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第384回 有限会社フィックス 代表取締役 古川香織氏
update 13/08/13
有限会社フィックス
古川香織氏
有限会社フィックス 代表取締役 古川香織氏
生年月日 1975年4月23日
プロフィール 高校生の時に、お笑いコンビを結成し、ホリプロのオーディションに挑戦。見事合格し、芸能界にデビュー。2年で解散し、今度はケーキ職人にトライ。しかし、西新宿でみた居酒屋の光景に魅了され、方向転換。29歳の時、「居酒屋」を初出店。2013年6月現在、やきとん/ちりとり鍋/レバ刺しの『卯門umon』、炭火ジンギスカン/生ラムもつ焼『羊門hitsujimon』、和牛ホルモンと奇跡のレバ刺『牛門gyumon』を展開。ブログでは<飲食バカ集団、有限会社フィックス「女将」兼「パティシエ」兼「代表取締役」>と自己紹介している。
主な業態 「卯門umon」「羊門hitsujimon」「牛門gyumon」
ブログ http://blog.livedoor.jp/nana2ban/

「お母さん」と呼ばれた園児の話。

幼稚園の時のあだ名が「お母さん」だった。「体格が良く、活発だったから」と古川は、いまでも大きな体をゆすって笑う。
子どもの頃から運動神経も良かった。小学校高学年からは、本格的にバレーボールを始めている。「この時のことが、私のベースになっている」というほど、中身の濃い練習と、厳しい指導が待っていた。
「むちゃくちゃ強かったんです。でも、練習もめちゃめちゃさせられた。365日休みなし。いまだったら、大問題になること間違いなしの、スパルタです(笑)。あのとき、考えられないような理不尽な体験、恐ろしく厳しい体験をしたことで、肝っ玉が据わったというか。とにかく人生、『根性』『気合い』『死ぬ気』『やる気』で乗り越えられる、と知ったんです」。
「マゾっけがある」、と言って古川は、こちらを笑わす。たしかに、「厳しさ」を求める傾向はあるようだ。
「中学になってもバレー部に入ったんです。でも、ぜんぜん厳しくなくって。3ヵ月ぐらいで、もう辞めようかなと。そんな時、隣をみると剣道部が激しい練習をしていたんです。『これだ、この感じだ』と思って、剣道に乗り換えちゃいました。結局、中学時代は、剣道部で副部長を務めます」。
バレーに剣道。共通項は「厳しさ」。この頃から、古川は「あいまい」や「生ぬるさ」といった中途半端さを嫌っていた気がする。ただし、「厳しさ」や「激しさ」を求める性格は、ある意味、激動の人生を予感させる。

お笑いコンビで、芸能界デビューした話。

古川には兄が1人いる。なんでも習志野では、超が付く有名人だったそうだ。もちろん、いいほうではなく、悪い評判で。その影響を受け、古川には「古川の妹」という別名もあった。しかし、東京の高校に通いはじめたせいか、さすがに、高校になると「古川の妹」とは呼ばれなくなった。
ところが、今度はこの妹のほうが、とんでもないことをしでかす。
「ぜんぜん知らない子だったんです。いきなり声かけられ『お笑いコンビを組んで、いっしょにホリプロのオーディション受けよう』って誘われたんです。人を笑わせるのは、好きでしたから、『いいよ』ってことになって。でも、まさか合格するとは思っていませんでした。コンビ名ですか? 『果樹園』です」。
結局、2年で解散することになるが、いきなり芸能界デビューで、しかも、一時期は、かなり注目されたコンビだったそうだ。「ホリプロ所属の、お笑いコンビがまだ少なかったこともあって、注目されたんだと思います。でも、注目されると嫉妬や僻みが凄かった。結局、そういうのにもついて行けず解散してしまうんです」。
芸能界には、表も、裏もある。表がきらびやかであるぶん、裏は暗い。元々、なりたくてなったわけではない。ある日、誘われて「シンデレラ」のように、突然、芸能界にデビューした、それだけの話である。とはいえ、スターダムをかけ上がる夢をみたこともなくはない。ただ、コンビを解散したことで、迷いも吹っ切れた。

