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第375回 株式会社スマイルリンクル 代表取締役社長 森口康志氏
update 13/07/16
株式会社スマイルリンクル
森口康志氏
株式会社スマイルリンクル 代表取締役社長 森口康志氏
生年月日 3月21日
プロフィール 広島県広島市生まれ。17歳から大手紳士服販売店でアルバイトを開始。18歳で正社員になり、23歳で最年少店長に抜擢される。全国500店舗中売上1位などの実績を残し、27歳で独立。9坪のお好み焼店を開業する。これが実質、飲食業のスタート。その後、しゃぶしゃぶ専門店、ホルモン専門店、おにぎり専門店などを展開し、現在はFC(御徒町、葛西、韓国、沖縄)にも挑戦中。
主な業態 「Big-Pig」「春夏秋豚」「越後コメ本舗」「すきしゃぶ食堂」「POSITIVE KITCHEN」「焼鳥五郎」
企業HP http://www.smilewrinkle.com/

なんにでも興味があったんです。

「習字、算盤、英会話、スイミング、ソフトボール、そういえば合唱団にも入っていました」とスマイルリンクルの森口社長。「足が速くて、勉強もできたので、とにかく女の子にモテましたよ(笑)」と子どもの時代を振り返る。
子どもの頃の森口社長はなんにでも興味を持ち、試してみないと気が済まないタチ。かわりに「熱しやすく、醒めやすい」ほうだったという。
中学では野球部に所属。しかし、中学二年になると、つっぱった生徒たちのグループに入り、そちらに関心が移る。
「ヤンキーですよね。とにかく学校の内でも、外でもつっぱっていた。大人への反感と、憧れと言えば理屈っぽくなりますが、ともかくそういう年齢だったんです。タバコに、バイクに、喧嘩の日々。その時代はヤンキーがモテたっていうのもありますね(笑)」
悪友とツルみ始めたのは中学に入ってからだが、中学を卒業する頃には森口少年も立派なヤンキーになっていた。
とはいえ、このヤンキーは、周りの仲間と違いそこそこ勉強もできた。

25万円もするステレオに釣られて。

中学三年になっても、ヤンキー生活が忙しく、勉強もスポーツもそっちのけ。高校の進学が迫っても焦る気持ちはなかった。ところが、三者面談の際、無謀な高校名を挙げると、父親と教師が反応した。
「親父は、高校名を聞いてそうかと喜び、合格したら、当時25万円もしたステレオを買ってやると言い出したんです。とても欲しかったもんですから、ぼくもその気になって、勉強を開始したんです」もともと、頭はいい。やればできる。目の色が変わった。
すると、教師が手を差しのべてくれた。
「当時はまだ20代後半だったと思いますが、ちょっと変わった、でも、とても立派な先生でした。ソリコミ、パンチパーマの僕たちに向かってその先生は、『そんな格好をするおまえらの気持ちがわからん』といって、翌日から自分も剃り込み、パンチパーマにしてきたような人でした」
「そんな先生が、僕が突然、勉強を始めたのをみて、『一緒にやったろう』と。毎日、先生のボロアパートでつきっきりで教えてくださったんです。そのおかげで僕は、希望通り、三者面談で到底入れないと言われたランクの高校に合格。ステレオも手に入れるんですが、それもこれもその先生のおかげ。今も感謝の気持ちでいっぱいです」
「やればできる」そう気づかせてくれたのが、この時の先生だった。だからこそ今でも感謝している。

まだまだ続く、つっぱり人生。

「進学校なのに入学式から金髪、ソリコミ、パーマで目立っていましたから、もうその路線で行くしかない。すると、高校1年で5回、停学を喰らいました(笑)。母は泣いていましたし、父とは、もう口もきかない関係になっていました」
親にすれば、怒って当然だろう。いい高校に入ったことで、「これで大人しくなると」思ったのもつかのま、以前に増して手に負えない「悪さ」を始めたからだ。
警察沙汰にも何度かなった。また教師のおかげで進級はできたが、2年の5月に退学。
退学手続きの日、口をきかない父と2人、校長室にいた。「どうせ、こうなると思っていたみたいなことを校長が言うんです。その一言に、それまで黙っていた親父が激怒してくれるんです。それまで毛嫌いしていた部分もあったんですが、改めて、親父はやっぱりオレの味方だったんだと思いました」
高校、中退。
スポットでアルバイトを繰り返し、遊ぶ金を捻出した。ところが、ある工場での出来事が、大きく森口社長の気持ちを動かすことになる。
「作業中に間違って、自分の薬指を切断してしまったんです。『今、病院に行けば、くっつくで!早う行け!』と社員の人に言われたんですが、あの頃の僕はつっぱっていたから、『ええわ、そんなん』といって、結局、縫ってもらっただけでした」
「その晩、工場の社長が、家まで謝りに来て、謝るって言っても僕のミスですから、親父も『いえいえ、こちらこそ不注意で』と言うしかありません。そんな親父を見て、どうしようもなく申し訳ない気持ちになったんです。『康志』という名をつけてもらって、それなのに指も無くして、志もなく。もう、このままじゃだめだ、とあの時、親父の背中を見て、ハッキリそう思ったんです」
もう社会人。甘えはいっさい許されない。これからがほんとうの意味で、森口社長のつっぱり人生がスタートしたのかもしれない。

