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第342回 株式会社イエローズ/株式会社シェアハピネス 代表取締役 白根智彦氏
update 12/12/25
株式会社イエローズ/株式会社シェアハピネス
白根智彦氏
株式会社イエローズ/株式会社シェアハピネス 代表取締役 白根智彦氏
生年月日 1965年1月19日
プロフィール 埼玉県熊谷市に生まれる。中学から軟式テニスをはじめ、高校ではインターハイにも出場している。大学は学習院。卒業後、ベッカーズ株式会社に入社。2年後、ベッカーズは、JR東日本レストランに買収され、ジェイ・ビー(JB)と改名する。このJB(現在のジェイアール東日本フードビジネス) で22年勤務したのち、2011年2月に独立開業。プロデュースを手がけながら、2012年10月現在、直営店舗「ぶーみんVinum新川バル」「ぶーみんVinum」の2店舗を運営している。ちなみに、バイクは大型の限定解除。ワインソムリエの資格も持つ。資格を取得するのが好きで、最終的には「司法試験」にチャレンジしようと考えている。
主な業態 「ぶーみんVinum新川バル」「ぶーみんVinum」
企業HP http://www.yes-rose.com/

何不自由のない生活。

日本でいちばん暑い町として知られているのが、埼玉県熊谷市。2007年8月には40度を超えたというから、暑くなった日本でも、群を抜いている。
この熊谷市に白根が生まれたのは1965年。1964年に、東京オリンピックが開催され、いよいよ日本も復興の足音を高めていく時代である。だが、熊谷市は埼玉県でも北部に位置しているため、復興の足音はなかなか響いてこなかったかもしれない。
とはいえ、白根家は、地元の名士。父はサラリーマンだったが、母は、地元で有名な白根家の長女だった。だから、昭和40年代でも、白根は何不自由なく暮らすことができた。「小さな頃からいいものばかり食べていました」と白根本人もそう言っている。

テニスにハマる。

中・高とテニス部に所属。中学時代、なんとなく「格好がいいから」と始めた軟式テニスが、白根の少年時代の大部分を占めることになる。中学では関東大会、高校ではインターハイにも出場。朝から晩までテニス漬けだった。「おかげで、ぜんぜん勉強しなくなっちゃって。それでも高校に進学した頃までは、東大を真剣にめざしていたんですが、高校3年間も、テニス一本やりでしょ。進学時には、まったく話になりませんでした」。
テニスに明け暮れた6年間にプラス1年間の浪人生活を経て、「学習院」の門をくぐった。
「大学ではテニス同好会に入ります。勉強そっちのけで、よくあれほどテニスばかりしていたもんです。大学の近くにアパートを借りて、平日の月〜金は、そちらで寝泊りしていました。週末だけ熊谷に帰って家庭教師のアルバイトをしました。高校は男子校。大学では女子もたくさんいたし、同好会だから尚更なんですが、私は部活動みたいな感じでやっていたと思います。いま思えば、もう少し勉強にチカラを入れておくんでした(笑)」。

ベッカーズ、入社。

テニスに始まり、テニスで終わる4年間だったが、「最後の数ヵ月は、さすがに少しは勉強した」と白根。まさか、飲食に進むとは露ほどにも思っていなかったが、ベンチャーという響きが、思いも寄らなかった「就職先」に白根を引き込むことになる。
「丁度ね。ベンチャーという言葉が露出され始めた頃です。いわゆるベンチャー企業、またはベンチャービジネスという奴ですね。少し勉強していた時に、『ベンチャー』という言葉を聞いて、ベンチャービジネスに関心を持ったんです。そんなときに、あるベンチャー企業の説明会で、ロイヤルの副社長の『井上恵次』という方が来て直接面談するというのがあって、とにかく一部上場企業の副社長が直接面談するということに惹かれて参加してみたんです」。
この時出会った井上恵次氏を白根は「今まで出会ったなかで最もインパクトがあった人」と語っている。井上氏の引力に引っ張られるように、白根は、井上氏らが立ち上げた会社に就職する。
同期は33人。「30年後に世界一になる」そんな壮大な話に乗った、「ベッカーズ」第一期生たちである。白根ももちろん、そのなかの一人。取締役には、大手食品メーカー、大手商社の社長の名もあった。日本発のハンバーガーショップが世界を制する。できないことはないと思ったに違いない。これぞ、ベンチャー精神と思ったかも知れない。
父や母の反対も押し切り、ハンバーガーショップの「ベッカーズ」に入社した。

