株式会社ふたご 代表取締役社長 李 純哲氏 | |
生年月日 | 1980年4月13日 |
プロフィール | 大阪市生まれ。在日韓国人3世で、母が定食屋を営んでいる。兄と姉、そして15分後に生まれた双子の弟の4人兄弟。双子の兄弟は仲も良く、「名前以外はぜんぶいっしょ」と言うぐらい同じ人生を歩んでいる。2人ともサッカーが巧く、小学生の時には「1億円の右足」と言われたそうだ。共に東京の大学に進学。いったん二人して大阪に戻るが兄の李は再び東京へ。雑誌で株式会社トラジの代表取締役社長、金信彦氏を知り、炭火焼肉「トラジ」に入社。みるみる頭角を表し、27歳で子会社の社長に就任。30歳で独立し、2010年、株式会社ふたごを設立する。昭和のテイストを取り入れた大阪焼肉・ホルモン「ふたご」は、予約も取りにくい繁盛店となり、数多くのメディアで取り上げられている。 |
主な業態 | 「大阪焼肉ホルモン ふたご」 |
企業HP | http://www.yakiniku-futago.com/ |
李が生まれたのは、大阪の鶴橋である。鶴橋は、焼肉や韓国料理のメッカで、JR鶴橋駅を降りるといい匂いが鼻をつく。在日韓国人も多く、韓国料理の店も少なくない。李が育つのは、鶴橋から少し離れた大東市の住道という町だった。
李には、8つ離れた兄と2つ違いの姉、そしてもう1人、双子の弟がいる。父の薫風もあるのだろう。双子の兄弟は、運動神経が抜きんでていた。
「ベンジョンソンがつま先で歩いていたという話をどっかで仕入れてきたんやと思いますが、おれら2人は、かかとに画びょうを刺した靴を履かされていました。こうすると、つま先で歩かなしゃぁないでしょ。もう、巨人の星みたいな話ですわ」。
「せやけど、この話には続きがあって、ある時、この画びょうが刺さって血がでたわけです。それで、うちのおかんが知ることになって。『だれが洗濯すると思うてんねん』って怒りだしました。これで、救われたと思ったんですが、画びょうが、ゴルフのピンにかわっただけでした(笑)」。
そういう薫風?もあり、2人ははじめたばかりのサッカーでみるみる頭角を表していく。「肉もガツガツ食うてたから背も高かったんです。2人でツートップやっていました。そうですね。小学生の頃は、負けた記憶がぜんぜんあらへんのです」。
「1億円の右足」とも言われたそうだ。「中学から、ブラジルへ」という育成計画も組まれていたそうだ。
そういう昔話を語ると、「ほんまかいな」と疑う奴がいるそうだ。
「それで、この間、大阪帰って写真撮ってきたんですわ」と1枚の写真をみせられた。
それをみてたまげた。トロフィーが60個ぐらい映っている。それでも、「小学生の時だけのもの」とのこと。「1億円の右足」と言われていたことにも、素直に頷けるようになった。
「おれらのピークは小学生です。ほんで徐々にみんなとそうかわらへんようになっていきます」。それでも、高校からも、大学からも誘われた。ただし、小学生時代の「ブラジル行き」は、とん挫する。
サッカー一筋の少年である。しかし、本人はどれほど一途に考えていたのだろうか。もちろん天狗にもなったはずだが、その一方で騒がれている己に首を傾げたこともあったのではないか。
ともあれ、天才サッカー少年の人生は大学時代に幕を下ろす。
ひとつ双子の話がある。
高校時代のこと。悪さの止まらない双子に関し、当時の監督が業を煮やし、兄の李に話かけた。「おまえら二人がいっしょにいたらろくなことにならへん。せやから、2人のうち1人は辞めてもらう」と。
話かけられたのは、兄の李。校門で待っていた弟は、涙を流していたそうだ。いまでも誰にも言いたくないような話。
2人で一つのはずが、別々の道を歩んだことになる。兄は、そのままサッカーに。弟は、格闘技に向かうことになる。
それでも、大学は2人して、仲良く東京の大学に進学した。