ケーキ職人をめざした話。

お笑いコンビを解散して、芸能界からも距離を置いた古川は、突然、「ケーキ職人」をめざす。古川の話を聞いていると、どうも「ケーキ職人」というイメージではないのだが、このミスマッチも古川ならではという気もする。
古川は、「ユニマット」が運営する、表参道の「カフェ デ クール」でケーキ職人になるべく、修業を開始する。これが飲食事業との出合い。「カフェ デ クール」から、「リストランテ・ヒロ」のシェフが千葉で独立するという話しがあり、転職。お台場ブームの火付け役となった「スティルフーズ」でも働いた。この時に、もう一つの「飲食」との出会いがあった。
「しょっちゅう、みんなで西新宿のションベン横丁の居酒屋で飲んでいたんですね。もうね、おもしろくって。おもしろくって。ケーキ職人どころではなくなっちゃうんです」。これからは、これだ!!と、居酒屋に舵を切る。「たまたま転職した先が、これまた大繁盛店だったこともあって。ますます惹かれてしまうんです。『魚中心の居酒屋さん』でした。5時〜11時で1日60万円を売上げたモンスター店舗です。この店では、さまざまなことを勉強させてもらいましたが、いちばんよかったのは『人が大事』ということを学ばせてもらったことです」。
こののち、古川は29歳の時、兄からの支援も受け、独立を果たすことになる。

独立後の話。

独立後、古川は、渋谷中心にドミナントで出店を重ねる。その一方で、多くの人とも出会った。
「株式会社スパイスワークス」の下遠野亘社長も、その1人。「『渋谷肉横丁』を出店する時にお会いしました。下遠野さんは、施工・運営されていたんですが、オープンが予定より1ヵ月遅れてしまったんです。けっこう、みなさんから責められていたんです。私たちも状況はおなじでしたが、うちだけでも絶対文句は言わないでおこうと、決めたんです。その時のことを、後々まで覚えてくださっていて、『恵比寿横丁』に空きが出た時に声をかけていただいたんです。私にすれば夢のような話です」。西新宿の「ションベン横丁」で、居酒屋の世界に魅了された古川。そのテイストは、「笑い」と「喧噪」と「あったかさ」にある。この両、横丁への出店で、ますます足場が固まった。

やんちゃな仲間たちの話。

最後に、スタッフのことも聞いてみた。「うちはみんなやんちゃな子ばかりなんです。だから、心配なんです。もし、彼らが転職して、『前の店で何を教えてもらっていたんだ?』なんて言われるのが(笑)。だから、少しずつ勉強もさせています。最初は、紙に、電気代、家賃と書いて…、これがこうで、と細かく指導します。そのうち、エクセルに落とし込めるようにして。最初はF/Lって言ってもチンプンカンプンなんですが、そのうち、そうか! と。いったん興味を持つと私もびっくりするぐらいのスピードでいろんなことを吸収してくれます。そういうのも楽しいところです」。
やんちゃだから、たのしい。ただし、いつまでも、おなじスタイルで仕事はできない。出店によって、スタッフ数も増え、管理・運営も複雑化されていくからだ。
「そうなんですよね。でも、そういうところに挑戦するのもまた楽しみです。スタッフありきで、会社を考えていく。つまり、みんなが会社を自主的に動かすようになっていく、もうそういう段階に来たんじゃないかな、と思います。だから、いま一歩、先に進むときのために羅針盤となる理念の共有というのを図っていかなければならないと思っています」。
やんちゃな仲間たちに囲まれ、笑う、古川の嬉しげな顔が想像できる。彼女がいるだけで、周りは、花が咲いたようにパッと明るくなる。「女将」という、まさにこの言葉がぴったり。
厳しくて、理不尽な大人の世界のなかで、彼女は、無垢な色の美しい花を咲いている。その美しさが、人を寄せ付ける気がしてならない。

思い出のアルバム
 
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