壮大な賭けはとん挫も早かった。

ベッカーズが立ち上がり、白根たちが入社して2年。JRの子会社だった「ジェイアール東日本レストラン」が「ベッカーズ」を買収した。経営陣にとっては、苦肉の戦略だったはずだが、スタッフたちにとっては寝耳に水だったのではないだろうか。
ちなみに「ベッカーズ」を買収した「ジェイアール東日本レストラン」は、両社の頭文字を取り、社名を「ジェイ・ビー」に改め、子会社化する。2001年にはこの「ジェイ・ビー」を吸収し、現在の「ジェイアール東日本フードビジネス」に社名変更している。
さて、「ジェイ・ビー」誕生当初。一方はベンチャー精神に惹かれた若者たち。一方はJRの関連会社。風土も、年齢ももちろん違った。「退職金や、労働組合といった話を聞いたのは、ジェイ・ビーになってから」といって白根は笑う。壮大な賭けはとん挫も早かった。賭けに敗れ、スタッフたちだけが残されることになる。もう、世界一は追いかけられないのだろうか。

足かけ22年。

しかし、白根にとって、「ジェイアール東日本フードビジネス」に生まれかわったことは悪いことではなかった。ハンバーガーだけではなく、さまざまな商品や業態を経験することができたからだ。また、「駅構内への出店ノウハウ」も、JR関連だから生まれたものだ。
さて、ジェイアール東日本フードビジネスで白根が開発に関わった業態をざっと取り上げてみよう。ハンバーガーショップの「ベッカーズ」、コーヒーショップの「ベックス」を皮切りに回転寿司、おにぎり屋、立ち食いそば、ラーメン、ちゃんぽん、ジューススタンド、イタリアン、カレー、和食、居酒屋…。その数は、約30業態となるそうだ。一つの業態を開発するだけで、それなりの経験値がたまる。約30業態ともなれば、その経験値は、ほぼオールラウンドといえるのではないか。
「結局、22年、お世話になりました。大学時代には、まさか飲食の仕事をするなんて思ってもいなかった人間が、『ベンチャー』という言葉に惹かれ、この業界に入り、22年どっぷりと浸かりました」。「それで、もういいやとなるんじゃなく、よし、次は、と思えるのがこの業界の魅力じゃないでしょうか。経験を積んで、自信ができた時、私も、多くの先輩たち同様、独立開業という道を選択しました。2009年のことです」。

独立、開業。

起業を決めるまでには、さまざまな人との出会いがあり、それが引き金になったともいえる。「スクーリング・パッド」という起業家たちの塾にも通った。そして、株式会社イエローズを起業する。これが2009年のことである。
ただし、当時は共同経営者の飯田真弓氏が代表を務めていた。白根が代表を務めるようになったのは2010年2月1日から。前職を退職した翌日からである。
直営店舗は「ぶーみんVinum新川バル」と「ぶーみんVinum」の2店舗。今後ももちろん、出店は行っていく予定だ。
しかし、白根にはプロデューサーというもう一つの顔がある。約30業態の開発に関わった白根だからできるプロデュースに多くの人が期待を寄せている。
そのうえ「バーガー研究家」という肩書もある。ハンバーガー業態の「今」を切り取るなど、経営の視点からも鋭い指摘を披露している。
「忙しくってなかなか」と白根。店舗からもなかなか離れられない様子だ。だが、店のほうが、今以上に軌道に乗れば、ますます白根は多忙になる、そんな気がする。
彼の経歴、人間性、そしてプロデュース力を知れば、誰もが放って置かないと思うからだ。

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