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第370回 株式会社ナチュラ 代表取締役 河合倫伸氏
update 13/06/25
株式会社ナチュラ
河合倫伸氏
株式会社ナチュラ 代表取締役 河合倫伸氏
生年月日 1979年8月17日
プロフィール 神奈川県川崎市に生まれる。両親は保険会社を経営。姉と2人の兄がいる4人兄弟。男兄弟全員、運動神経に恵まれ、末っ子の河合も高校時代バスケットボールでインターハイに出場している。スポーツ専門学校に入学し、スポーツトレーナーをめざしていたが、オランダから掛かってきた長兄からの電話で人生が転換する。ヨーロッパを転々として、生きることの厳しさを痛感するとともに改めて日本という国の豊かさを感じた河合は、帰国後、独立を志すようになる。そして、27歳。イタリアン酒場「ナチュラ」を、川崎市「向河原」に開業する。この店が、連日長蛇の列が絶えない「ナチュラ」のスタートを飾る。
主な業態 「ナチュラ」
企業HP http://natura-group.co.jp/
河合氏が生まれたのは、1979年の川崎市である。2013年現在で、34年経ったが、河合氏はいまも川崎市を根城にしている。「飲食から街づくりを!」がいまのビジョン。今回は、川崎市が生んだ、超人気のイタリアン酒場、株式会社ナチュラの代表取締役、河合氏に話を伺った。

「坊主はモテねぇぞ」の一言で、バスケットボールへ転向。

姉と兄2人、兄弟はいまも仲がいいという。
両親は保険会社を経営。末っ子の河合の面倒は、姉と兄たちが良くみてくれた。河合を含め男兄弟3人は、スポーツが得意で、水泳選手だった長兄は小学生時代に選抜され、渡米までしているそうだ。次兄はサッカー。河合、本人は野球を選択した。
「ファーストとか、ピッチャー、キャッチャーもやったし、サードもしました。打順は5番。それなりに強いチームだったので、入学前から中学の野球部から特別扱いを受けていました」。
ところが長兄の一言で、野球を断念しバスケットボールに走る。野球部入部が既定路線だったこともあって、一時期、先生や顧問、監督などが騒然としたらしい。そんな騒動のきっかけとなったのは、「坊主はモテねぇぞ」の一言だった。
そんな経緯もあって、中学からはじめたバスケットボールだが、こちらでも頭角を表す。ただし、学校自体は弱く、大会で勝ち残るような成績を収めたことはない。もっとも河合は、選抜にも選ばれている。
なかなか勝てないうっぷんを晴らしたのは高校時代。県大会でも、つねに優秀な成績を残すことができた。
「たまたまなんです。ぼくらより1つ上ぐらいから、選手を集め始めたそうなんです。最初はそれを知らないもんだから、弱くはないけど、それほど練習もきつくない学校に入ったつもりでいたんです。でも、ぜんぜん違うんです。先生たちの目の色からして違いました。もう、唖然とするばかりです(笑)」。
「ぼくらが一応、最強の世代と言われるようになるんですが、試合前の練習から他のチームとはぜんぜん違います。190センチオーバーの選手がバンバンダンクを決めるんですから。そりゃ、相手チームは勝てる気がしなかったんじゃないですか。練習も厳しかった。それに、ケガをしないようにバスケット部員は、体育祭にも出られないし、海水浴に行くのも許されなかったんです(笑)。正直いうと、何度も辞めさせてくれって思いました。でも、いま振り返ると、あの時のことがあるから、たいていのことにビビらずに喰らいついていけるんだと思います。『しんどい』ことでも、たいてい平気ですから」。

スポーツトレーナーをめざして。

「でも、もう一度、あれをやれ、って言われても絶対できません(笑)。体罰ってあるでしょ。やっていいかどうかは別にして。ぼくらの時代はあたりまえでした。ぼくなんか、体育館の端から端まで、下がりながらピンタを喰らいつづけたこともあるぐらいです。それでも好きだからできていたんでしょうね。でも、実は、最後の最後で、部も、学校も辞めることになるんです」。
卒業まで残すところあと半年。友人らと駅のホームにいたところ人違いで同じ高校生から文句を言われた。相手は人違いに気づかず殴ってくる。ケンカにならないほうが不思議なシチュエーションだった。しかし、罰則を受けたのはこちら。部も辞めさせられ、学校も退学。推薦で決まっていた大学の話もパーになる。
処分が下ってから問題の発端が相手だったことも分かったが、文字通り後の祭り。他校に編入し、高校は無事卒業できたが、もう進める大学もない。そこで、河合は声をかけてくれたスポーツ専門学校に進学することになる。
その学校には、当時、もっとも有名なスポーツトレーナーも講師として在籍していた。そういう講師陣からも刺激を受け、河合自身も在学中からフリーのスポーツトレーナーとして、著名な格闘家のトレーナーを務めていたそうだ。名前はだせないが、TVにも何度も登場するような選手だった。
卒業後は、精神病院に勤務した。重度の精神病患者を相手にトレーニングを行っていたそうだ。1年契約。契約終了後に、一本の電話がかかってきた。

