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第35回 株式会社ヴァティー 代表取締役 松本智氏
update 09/02/17
株式会社ヴァティー
松本智氏
株式会社ヴァティー 代表取締役 松本智氏
生年月日 1963年生まれ。
プロフィール 大学在学中にジーンズ販売などの商売をスタートさせ、当時、家が一軒建つほどの大金を貯める。
それを独立資金にして起業するが失敗。バブル崩壊などの影響で、不動産事業で一度、事実上の倒産を経験する。その後、飲食事業に参入し成長。現在は介護事業も収益の柱としている。
主な業態 「舞桜」「三代豊国」「粟田口」など
企業HP http://www.vati-foods.com/
飲食事業と介護事業を二本柱としている株式会社ヴァティー。社長の松本智氏は、大学在学中に商売をスタートさせ、独立資金700万円を自力で貯めた。これは、当時、家が一軒建つ大金に近かった。しかし独立後、半年で水の泡となってしまう。その後、30億円の借金…。お金により、人生の「明」と「暗」の両方を経験した経営者。しかしだからこそ、彼の言葉には凄みがあり、経営とは、人間の生きる力そのものなのだと発見させられる。

株式上場を目指し、飲食事業に参入。現在11店を展開中。

 東京・新橋を中心に、地酒と和食の店「新橋 居酒屋 粟田口」など、飲食店を11店展開している株式会社ヴァティー。同社はもともと不動産事業からスタートしたが、現在は飲食事業と介護事業を二本柱として、ホスピタリティ産業の発展に大きく貢献している。
飲食事業への参入は、2002年の「無国籍料理 タヒチラマ」(東京・六本木)をオープンしたのがきっかけだった。その頃、“不動産不況”の時代と言われ、同社は飲食事業に活路を見出したというわけだ。
だが同社にとって飲食は未経験分野。もちろん一店舗目が軌道に乗るまでには多少時間がかかった。しかし、2004年ごろには順調に業績をアップさせ、東京・新橋エリアに和食店を次々とドミナント出店。調理技術の高い調理人でしっかり体制を固め、客単価5000円前後とは思えないお値打ちメニューで、新橋界隈の男性リピーターを掴んでいるのだ。
「自分と同世代の、いわゆる“おじさん”が当社のターゲット」と話すのは、同社 代表取締役の 松本智氏。根っからの外食好きで、「新橋のお客様の気持ちが手に取るようにわかる」と話す。“土地転がし”の不動産業では株式上場は難しいと判断した松本氏は、飲食事業に参入することで上場を実現させたい考えだ。年に3店のペースで飲食店を出店していく意向だ。


学生時代に家が買えるぐらいのお金を貯めた。だが、消えた!?

松本社長はこれまで一度も会社勤めをしたことがない。学生時代から自分で商売を始めてコツコツと貯蓄し、卒業後、そのまま独立したのだ。当時を松本氏は次のように振り返る。
 「僕はもともと独立志向が強かったので、家が1000万円で買える時代に、自力で700万円貯めました。学生時代は飯を食うことも我慢して、独立資金を貯めることに必死でした」。しかし、その資金が、独立して半年後には、水の泡となってしまう。
 「事業にお金をつぎ込んでいくうちに、700万円がすぐに消えてしまいました。俺の大学4年間を、返せ!って感じでしたね」。松本氏は淡々と続ける。
起業後すぐに700万円を失った松本氏は、その後、バブル崩壊を経験し、28歳で事実上、会社を倒産。人生、最初にして最大の危機が襲いかかってきた。気がついたら借金は30億円に膨れ上がっていた。すぐに不動産を売り払うも、5億円の借金が残った。毎月1000万円ずつ借金を返済するという暗澹たる日々が訪れたのだ。多額の借金を背負って、「10歩歩くたびに、“死にたい”と思う日」も経験したという。
お金は人を、容赦なく、人生の「明」と「暗」の果てに引きずり込むのであろう。でもだからこそ、開き直りとも思える前向きなしたたかさも、松本氏は持ち合わせている。
その後様々なノウハウを学び、借金は順調に減っていった。六本木ヒルズの高級マンションに住めるまでに復活を遂げたのである。
「飯を我慢してまで貯めたお金が、あっという間に消えた時のショックは大きかった。その時、僕は思いました。だったら、お金を持っているうちに、美味しいものをたくさん食べた方がいいんじゃないか?と。高級料理店によく足を運ぶようになったのは、こういう考えが芽生えたからでもあります」。


凄腕料理人が勢揃い。しかも離職率が低い。

現在、同社では、飲食11店舗トータルで社員約120人を抱えている。アルバイトは1店舗に1人程度。社員比率が非常に高く、離職率が低いのが特徴だ。料理人だけで約40名。中には、一流料亭からの転職者もおり、独立していった料理人の中にはミシュランの星を獲得した敏腕料理人もいるという。
「料理人の技術が非常に高いことが、当社の文化になっています。専門性の高い料理人を多く揃えているので、例えば、低価格居酒屋の出身者で、あまり志の高くない人などはすぐに辞めてしまうこともあります。当店には、解凍して盛り付けるだけの料理なんてひとつも置いていませんから。料理の腕がよく、しかも上昇志向の強い人間だけが揃っているのです」
 松本氏は高級料理店に足繁く通うことで、自ら“一流を知るお客”へと一層成長し、料理人たちと互角に料理のアイディアを出し合っている。経営者としての意見というより、“一流を知るお客”の一人として、料理人たちに率直に意見を伝えているのだ。「それが尊敬している料理人への誠意」だと松本氏は考えている。
「いま料理人は、料理ができればいいという時代ではなくなっています。当社の料理人の中には、技術を極めながら経営も学びたいという人が多いです。当社には、飲食はもちろん、介護事業の展開や、不動産事業での実績などもあるので、幅広く経営を学ぶことができます。当社の離職率が低いのは、そういった環境に価値を見出している社員が多いからではないでしょうか」。
社長自身も日々成長のため、盛和塾(塾長・稲盛和夫氏)で学んでいる。また、同社では各店舗の収益状況をすべての社員に公開し、全員が経営についても学べる環境を整えている。実践的な経営ノウハウを習得できる環境として、将来、独立を考える人々が集結している要注目の企業なのだ。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2
再出発を決意した頃(28歳) 盛和塾にて稲盛氏と(45歳)

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