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第355回 株式会社ワンダーテーブル 代表取締役社長 秋元巳智雄氏
update 13/04/01
株式会社ワンダーテーブル
秋元巳智雄氏
株式会社ワンダーテーブル 代表取締役社長 秋元巳智雄氏
生年月日 1969年7月5日
プロフィール 埼玉県草加市に生まれる。15代続く農業の次男で、兄と、姉がいる。「日大一高」卒業後、「明海大学」に進学。大学時代に、サントリー系列の「プロント(1号店)」でアルバイトを経験。その縁もあり、同じサントリー出資の「株式会社ミュープランニングアンドオペレーターズ」に就職。企画・プロデュース、サービス力研修に長け、数多くの飲食店をサポートして頭角を現す。1997年、クライアントであった「富士汽船」に、転職。当時専務だった林祥隆氏(現会長)らとともに、事業の改革を推進。2012年、林氏のあとを受け、現在の社長職に就任する。「富士汽船」は2000年に「ワンダーテーブル」に社名変更し、2010年に上場を廃止。現在、「モーモーパラダイス」をはじめ、「ロウリーズ・ザ・プライムリブ」や「バルバッコア」などの海外優良ブランドも多数誘致。予約も思うようにとれない人気店を多数抱えている。
主な業態 「鍋ぞう」「ロウリーズ・ザ・プライムリブ」「バルバッコア」 「ユニオンスクエア東京」
企業HP http://wondertable.com/

15代続く、農家の次男坊。

父は、土地を所有する資産家の顔も持っていたが、農業をライフワークにしているような人だった。幼少時代には、トラックに乗せられ、野菜を市場に卸しに行った帰りには、朝からラーメン屋に飛び込むこともあった。
食卓にも、もちろん採れたての野菜がならんだ。育てた食材を使った母の手料理が、秋元の原点である。
秋元には、兄と姉がいる。兄が、長男として厳しく育てられたことに引換え、次男の秋元は「勉強しろ」と言われたこともなかったそうだ。長男は、家を継ぎ、次男は家を出る。15代続いた家系だから、尚更、この鉄則が生きていた。
秋元は、小さい頃から愛想がよかった。だから親戚から商売人に向いていると言われていたそうだ。いずれ家を出る。少年にとって、それは義務と映っていたのだろうか、それとも権利と映っていたのだろうか。
ともかく秋元は愛想がいい、元気な少年だった。

サッカー少年は青年になり、「飲食」は天職だと思う。

いまでも秋元は、走る、走る。フルマラソンにも、トライアスロンにも挑戦している。だから、食べても太らない。飲んだあとに平気で、ラーメンも食べるそうだ。
改めて走りだしたのは、同業の経営者たちに誘われたこともあるのだが、もともと「スポーツが好き」という下地があったからだろう。
小・中時代にはサッカーをやり、いつもピッチでボールを追いかけていた。
代わりに勉強はあまりしなかった。中学卒業後、日大一高に進むのだが「勉強したのは、受験前の3ヵ月だけ」と言っている。
高校に入るとサッカーより、バイクや車が好きになった。大学は、浦安にある「明海大学」に進んだ。大学時代には、すでに数百万円もする車に乗り、実家のある草加市から浦安まで、毎日、車をかっ飛ばしたという。
「バイト先が銀座だったんです。だから、家と銀座と大学を車で行ったり、来たり。そうですね。大学より、バイトに行く回数のほうが多かったのは事実です(笑)」。
小さい頃から「飲食」というのが頭にあった。農業を営む、父母をみて育ったからだろう。サントリーとUCC出資の「プロント(1号店)」と出会うことで、その思いが具体化する。
愛想が良いと親からも言われていた少年が、「プロント」で大人たちの手本ともなる接客を行うようになる。
ところで、当時の「プロント」には、サントリーやUCCから有能な社員たちが集まり、フランチャイズビジネスの「仕組み」作りに奔走していた。
彼らの考えや行動は、秋元に何らかの影響を与えたはずだ。
ちなみに、アルバイトのスウィングマネージャーという肩書を持ったのは、「プロント」では秋元が最初。時給は、20年以上前の話にもかかわらず1300円、これにマネージャー手当1500円も支給されていたそうだ。
学生時代にホンダの「インスパイア」「レジェンド」といった高級車を購入できたのも頷ける。
秋元は、ますます「飲食を天職」だとも思うようになり、独立開業を志すようになる。

株式会社ミュープランニングアンドオペレーターズ入社。

秋元が社会人、また起業に向かって、第一歩を踏み出したのは、「プロント」同様、サントリー系列の「株式会社ミュープランニングアンドオペレーターズ」である。
サントリーグルメ事業部で勤務していた故吉本氏が立ち上げた新業態会社である。詳しくはHPをご覧いただきたいが、飲食店経営をはじめ、不動産物件仲介業務、商業施設のテナントミックス、商業施設の企画、設計業務、飲食店の経営コンサルタント、飲食店従業員研修など幅広い事業を行っている会社である。
この「ミュープランニング&オペレーターズ」で、秋元は現場経験の後、本部に勤務し、多くの飲食店の経営をサポートする。企画からプロデュース、サービスの研修が秋元のメイン業務である。心血を注ぐ秋元のビジネススタイルは多くのクライアントを魅了し、圧倒的な評価を獲得する。
仕事をする、その一方で、当時から友人たちと3つの飲食店を経営していた。まだ20代前半ば。天職とまで思った飲食事業で、はやくも経営者のチカラを開花していたことになる。