海の向こうへ。

長兄は早くから海外に渡っていた。この時は、ある企業の日本進出のキーマンとしてオランダに招かれていたそうだ。その兄から電話があった。
「昔から兄は怖い存在。言われたら、『いや』とは言えないんです。この時も『こっちにこないか』と言われ、契約もちょうど切れた時期だったもんですから、『わかった』と言って、向こうに飛びました。ぜんぶで100万円ぐらい持っていったんですが、『盗られたらいけない』と言ってぜんぶ兄に取られてしまうんです。弟を招いておいて金を取るとあとは知らん顔です(笑)。『何なんだ、こいつ』と思いながら、せっかく来たんだからと、せっせと周辺諸国を旅しました」。
「言葉も通じないのに一緒にバスケをしたり。現地の人たちと素のままで接しているといろんなことがわかってきました。『日本の文化の凄さ』に気づいたのも、この時です。たぶん、兄はそういうことをわからせてやろうと思っていたんだと思います。ブルガリアに行った時の光景は、いまも忘れられません。ちょうど兄貴もいっしょにいて『危ないから外ではタバコを吸うな』というんです。それでも、少しなら大丈夫だろうと出ていくと、15〜20人ぐらいでしょうか。靴も履いていない子どもたちが、『何かくれ』って一斉にぼくの下に来るんです。日本でそんな光景みたことありますか? 『タバコならある』、ぼくはそういったんです。すると1人の小学3年生ぐらいの子が、『おかぁさんのためにアメと交換してくれ』っていうんです。頭を叩かれた思いがしました。靴も履いていない子どもたちなのに、たぶん、おなかもすいているだろうに、自分以外の誰かのことを気にしているんです。そういう子どもたちをみていると、日本に生まれたことの喜びと、そういう日本で生まれたのだから、何かをしなければと思うようになったんです」。
海の向こうに渡って、気づいた日本の良さ。恵まれた環境にいるのだから、何もしないのは「悪」である。というか、おなじ人間として申し訳ない気がした。結局、3ヵ月後帰国。この間、訪れた国は8ヵ国に及ぶ。

行列のできる店、誕生。

独立を志すその先に、飲食があった。飲食の勉強をするために、とあるイタリアンレストランでアルバイトを開始する。その一方、フェスティバルやイベントの際には、個人で屋台を出店した。
「独立するとしたら、もう一直線です。そのためにはどうすればいいか作戦を立てていました。ちょうどパティシエの勉強にヨーロッパに渡っていた次兄が帰国し、店をはじめたので、その立ち上げにも参加し勉強しました。海外には、その後も良く行きます。もちろん料理の勉強というはっきりした目的を持って行くようになったわけですが…」。
スペインのタパスとイタリアの料理を融合させたような店を!という構想もでき、物件も格安で手にすることができた。「いっしょにやろう」という仲間もできた。独立、開業。いよいよその時がくる。河合、27歳。
「物件もみつかったので、ふつうなら、ヨシってわけなんですが。ぼくらは、このままオープンしてもダメだと思っていたんです。立地が立地でしたし、お金もないから、もとの中華料理屋を改装できない。そこで、とにかく、1日100食売れるまで、駅前で弁当を出そうと、それが広告にもなると考えたんです」。
「いい意味で誤算でした。人気に火がついて1日100食どころか、200食も出てしまうんです。噂を聞きつけたTV局から出前の注文も入ってきます。もう、このまま弁当屋をつづけようかって話にもなったんですが(笑)。初志貫徹。『今度、店をオープンするんで、食べに来てください』って頭を下げて、店をいよいよオープンさせます。9坪の小さな店です。その店がオープン当初より、お客様が並ばない日はないぐらいの人気店になっていくんです」。
行列のできる店、誕生。イタリアン酒場「ナチュラ」はいつも人で溢れるようになる。

1年、1店舗のペースで。

創業店である「向河原」の店はもうない。現在は川崎市中原区新丸子町と川崎市中原区小杉町にある2つの店で、河合のイタリアンを味わうことができる。もっとも、いずれの店にも、予約を入れておくのがベストである。
もしくは1〜2時間待つのを覚悟するかどちらかだ。
「TVの取材とかは、いまはご遠慮しているんです。いまでも1〜2時間の待ちがでるわけですから。TVでお客さんが増えると、常連さんにも申し訳ないですから」。
「出店ですか? たしかに、いまはこれだけ待ちのお客様もいらっしゃるわけですから、新たにオープンしても来ていただくことができると思います。でも、店づくりってそんなに簡単なもんじゃないとぼくらは思っているんです。次々に店を立ち上げて、それでぜんぶの店を好きになれますか? ひょっとしたら従業員の顔もわからなくなるかもしれません。お客様には申し訳ないですが、そういう店のつくり方は嫌だし、ぼくは間違っていると思うんです。だから、1年に1店。そういうペースで、ぼくらが愛情を持てる店をゆっくり、しっかりつくっていきたいと思っています」。
人気に流される経営者が多いなか、しっかりと地に足がついている。
これも河合らしいところかもしれない。
ぶれないところが、河合の本領。ブルガリアで観た光景が、河合をそうさせているのかも知れない。スポーツ万能の少年が、飲食という世界でいま戦っている。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
幼少時代 高校バスケ時代(インターハイ出場) 成人式
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
スポーツトレーナー時代 オランダにて 27歳頃。ナチュラ前にて
 
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