株式会社バックパッカーズ 代表 佐藤 卓(たかし)氏 | |
生年月日 | 1967年3月22日 |
プロフィール | 埼玉県出身。中央大学法学部法律学科卒業後、91年、日産自動車株式会社に入社。98年から2002年まで、NISSAN NORTH AMERICAでの海外勤務を経て、04年2月退職。同年3月より株式会社スマイルズで約2年半勤務し、「トーキョールー」ルミネ新宿店店長などを務めたのち、07年3月、東京・代々木に「野菜を食べるカレー camp」を開業。2010年8月には、ライセンス店舗としてJR池袋駅構内に「野菜を食べるカレーcamp express」をオープン。 |
主な業態 | 「野菜を食べるカレーcamp」「野菜を食べるカレーcamp express」他 |
佐藤が生まれたのは1967年3月22日。埼玉県出身である。父親は、不動産関連の企業を経営。芸能プロダクションも経営したこともある敏腕経営者である。両親の印象を伺うと、父は寡黙で優しく、母は陰でそんな父を支えるタイプということ。佐藤自身は頭が良く、お調子者でクラスでは人気者だったそうだ。
中・高では剣道部に所属していた。中・高とおなじ部活動だったが、勉強の方は、まるで別人のように落差があった。中学では悪くても3位以下に落ちたことはない。反面、高校ではビリから数えたほうが断然早い位置にいた。中学ではいずれは東大へと周囲も思っていたが、高校では大学進学まであやぶまれるまでに落ち込んだ。
「高校に行ってからは勉強に熱が入らなかったんです。中学時代はたしかに成績は良かったんですが、ガリ勉でも、マジメでもなかった。授業中もノートの一つとらないんですから。いま考えれば、良く先生も怒らなかったものです(笑)。高校は、県立浦和高校に進学します。でも、勉強しなくなっちゃったんで大学は結局2浪。現役の時は一ツ橋と早稲田を受け、失敗。1浪の時は、京都大学を受けて失敗。2浪の時も、まだまだと思ったんですが、父から『負けたことを認め次に進め』と言われ、その一言で踏ん切りがつき、中央大学に進みました。大学では法学会というサークルに入り、弁論大会では全国2位にもなりました。もともとお調子者ということもあって、この頃は、ちょっとした有名人でした」。
「法学会」とは中央大学公認の法律討論サークル。歴史のある中央大学でも最古のサークルと言われている。HPによれば、「法学会は関東学生法学連盟に所属しており、毎年4〜5の法律討論会に参加します」とある。佐藤が全国2位になったのは、このような法律討論会のことだろう。
こんな佐藤を企業がほっておくはずがない。
「就職は、司法試験受けて弁護士になるか、民間でユニークな仕事をするか、卒業ギリギリまで悩んでいました」。選り取り見取りといえばほめすぎかもしれないが、時代はバブル真っ盛り。企業の門戸は、史上最大にまで開かれていた時代でもある。この時、佐藤は日産自動車を受験し、合格。以来、13年、日産が佐藤のフィールドとなる。
では、その日産時代を振り返ってみよう。
佐藤は、絵を描いたり、モノをつくったりするのが好きだった。「発明コンクール」で賞を取ったこともある。そんな経歴もあり、モノづくり企業の代表である自動車会社を選択したに違いない。所属部門は法務部。のちに商品企画部にも籍を置いている。
「私が就職した90年〜92年は、まさにヴィンテージイヤーです。日産はGTRやシーマをリリースし、トヨタはレクサス、ホンダはNSXと、いずれの会社も熱烈なファンを生む車を作っていました。しかし、バブルが去り、自動車メーカーにも苦難の時代が訪れます。私はのちに4年間ロスに駐在するんですが、この時に、カルロス・ゴーンがやってきました」。
バブル前後は、自動車メーカーだけではなく、日本企業全体が、大きな波に飲み込まれていった時期である。企業も、人も委縮する。そのような状況にあっても、現状を改善しようと高い志を持ちつづけた社員もいる。佐藤もその一人だった。
