特徴的とされるが、「わび・さびのある音が好きで、教室に通って練習していました」と笑う。ちなみに当時はUKミュージシャン張りの服装で、ファッションにもかなりこだわっていたそうだ。柿沢のそんな「とことん」も、周囲には「変わった人」と映ることが多かったようである。

パートナーとの出会いと、未来への準備

柿沢は、大学生の頃にはすでに独立志向を強めていた。「食品や飲食といったジャンルは決めていませんでしたし、具体的なビジネスモデルも未定でしたが、まず数年間、実社会を学んだ上でと考えていました」。そして、それが徐々に具体化するきっかけとなったのが、現在の奥様である安耶氏との出会いである。
大学に入ると、柿沢は広告研究会に籍を置いた。その1年後、勧誘した新入生たちの中にいたのが安耶氏だったのである。安耶氏は10代から料理を志し、ある料理研究家の下で料理を学んでいた。大学時代にはフレンチレストランやケーキ店などで働き、フレンチの王道リッツエスコフィエにも短期留学した筋金入りの料理人志向を持った女性だった。
「二人でどこかに出かけるといえば、カフェやレストランばかり。行き先は、妻が関心のある店です。そこに否応なく着いて行くといった感じでした」。柿沢は当時のデートを照れくさそうにそう振り返った。
やがて卒業すると、紆余曲折を経て柿沢はセールスプロモーションを手がける中堅の広告代理店へ、安耶氏はカフェやレストランを営む企業へ、それぞれ就職する。しかし柿沢が企画営業として提案力・折衝力を磨く一方で、安耶氏は肝心のキッチン業務を任されなかった。「自分の好きな料理をするために独立して自分の店を持ちたい。そんな思いが彼女の中でもいよいよ高まってきていました。それで思い切ってアクションを興すことにしました」。

「イヌイ」にこめた想い

2003年初頭、二人は有限会社イヌイを始動させた。そして同年6月、野菜が主役のカフェレストランと銘打った『オーガニックベジカフェ イヌイ』が宇都宮にオープンする。「この店舗業態になったのは、妻がもともとカフェに強くこわだっていたからでした。それも、ベジタリアンでオーガニック野菜のカフェがやりたいと…」。
安耶氏の意向を聞いた柿沢は、当初ニッチすぎると感じたそうだ。確かにオーガニックが話題になりはじめていた頃だったが、健康志向を強調しすぎれば、逆に一般の客を拒絶することにもなりかねない。諸刃の刃になる危険性があるだろう。
「そこで考えたのが、人の命と健康はその土と共にあるという『身土不二(しんどふじ)』という仏教の概念でした。地産地消とも結びつく言葉です。また当時の野菜の仕入先の多くが栃木にありましたから、まずは栃木の野菜を栃木で提供しよう。自分たちなりの身土不二のカフェの基礎や形をつくってみようとなったのです」。
企業名であり業態の看板に掲げられた『イヌイ』の由来は、フランス語の『INOUI』からくる。斬新で、今までに聞いたことのないというその語意のとおり、柿沢の打ちたてた店のコンセプトと安耶氏がつくりあげた様々なメニューは、まさしくイヌイで個性的な彼ららしさに溢れていた。柿沢27歳、安耶氏25歳のことである。

東京出店と、成功の意味

身土不二をコンセプトにした『オーガニックカフェ イヌイ』は、栃木の優れた食材を使って、美味しいだけではなく安心・安全にこだわっているとして評判を呼んだ。その評判が広がる中で、柿沢は積極的に優秀な野菜生産者との信頼関係を築き、ネットワークを深化・拡大させていく。そして、安耶氏が新しく発掘した食材を用いたさらなるメニューの考案に努める。
オープンから3年の月日が流れる中で、日本のレストランシーンも大きく変貌を遂げていた。オーガニックにますますの注目が集まり、それを謳う店の数が激増していたのだ。「身土不二を軸にしたイヌイとそのネットワークを、いずれは東京でも提供したいと考え目標にしていました。しかしその時は、すでに単なるオーガニックだけではお話にならない状態でした。そこから踏み込んだ、流行に左右されない自分たちのポリシーを知ってもらうために、私たちは新たな表現を発信していく必要を感じたのです」。
2006年4月、かくして野菜スウィーツの専門店とする『パティスリー ポタジエ』が誕生したのである。その話題性に富んだコンセプトとメニューから、同店にはオープン直後より問い合わせが殺到し、都内百貨店での催事出店や安耶氏のテレビ出演など、大きな脚光を浴びた。
それでも浮かれることない。また以前、柿沢はこんなことを話したことがある。「ポタジエのコンセプトは、あくまで私たちポリシーを知ってもらうための入り口にしか過ぎません。その核となるのが『それを自分の家族に食べさせることができるか』ということ。食の意識の変革です」。チェーン化して規模を拡大することよりも、セミナーなどを通じてこうした意識を促し、広めることが、柿沢と安耶氏のめざす成功だったのである。