起業の思いを抱えたまま上場企業に転職したが。

1997年、秋元は、「ミュープランニング&オペレーターズ」の実績を引っ提げ、「富士汽船(当時、東証二部上場)」に入社する。社名からは想像しにくいが、以下の通り、すでに飲食事業をメインとする会社だった。「ミュープランニング&オペレーターズ」時代のクライアントの1社でもある。
当時の、秋元は、まだ20代半ば。そんな青年が、上場企業を改革していくことになる。
「富士汽船は、もともと三井船舶の水産部門として発足し、昭和24年に東証二部に上場します。富士汽船に社名変更したのは、昭和28年で、のちにレジャー・サービス業を幅広く展開するヒューマックスグループの系列会社となり、飲食等新規事業を開始します。これが、1991年のことです。飲食部門の1号店である『モーモーパラダイス』がオープンしたのは、1994年。私は入社したのはそれから3年経った時でした。現会長の林が(当時専務)が中心になって事業・組織の改革に取り組んでいた頃です」。
「林のほかにも、2人の仲間がいて、私を含めこの4人で改革を推進していきます」。
これはあくまで想像だが、二部上場の企業ともなれば、重い組織を抱えていたのではないか。古参の社員も少なからずいたはずだ。林氏は秋元より6歳上というから、まだ30代前半。あとの2人もいわば同年代である。若者たちのセンスと行動力で、ぜい肉をまとった組織をスリムに、シャープにかえていく、そんな戦いが始まった。
それでも、入社当時の秋元は、いずれ独立開業という志をなくしてはいなかった。「3年で辞めようと思っていた」と本心をのぞかせる。
「だけど、自分より先に、林以外の2人が退職してしまうんです。残ったのは、私一人。辞めようにも辞められない。そんな状況に追いやられてしまいました(笑)」。

現会長林氏とともに。

だが、けっして独立開業の道が閉ざされたわけではなかった。方法ならいくらでもあるはずだ。友人たちと経営していた店は、すでに手放していたが、同じような手もある。しかし、それをしなかったところをみると、秋元は起業すること以上に林氏に憧れ、ともに事業を推進する、その1点に天命を感じるようになっていたのではないかという気がする。
さて、これはご存じだと思うが、「ワンダーテーブル」は、現在、「食べ放題」「和食」「イタリアン」などさまざまな業態のオリジナルブランドを持つ。その一方で「ロウリーズ・ザ・プライムリブ」や「バルバッコア」などの海外優良ブランドを誘致するなどして、首都圏中心に多彩な展開を行っている。
洗練されたブランドの数々は、多くの消費者と魅了し、行列が絶えない店も多くあるという。特に、「ロウリーズ」や「バルバッコア」などは予約も思うように取れない人気店である。これらの店を誘致し、育て上げることにおいても、「ワンダーテーブル」は国内企業のなかでは抜きんでている。
それをよりたしかなものにしたのが、2010年の上場廃止といえるかもしれない。「株主とコミットし、利益の最大化をめざす」、これが上場企業のミッションである。しかし、誤解を恐れずにいえば、株主マーケットは目先の利益を優先する。年間数十店舗以上の出店、そんなIR情報をぶち上げる企業に株主の資金が向かうのは当然のことなのだ。
しかし、「ワンダーテーブル」の場合はいささか、その計算式とは相いれない部分がある。たとえば「ロウリーズ」や「バルバッコア」でもわかるように、出店したからと言ってすぐに利益が出る業態でもないからだ。投資額も大きい。つまり長い目でみなければならない。
両店とも、いまでは年間10億円近い売り上げをたたき出す店舗だが、出店当初は赤字も数年続いたそうだ。そういう時間軸で投資し、育成する。
そういう長期的な視野での事業育成は、上場企業には似つかわしくないやり方だ。
リーマンショック後に早期の改革の必要もあり、ワンダーテーブルは上場を廃止する。
上場という思いかせが取れ、ある意味、フリーハンドを得たことになる。
むろん秋元もこの決定に加わっている。

経営のプロをめざして。

専務の林氏が社長に就任するとともに、秋元も役員に名を連ねるようになる。2002年のこと。その後も、二人三脚で事業改革を推進した2人にとって、林氏の会長就任、秋元の社長就任は既定路線だったに違いない。
2012年、秋元は林氏の跡をついで、社長に就任する。
しかし、その社長のイスは秋元が少年の頃、思い描いた「社長のイス」とはいささか異なったすわり心地だったに違いない。「経営」の色合いを、より強く、より鮮明に映しだしたイスだったからである。
とはいえ、秋元はいまそれを天命と思っている。「経営のプロ」をめざすという一言にもその決意が表れている。
事実、秋元の活動はいち企業の社長という枠を超えている。さまざまな会を主導し、若手の飲食経営者をリードしているのも、その一例である。
社長に就任し、ストレスはないかと聞いてみた。
「むろんなくはない」と言いつつ、そのストレスもまた楽しんでいるような笑顔をみせる。健康法は、「走る」こと。時間をみつけては、スポーツウェアに着替え、走り出す。
これも新しい飲食の経営者の姿。
これから、そんな新しい経営者が事業経営において、どんな走りをみせてくれるのか、楽しみでならない。

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