「ロス時代のことです。当時、アメリカではセダンではなくトラックが好調に売れていました。だから私は、『フルサイズトラック参入やダットサンブランド復活などをやるべし』と「ゴーン社長に直訴状を送りました。今考えると気恥ずかしいやんちゃ時代の武勇伝です」。ところが返事がない。メール1本では失礼かと思って、絵を描いてワードで文章も添付して。もともとモノづくりが好きなんで、こういうのは得意なんです。プレゼンだって自信マンマン。ところが、ようやく返ってきたメールには一言『やめてくれ』って(笑)」。
「あれには、へこんだ」と回顧している。
日産といえば大企業。なかなか意見が通らないのも当然だろう。しかし、アメリカの自由な風土、実力主義の世界に染まった佐藤にとっては、首を傾げる事実だった。意見が上司に上げられることも、図られることもなく押し返されてしまったことに、唖然ともしたことだろう。
佐藤の心が「大企業」という硬直的な組織から離れていく。
起業を考えはじめたのも、この頃である。
その一方、アメリカの風土にますます魅了されていった。アメリカに定住するためにグリーンカードの取得も進める。25歳で結婚もし、夫婦でスモールビジネスをやりたいと考えるようにもなっていた。
「退職の潮時と思ったのはモーターショーで商品企画を担当していた新モデルがデビューし、その楽しさを体験した時」と佐藤。一つのことを突き詰められたという思いに至ったからだろうか。
これで日産時代が終了。代わりに、元日産、エリート社員の「起業への道」がスタートした。
なぜ、飲食で独立しようと考えたのか。その理由は、単純だ。「食べることが好きだったから」である。アメリカ時代には、日本食にも詳しいということで、「LAタイムズ」からの取材も受けている。
アメリカ定住と起業を同時にめざす佐藤は、日本食をアメリカに紹介する店をつくろうと考えた。それも、すでに地位を確保している「寿司」「天麩羅」「蕎麦」ではなく、もっと新しい日本食の。その結果、カタカナ業態に狙いを絞り、カレーやトンカツというメニューが頭に浮かぶようになった。
「西海岸の人たちはカレーを知らないんです。カレーハウスはたしかにありましたが、決して旨いとは言えない。揚げ物がバンバン投入されて、ジャンキーな食べ物というイメージです。だから、カレーで行こうと決めました。そして2005年に帰国し、スープストックなどを展開されている株式会社スマイルズの遠山社長の下で学び始めたんです」。
父親からは、反対された。「日産を退職したことをいずれ後悔するとまで言われた」そうだ。しかし、佐藤は意に介さない。まっすぐ自ら決めた道を進みはじめた。
「スマイルズには、2年お世話になりました。この間にカレーのレシピも決まっていきます。私が考えたのは、ハイカロリーな男のカレーじゃなく、女性向けのヘルシーなカレーです。いずれアメリカで、とも思っていましたので、この切り口はいい。それに女性は大のカレー好きなんです。ある調査によれば、94%の女性がカレー好きと答えています。ますますこれで行こうと。1号店をオープンさせたのは、2007年3月です。代々木に『野菜を食べるカレー camp』を開業したんです」。
むろん、勝算はあった。アメリカ進出を念頭に開発したヘルシー&エンターテインメントのカレー料理である。たちまち人気化する、はずだった。だが、予想に反し、まったく売れなかった。
私生活では離婚も経験。家をなくし、しかたなく寝袋にくるまり店で眠ったこともある。みかねてお客様の一人がアパートを貸してくれた。客数は少ない。だが、その少ないお客様のなかに佐藤の人間性や、佐藤のカレーに魅了される人も少なからずいた。アパートを貸してくれた人もそうだし、いつも夫婦で食べに来てくれる熱烈なファンもいた。そんなお客様の声に、佐藤は真摯に耳を傾けた。
しかし、開店休業とかわらない日々は、それからもつづいた。
つい数年前までは、数百億円のプロジェクトを動かしてきた佐藤である。日の売上が数万円。月末なると支払いにも汲々とする生活に、どのような思いで対峙していたのだろうか。