寿司という新たな挑戦

中目黒で打ち出した野菜スウィーツ専門店『パティスリー ポタジエ』が大きな注目と反響を得たのは、先述した通りだ。ならばこれを皮切りに2号店、3号店を展開していこうという戦略を取ることが一般的であろう。しかし、柿沢の考え方や戦略は真逆であった。
「私たちは、ポタジエの価値を薄めたくないと考えました。チェーン店化すれば、確かに一時的には売上の増加が見込めます。一か所で作り冷凍で全国に配送すれば、数は増やせるでしょう。でも、それではポタジエの価値を保つことが難しくなります。また、今は大量生産・大量消費の時代ではないとも思っています。モノよりコト、規模より価値を売る時代であろうと」。そのように自身の見解を語る。
そんな柿沢の次なる仕掛けが寿司だった。2011年1月に『野菜寿し ポタジエ』がオープンする。「飲食店を営みながら、私たちは日本の農業や農産物、世界の食のニーズなどを考えてきました。野菜にはすでに強くこだわってきましたが、日本にはお米という強力な食文化があります。また、寿司というコンテンツは世界で十分通用するのもご存知のとおりです。ここから導き出した野菜寿しを、まずは日本から、そして世界へと発信していきたいと考えたのです」。
同店には、ホタテに見立てたエリンギ、ハモの骨切りの手法を取り入れた長ネギ、一見ウニと見間違うニンジンの軍艦巻きといった、独創的なメニューが並ぶ。野菜をそのままシャリに乗せたものとは違い、野菜寿し専門店に相応しい店である。「野菜だから健康にいいという売り方はしません。こう料理すれば嫌いなピーマンも食べられる的な、専門店だからこその野菜料理の新しい可能性とその提案。そして厳選した野菜のブランド性を伝えていきたいです」と言う。

ひたむきな生産者とともに歩む

いま柿沢は、年間で約200日もの時間を、日本全国の産地の視察と新たな食材の発掘に充てている。行く先々の農家や農業関係者、行政の担当者と会い、実際に現場に立って土に触れてみることも忘れないという。実は、現在の農業の実態を現場レベルで知り尽くす希有の存在でもある。
「私たちのビジネスは、農家さんなしには成り立ちません。また普段お世話になっている農家さんにも、継続的に繁栄していただく必要があります。だから、できる範囲での支援もしながら、一緒に繁栄していくことが理想です」。実際に、その土地の名産を使ったお菓子や料理を提案しながら、地域興しの協力をしているという。
これは生産者にとっても大きなプラスだ。通常の市場では形が悪くて規格外になる野菜でも、加工品ゆえに味さえよければ価値が損なわないのだから。当然、イヌイ社への納入契約においても、それは同様だ。優秀で誠実な生産者と、独創的だが目的に真っ直ぐな柿沢は、こうして強く結ばれているのである。
これから何をしていくのか。もう少し、その独特な発想を覗きたくて、最後にそう訊いてみた。「日本でファーストフードというと、某有名ハンバーガーチェーンなどが浮かびます。しかし、それはアメリカが発祥ですね。私は日本らしいものを広めたい、それを海外からコピーされるほどにしたいという気持ちが強いです。日本はお米と発酵の文化ですよね。そんなキーワードから生産者の方々と協力して『日本のファーストフード』をつくってみたいとも思っていますよ」。にっこりと笑いながら、柿沢はそう答えてくれた。

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