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第379回 株式会社アクアプランネット 代表取締役 福政惠子氏
update 13/07/30
株式会社アクアプランネット
福政惠子氏
株式会社アクアプランネット 代表取締役 福政惠子氏
プロフィール 三重県松阪市出身。「Living Well〜よりよく生きる〜」をコンセプトに、1994年に株式会社アクアプランネットを設立。学習塾・予備校といった「教育事業」をはじめ、「ビューティ&ヘルス」、「フード」、「ライフスタイル」の4つの事業を展開し、様々なブランドを企画開発。他の事業同様、フード事業でも「ベルジアンビア・カフェ」の日本での出店権を取得するなど、独自の展開を行っている。起業家をめざす女性に注目していただきたい、女性「起業家&経営者」の一人である。
主な業態 「Belgian Beer CAFE」「il desiderio」「Bistro & Beer Cafe Cancale」「Brasserie & Wine cafe Buzz」他
企業HP http://www.aquaplannet.co.jp/

父の背からみた大きな船の話。

大好きな父に手を引かれた少女は、港に停泊した巨大なタンカーを眩しそうに仰ぎみた。
「まだ子どもでしょ。父がぜんぶ造ったんだと思い込んでいたんです。すごいなーって」。
福政は、子ども時代をなつかしげに思い浮かべ、笑った。
福政には、妹が1人いる。「妹と違って、私は、ファザコン」と福政。いつも父にくっついていたから「金魚のフン」と言われていたそうだ。
その父は、日本鋼管(現、JFEホールディングス)に勤める技術者で、タンカーを造っていた。冒頭の少女が仰ぎ見たのは、進水式のことである。
福政が生まれたのは三重県の松阪市。松坂牛で有名だが、今回、改めて調べてみると「伊勢商人を輩出した商業町」だったそうである。
ところで、技術者の父はとかく「ものづくり」が好きだった。「製図用のボール紙を買いに行かされたこともある」と福政。福政も父をまねて、いろんなものをつくって遊んだ。
父と比べ、母はいつもきびしかった。朝は、5:30には起床し食卓についていなければならない。しかも、正座が基本だったそうである。

小・中学生の頃の話。

「少しずついろんなことがわかる年頃でしょ。要領も身に付きます。私は父の影響で、小さな頃から外国の映画が大好きだったんです。でも、躾けに厳しい母の手前ゆっくり観ることもできなかったんです。それで、母が仕事に出てから、もう一度寝直したり、学校を休んで、映画を観たり(笑)」。
ちゃっかりしている。もちろん、怠けていたわけではない。学業は、優秀。先生たちからは、優等生のハンコを押されていた。しかし、母からみれば、まだまだ足らずであったようだ。「あなたは、20面相よ」。家と学校で顔が違うということを母は20面相と称した。まだ小さかったこともあって、何気ないこの一言が胸に響いた。「理不尽な」という思いで胸が痛んだのも事実である。
「ルールは疑え」と胸に刻んだのもこの時の一言があったから。物事の隠された本質は何かを考える癖もこの頃から。
ただし、悶々と思考にはまる少女ではない。活発な少女だった。小さい頃は近所に男の子しかおらず、いつも男の子にまじって、遊んでいた。しかし、中学に上がるようになると、異性は遊びの対象だけではなくなってくる。

起業家になるまで。

「海外に行く」と宣言したのは小学生のこと。自分で留学先を探し、準備をして両親に掛け合ったこともある。高校進学時に海外逃亡を試みたが、「親に丸め込まれ」て断念。三重県のなかでもトップクラスの進学校である「松阪高校」に進んだ。
楽しい高校生活は、あっという間に過ぎる。大学受験が待っていた。
「音大に行くか教員になるかで迷いましたが音大受験に失敗し、都内の大学へ。でもいざ専攻すると学校の先生のガラじゃないなと、三重にいったん戻る事にしました。」
三重で地元の国立大に進学するまでの間、三重ならではのアウトドアを楽しんでいたが、知人からの要請で、今でいうITベンチャーの立ち上げに参加する事に。
社長とエンジニアと福政の3人だけの小さな会社。
立ち上げたばかりの小さな会社だから何でもやらなければならず、経理や総務、営業にインストラクター、クレーム処理までする。
ハードワークだったが、仕事とはそういうもんだと思い込んでいた。
この会社でいろんな刺激をうけた。ITという最前線のマーケット。いまよりもスピードが速かった。「オフコンの会社を立ち上げたと思ったら、もうPCの時代になっていたという感じです」と福政は語っている。
たしかに当時、さまざまな会社が模索していた。言語も次々に新しくなり、ソフトウェアもひんぱんにリリースされていく。そのスピードにだれもが翻弄されていた。初めてのPC化、IT化の波のなかで、その波に乗り切れないでいるようだった。いまは、より高速化されているかもしれないが、相対的にみて、速度が上だったということ。首を傾げているうちに、時代は進化した。