「当時、代々木のアパートに住んでいたんですが、アパートを出ても足が店に向かないんです。登校拒否じゃなく、登店拒否です(笑)」。
「Camp」のカレーは、動画向き。センスあっても、それだけじゃだめだとたしなめられたこともある。「当時はほんとにつらくて。底辺をはいずり回っているようなもんでした」。「いずれ、後悔する」。そんな父親の一言も頭をよぎったのではないだろうか。アメリカは、もう遥かかなたの存在だ。
しかし、佐藤は、めげなかった。少ない客の声を拾いつづけ、何が足らないのか、何を足せばいいのか。模索した。底辺を知った経営者は強い。
「きっかけは、神戸でレトルトカレーの会社をされている方から、『中華なべでカレーをつくったらどうか』というアイデアをいただいたこと。そして、ある雑誌の企画でつくったカレーがちょうど成人が1日に必要な量だったこと。この2つが女性にも大人気の定番メニュー『一日分の野菜カレー』を生み出したんです」。
「一日分の野菜カレー」に投入される野菜は12品目以上、グラムは350gである。これは、厚生労働省が1日の野菜摂取量として推奨する量と一致する。だから、「一日分の野菜」というネーミングにもなった。この直裁なネーミングも分かりやすくヒットする要因の一つになったはず。このメニューを出すようになって、狙い通り女性客も増え、店のなかは客で埋まるようになっていく。
ちなみにこの代々木店は、10坪、18席で平均月商380万円。7割がリピーターだというからすごい。佐藤がリリースした、カレーの新たなカテゴリーとも言える「野菜を食べるカレー」に注目したのは、客だけではなかった。JR東日本グループからも声がかかり、現在、同グループと業務提携し、駅ナカに「camp express(キャンプエキスプレス)」を開発。池袋店を2010年に、品川店を2011年に出店している。2012年には大阪梅田にも出店。連日、列をつくっている。
また、今夏には、横浜美術館前の緑とランドマークタワーの絶景が広がる横浜みなとみらいに新業態の「camp coffee」がオープンする。
キャッチフレーズは「buzz here, biz there.(ワイワイ楽しいのはこっち、退屈な仕事はあっちでどうぞ・・・)」。
今までに食べたことのない食感のメインフード『手焼きホットサンド』と牧場直送ジャージー牛乳を贅沢に使ったカフェオレの専門店。
店内はまるでキャンプ場。 クーラーBOXやハンモックを改造した特注ファーニチャが置かれ、またあらたな「camp」ワールドが楽しめる新名所になるという。
グルメサイトでもいずれも高得点を獲得している人気店だ。経営的にも極めて安定している。グルメサイトの評価ではメニューはもちろんだが、スタッフのサービスについて評価する声も多かった。底を知った佐藤だから、その眼はやさしい。
佐藤のマネジメント力、人間性はこんなところにも表れている気がする。
だが、佐藤は現場が大好きだ。代われるものなら、だれかに社長を!とも思っている。スタープレーヤーが現場にいる、これが佐藤のやりたい店でもある。
最後に、アメリカはどうなりました? と質問をしてみた。
「将来はもちろんアメリカへというのが私の目標です。でも、昔のように焦らない。現場に入って、現場を育てて。そういうことをきっちりやって、それからアメリカです。成功する度にアメリカが近づいてくるって感じでしょうか」。
投げうった世界的企業のエリートポジション。苦しい時もあったが、それでも佐藤は、決して後悔しなかったはずだ。
世界の人を虜にする商品を自ら企画・開発する。それは、どんな仕事より、価値があると佐藤は思っているはずだからである。小さな時の発明王はいま、世界を相手にできるだけの、新しいメニューを作りだした。このブランドには、佐藤の大きな野心も隠れている気がする。
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