「買いたきゃ、買えよ」伝説となったカリスマ店長の入社時代。

今では、立派な上場企業の「青山商事」だが、当時はまだ西日本で30店舗だけのチェーン店だったそうだ。
「洋服に興味があったもんですから、いろいろアパレル関係を受けたんですがぜんぜんだめで、青山も受けたんですが、落とされて。『あー、青山でもあかんのか』と思っていたところ、ある店舗の店長がアルバイトでならと採用してくれたんです」
これが、「青山商事」入社の経緯。アルバイトから社員になり、のちに伝説のカリスマ店長となる、森口社長の新たな人生のスタートだった。
「でも、最初はぜんぜん売れなかったんです。なにしろ、今までが今までなんで、笑顔で接客ができないんです。むしろ、『買いたきゃ、買えよ』ぐらいの勢いです(笑)」 
「せっかく、スーツを着るような仕事ができたのに、成績がいっこうに上がらないんです。そんなとき、同期入社で22歳のある青年に出会うんです。今では役員をされていますが、当時から桁違いに良く売る人で。その彼を真似て、笑顔も懸命につくって、そうこうしているうちに売れ出すんです。そうすると仕事が楽しくなって」。
彼の背中を追いかけ、懸命に仕事をして6年。森口社長は、最年少で店長に抜擢されるまでになっていた。その頃には、店舗数も500店を超え、森口社長も広島から異動し、大阪、神戸の店舗を任されるようになっていた。
その後、社運を賭けた東京へ進出。森口社長は、東京進出プロジェクトの期待の星として「飯田橋店店長」として送り込まれた。憧れでもあった同期の彼は、東京1号店の「銀座店店長」。いやがうえにも闘争心に火がついた。

独立、開業へ。

「広島と神戸、大阪でしょ。『東京がなんぼのもんじゃ』という気持ちがあったんです。でも実際に東京に行くと驚きました。全然マーケットが違ったんです」
「とにかくがむしゃらに働いて、売上で彼のいた銀座店を抜き日本一になりました。それで目標を達成したと思ったわけではありませんが、今度は僕の力で勝負したくなったんです」。
森口社長27歳。独立へ大きく舵を切った瞬間である。
役員たちからも、当然、止められた。それはそうだろう。しかし、もう思いは、独立開業。幸い、それまでに蓄えてきた2000万円の資金もあった。引き止め工作は続いたが、かたくなに首をふり、結局、役員たちが折れ、退職を認めることになる。
2000万円あるといっても、むろん「青山」のようなビジネスをするには、到底資金が足りない。できるとすれば飲食店。東京には、旨い広島お好み焼の店がないと判っていたから、そちらで勝負をかけることにした。とはいえ、昔アルバイトをしていた程度のまったくの素人。店をオープンすることはできたが、またたくまに虎の子の2000万円がなくなった。たった9坪。それに2000万円もかけるなど、いまなら可笑しいとわかる。しかし、当時はそういう知識すらない。言葉を選ばなければ、いいように金をむしり取られたと言ってもいい。
未経験の店主がはじめた小さな広島お好み焼の店。果たして、上場企業の、将来の幹部の椅子を蹴ってまでスタートした価値はあったのだろうか。

月商80万円からの始まり。

「開店景気」はあったものの、売上は月80万円程度。これが、森口社長最初の一歩である。職も、すべての資産を投げ打った代償としては、あまりに低い数字だった。ところが、「楽しくてしかたなかった」と森口社長は当時を振り返る。
「少ないお客さんですが、カウンターの向こうとこっちで話が弾む。洋服屋の時のように「売ろう」なんて思わなくていいわけでしょ。そりゃ楽しいですよ。生活のほうは大変でしたけど、半年、1年するうちに少しずつですが、余裕もでてくるようになりました。それでも売上は月150万円ぐらいが精一杯。無計画にアルバイトを使ってましたから、いったいどれぐらい売れればいいのか計算してみたところ250万円。まったく足りない状態でしたよ(笑)」
今までつっぱっていたことがウソのような、心浮かれた時間。気楽というのではもちろんない。だが、素直に楽しい。素のままでいられることが、何より楽しかったのかもしれない。しかし、過労がたたって入院してしまったことで、楽しいだけでは続けることができないと知る。
前職の後輩2人を引き抜き、サービスのテコ入れをした。部下を持つことによって、はじめて「経営者、森口」がスタートすることになる。

スマイルリンクル(笑いじわ)

現在、森口社長率いる「株式会社スマイルリンクル(笑いじわ)」は、沖縄、韓国、御徒町、葛西にFC店舗を作り、これまでに独立組も5人。社員たちとの関係も良好で直営店舗の定着率はきわめていい。それだけに社員の年齢が高くなってきたのは気になるところであるが、気心知れた仲間と、ともに泣きともに笑い、スマイルリンクル特有の「飲食接客道」を突っ走っている。
商売のいろはを教えてもらった前職の社長の名前を拝借し、新たにリリースした「焼鳥五郎」が好評で、今後は、FC展開も強化していきたいとのこと。元洋服屋トップセールス店長の、手腕にこれからも期待したい。

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