「Living Well」という事業テーマ。

ITベンチャーに就職したが、とくに興味があったわけではない。ただ、この時代、福政は、彼女らしい切り口をみつけている。コンピュータ化が進んでいくと、ストレスの時代がくるというものだった。「それを助ける仕事がしたい」と起業を考えるようにもなった。
この着想が凄い。実業家の片鱗が伺える。だれもがPCやIT化に戸惑っている時代に、その先を見通したともいえるからだ。彼女の発想通り、やがてストレスの時代がくる。
しかし、すぐにその事業を起業するには、無理があった。資金も当然、ない。「塾」を開業したのは、学生時代からの延長で、副業でやっており、それで資金を蓄えたかったからである。ところが、この「塾」は、資金づくりにはとどまらず、本業の軸のひとつにまで拡大する。「人にものを教えるちから」にも長けていたが、「商才」もあった。
「問題にはいくつもヒントが隠されているの。そのヒントをもとに推理小説を読み解くように、説いてごらん」。算数嫌いの子が、目をかがやかせて問題に取り組むようになる。塾は評判となり、塾生は、年々、増え、数年後には100名にもなった。このとき、社長の福政は三重大学に通っている。学生と社長を両立した。みごとなほどパワフルである。
ちなみに、社名も、ロゴも、23歳のときに決めていた。「23歳の小娘にもかかわらず、良くがんばっていましたね(笑)」と福政。「Living Well」という事業のテーマも、きまっていたそうだ。ビジネスウーマン。当時、ひんぱんに使われだした言葉は、まさに彼女のためにあるようだった。

飲食事業スタート、そのいきさつ。

さて、多彩な才能を持つ敏腕家の彼女が、いつから「飲食の戦士」になったのか。その話をきいてみた。「アメリカに行ったときのことです。小さな頃から憧れていた海外。でも向こうに行った時には、もうすぐにビジネスの頭になっちゃって」。友人宅で2ヵ月ほどやっかいになった。
「向こうで考えていたのは、まったく飲食と違うビジネスだったんです。ところが、フロリダに向かう途中で、ハイアットホテルにある『アマ―ニ』というイタリアンのレストランを訪れて」。
日本にないサービスだと思ったそうだ。福政はわかりやすく説明してくれた。
「日本でフレンチやイタリアンといったら、高級な店ほど緊張するじゃないですか。高いお金をだすのに、逆に窮屈な思いをしている。私も『アマ―ニ』に行くまでは、それが当然と思っていましたし、違和感もなかった。だけど、ぜんぜん違うんです。とってもフレンドリーで。たとえばナイフを落としたとしても、ノープロブレム。初めての私をずっとお待ちしていました、みたいな雰囲気で迎えてくれるんです。私もこういう飲食をやりたいなと」。
日本にないサービス。話を聞いて、たしかにそうだと思った。日本人はつとに権威をありがたがる。茶道や華道などで、作法を尊ぶのは、その表れに違いない。しかし、いかにも窮屈だ。初めておとずれた人間も、リラックスできる。そういうサービスがあってもいい。「Living Well」を事業のテーマとする福政にとって、「アマ―ニ」で出会ったサービスは、飲食事業を起こすのに十分な動機だった。

くつろぎの空間。付加価値の高い店づくり。

帰国した福政は、「世界経営者会議」に出席するために、東京に向かった。会場でジャック・ウェルチ氏と出会う。数秒、もしくは数分の会話だったが、そのなかで「ヒューマンリソースマネジメント」というキーワードが頭のなかをかけめぐった。
現在、福政率いるアクアプランネットは、塾、エステ、予備校、飲食など多彩な事業を展開している。飲食だけに限ったとしても、フレンチ、イタリアンレストラン、ベルジアンビア・カフェを運営。「ベルジアンビア・カフェ」をはじめ、いずれも付加価値が高く、いずれもここちよく楽しめる店ばかりだ。
大阪にもいくつもの店舗があるが、たまたま富国生命ビルの1Fに「Buzz(ブラッスリー&ワインカフェ バズ)」を出店されていたので、行ってみた。大阪にいながら、日本各地のおいしい食材を堪能し、「旅」を体験できる食空間だ。現在は、「宮崎県メニュー」が始まっていた。
「なるほどくつろげる」というのが、正直な感想だ。もちろん、サービスもいいし、料理も旨い。そのうえ料理そのものがおしゃれなのだ。「アマ―ニ」は知らないので比較はできないが、「飲食店」という発想からスタートしたのでは、こういうレストランはできない気がした。

「自由に好きなように生きる」。これが、素敵の素。

事業家のレールがあったわけではない。福政はファザコンで、海外志向がつよく、映画が好きで、頭が良く、好奇心も旺盛だった。だからといって、特別なわけではない。ごくふつうの少女だった。でも、いまの彼女は「特別な人」になっている。社長となり、何百人のスタッフを動かしている。おおげさにいえば、社会を動かすような人になっている。その起点はどこにあるのか。ひとつの話を思い出した。
「障子に穴をあけて、大きな幾何学模様をつくり桟を折り、小さい私は、行ったり来たりしていました。当時専業主婦だった母は、あぶないからやめてというんですが、数学好きの父は、『俺がみているから、惠子の好きなようにさせてやって』、というんです」。親子のほのぼのとしたシーンの一つだが、この一つのシーンにも、父の思いや教育の方法というのがみえてくる。
レールはなかったが、好きなことはあった。それを、父に教えられたように「好きなように」やってきた。彼女の足跡は、その連続だったのではないのか。もちろん、明晰な判断力、思考力、行動力など成功の要因はいくらでも、彼女のなかに見出すことができる。しかし、それだけじゃ、こんな素敵なレストランも事業もきっと生まれなかったはず。彼女のいまを、「好きなことを、好きなようにやってきた」その結果と表現すれば短絡過ぎると怒られてしまうだろうか。

最後に。「素敵なあした」のために。

先日、福政は東京に今秋オープンする三重県のアンテナショップの運営を委託されたそうだ。名前は三重テラス。まだまだ、彼女は、素敵なショップ、事業も生み出していく気がする。
海外進出もむろん構想にある。「海外」は子どもの頃から大事にしてきた向かうべきフィールドである。「シンガポールやニューヨークがいいな、と思っています」と福政。たしかに、その一歩は、彼女自身が素敵に生きるためにも、スタッフの夢づくりのためにも、欠かせない次の一歩かもしれない。

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