「才能」。いつも、この言葉の扱い方に困ってしまう。たしかに、「才能」と呼べるものはあるような気がするが、何を持って「才能」とするか、その定義があいまいである。
サッカーの才能はあったが、それ以外の才能といえば、なにがあったのか。大阪人特有のトークが李のもう一つの才能である。そんな気もしなくはない。
そのトークを惜しげもなく使い、おもしろおかしく、話してくれるのが大学時代である。生活費のほとんどはパチンコで稼いだそうだ。わざわざ遠征に行き、「しこたま稼ぐ」のだという。だからと言って、金に固執する性格ではない。むしろ、それ以外を大事にする。 なにしろ、昭和の男でもあるからだ。
しかし、「ちゃらんぽらんな生活を送っていた」と言われれば、頷くほかない。
ただし、何をやるにしても、たいていまんなか以上はできた。だから就職してからも、ある程度の成績を残す。
「とにかく、なんでもできた」。
この一言が、李の昔話に共通していることである。
危ない橋も渡った。商品先物という仕事も経験した。リスクを冒すぶん、収入も良かった。ただ、どこかでそれでいいのかという思いもあった。大学を卒業し、2人はいったん大阪に帰省する。
「弟はそれで大阪の会社に就職するんですが、ぼくのほうは、もう一度東京へ、と。弟がサッカー部を辞めて、互いに違う道を歩んだことはありましたが、ここで初めて進路が分かれたんです」。2人はいったん違う方向に進路を取る。李は、ふたたび東京行きの新幹線に乗り込んだ。
再度、東京に来た李を待っていたのは、なんだったんだろう。希望か、それとも。たとえそれが何であれ、強烈なエネルギーで、一気に突破するのが李流である。
雑誌で株式会社トラジの代表取締役社長「金信彦氏」を知り、金氏に惹かれるように炭火焼肉「トラジ」に入社。入社後、一気に頭角を表す。
23歳で入社、24歳で店長、26歳でSV、27歳で子会社代表に就任する。主に赤字店を黒字転換させるのが、李のミッションだったそうだ。26歳の時には、別の進路を進んでいた双子の弟も、トラジに入社する。これで、また強力なコンビが生まれたことになる。
そして、2人が30歳になった時、会社を設立。それが、株式会社ふたごである。屋号は大阪焼肉・ホルモン「ふたご」。
2013年4月現在で10店舗になろうかという勢いで成長している。店舗数だけではない。各店が、繁盛を極めている。昭和の大阪の焼肉が、平成の東京でウケにウケている。「はみでるカルビ」は、テッパンメニューである。タレは、もちろん母の秘伝。「大阪の焼肉のメッカ、鶴橋で鍛えられてきた味はだてちゃいますよ」と李。
親孝行も、できている今がうれしい。それに、つねに分身がいる。それも心強い。
「そりゃ、最強、ちゃいますか?」と李。たしかに、李が1人いるだけで、凄い。2人いて、しかも連携抜群ときたら、だれもが「最強」だといいたくなるところだ。
「親への感謝を忘れない」これもふたごの社員にも徹底している。
それは、社員本人の誕生日に、会社から親に贈り物をする「親孝行手当」という制度である。自分を生んでくれたその日に親へ感謝する。その気持ちを社員には忘れないでほしい、というのが双子の経営者の想いである。
最強の双子が、つむぎだす、新たな世界に期待したい。
ちなみに目標は5年で100店舗。日本での出店は100店舗で止めて、海外に進出し海外で店舗展開予定。来春からは新卒採用にも積極的に取り組んでいくとのこと。
米が主食の日本、ハンバーガーが海外からきてパンの文化が根付いた。
主飲がお茶の日本、コーヒーが海外からきてコーヒーの文化が根付いた。
海外での肉料理はステーキが当たり前だが、それを焼肉文化に変えていく。みんなが思っている常識を変えていきたい。
飲食を「ピープルビジネス」と呼ぶ李だけに、人に対する思いも熱い。その基盤がある為に海外展開もしっかりと考えている。今後のふたごの動きには大注目である。
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