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第34回 株式会社ファーストリング 代表取締役 阿部義一氏
update 09/02/03
株式会社ファーストリング
阿部義一氏
株式会社ファーストリング 代表取締役 阿部義一氏
生年月日 1976年生まれ、千葉県市川市出身。
プロフィール 高校卒業後、たこ焼きチェーン店、民宿ホテル、バーなどで勤務。夜の接客業の厳しさと面白さを学び、24歳で東京・歌舞伎町にバーを出店。
その後、バー業態の出店を重ね、さらに2006年には沖縄料理店をオープン。2008年にはドラム缶で焼く立ち飲み焼肉店などを出店し、話題に。
主な業態 「カルビ道場」「こまち」など
企業HP http://www.firstring.jp/
日本一の歓楽街、東京・歌舞伎町。夜の街でバー経営をいくつも経験し、24歳で独立した株式会社ファーストリングの阿部義一社長は、“歌舞伎町の水商売”からのし上がってきた若手経営者だ。得意の接客業を武器にバー業態を展開し、さらに飲食業の真髄をも極めて、現在は沖縄料理店やユニークな立ち飲み焼肉店も展開。歌舞伎町で鍛え上げられた阿部社長の忍耐力や経営感覚は、今後の躍進を十分に予感させる。

ドラム缶で焼肉を焼く? いま話題の立ち飲み店を出店!

東京・銀座のはずれに、ドラム缶で焼く立ち飲み焼肉店「東京ドラム缶酒場 カルビ道場 銀座本店」がある。ドラム缶をオリジナル加工し、中に七輪を内蔵。しかもドラム缶がテーブル代わりにもなるので、立ち飲みで焼肉を楽しめるという店だ。
 店内はレトロな雰囲気で、客単価は平均2500円。“不況時代の消費者の味方”というべきリーズナブルな店だが、メニュー内容も魅力的だ。例えば、秘伝のタレで味付けした骨付きカルビは、店員が各ドラム缶(つまりテーブル)の上で豪快に焼いて、食べやすく切り分けるパフォーマンスも見ものだ。
 「もともと、ドラム缶の上で焼肉を焼くスタイルは、韓国にあったのです」と話すのは、株式会社ファーストリングの代表取締役 阿部 義一氏。「韓国の飲食は流行のサイクルが早いんです。日本のように、“創業何年”なんていう飲食店はめったになく、息の長い店は本当に珍しいそうです。そんな中、長年、人気を獲得しているのがドラム缶焼肉というビジネスモデルなのです」。阿部氏は現地に視察に行った時の衝撃を「もう、なんだ、こらぁ? って感じですよね〜」と笑いながら回想する。
同店は16坪の店内にドラム缶を8個配置し、気軽にビールや焼酎を立ちのみできる空間だ。入り口には提灯を一列に灯し、銀座界隈でひときわ異彩を放つ個性的な雰囲気を上手く演出している。


365日フル稼働!眠らない街・歌舞伎町が僕を熱くさせた

阿部氏はもともと、バーやクラブなど、アルコールを中心に売る夜の商売の出身者である。いわゆる“水商売”と表現されるような店で修業を積んできた。「24歳で独立するまでいろんな商売を経験したけれど、唯一、飽きのこない仕事が夜の接客業だった」と阿部氏は振り返る。
 「こういった仕事は、“一に礼節、二に礼節”と言われるように、上下関係がとても厳しいのです。しかも場所は東京の歌舞伎町ですから、中途半端は許されませんでした。時には、奴隷のような仕事もさせられ、ほとほと嫌になる瞬間もありましたよ。でもあの経験のおかげで、我慢することを学べたような気がします」。そう言いながら、阿部氏は人一倍タフな笑みを浮かべる。
 当時、阿部氏の頭の中には、“仕事を辞めてやる”という言葉がいつも片隅に浮かんでいた。しかし、辞めて他にやりたいことも特別になかったし、「辞めるのは簡単だ」とも分かっていたので、耐えながら4年間働き続けた。
「水商売は、世間の人からなかなか認められてもらえない仕事だなと感じる瞬間が何度もありました。友人に僕の仕事の話をすると“そんな仕事やっているの?”という反応でしたしね。でもうちのオーナーが、“いまの経験を自分たちの人生の土台にしていこう!”と僕を熱くさせてくれたんです」と阿部氏は語る。
 6歳年上のオーナーとは今でも仲の良い付き合いが続いているという。「例えば、学歴の高い人々が10年かかって掴むものを、俺たちは2年で掴もう!と考えていたんですよ」。周囲で遊びほうけている人がいても、阿部氏はわき目を振らずにまじめに働き続けた。365日、フル稼働。歌舞伎町という街が、阿部氏を休ませなかった。本来、水商売には“仕事まじめ”が多いのだという。
 やがて阿部氏は店長クラスを統括するまでに成長し、その後、24歳で独立した。最初に出店したのは、やはり得意分野のバー。しかし働き方は、以前とは180度変わったという。
「それまでは、“他人の庭”で好き放題やっているという感じでした。雇われているときは守られている身なので、気合だ!根性だ! という単純な考えで周囲に意思を伝えていたのです。でも経営者になると、自分の考え方を理屈で周囲に伝えていかないといけないのだと気づきました」。
 “他人の庭”から“自分の庭”に立場が変わって、阿部氏は慎重になった。例えば、部下を叱る時でも、「翌日に辞められたら困る」と冷静に踏みとどまるようになり、経営を最優先して考えるようになったのだ。根性論・気合論で部下を率いていくこともできるし、その方が簡単なのだが、あえてそうはしなくなった。どんな部下をも納得させるだけの“しゃべりの術”などを身につけるようになったのだ。


子の生存危機に直面し、心を入れ替える

 さらに阿部氏の人生の転換期になったのは我が子の誕生だった。阿部氏が27歳の時、子供が切迫早産で誕生したのだ。突然、「子供の生存率は70%」と医者に告げられ、目の前が真っ暗になった。母子が無事に退院するまでの4ヶ月間、阿部氏は祈るような気持ちで毎日病院に通い続けた。その時期に、阿部氏は心に誓った。「水商売とはいえ、夜な夜な酒を飲んだり、昼過ぎまで寝ている生活は絶対にしまい」。
 それ以来、“接客業としての深耕、飲食業としての拡大”を目指し、阿部氏は、より堅実な経営基盤を構築していった。バー業態を展開させながら、さらに沖縄料理店「Ryu-kyu Style Dining 一会」を歌舞伎町に出店させのだ。
「飲食業は奥深い。その深みにどんどんはまっていった」と阿部氏。当初、沖縄料理店では料理はテイクアウト商品ぐらいしか考えていなかった。あくまでもアルコールを主体にした業態を想定していたのだ。しかし料理を追求すればするほど、飲食業の面白さに開眼。最終的にはレンタルキッチンを借りての一大メニュー開発に至った。
それが奏功し、「Ryu-kyu Style Dining 一会」は沖縄直送のアグー豚などが魅力の店として、評判を呼ぶようになった。さらにドラム缶で焼肉を焼くというユニークな業態も生み出したのだ。
「僕はもともとビジネスがやりたかっただけ。最初は飲食業でなくとも良かった。でも今では飲食の面白さにどっぷりはまっている。飲食業界にはユニークな考え方の社長が多いから、とても興味深い」。
新規出店を重ねるたびにめきめきと頭角を現し、最近では雑誌や新聞などでも取り上げられるようになった株式会社ファーストリング。動向の著しい飲食業界において、現在32歳の阿部社長は、いまもっとも注目される若手ホープの一人であることは間違いない。

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