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第385回 株式会社レプハウス 代表取締役 堀口康弘氏
update 13/08/20
株式会社レプハウス
堀口康弘氏
株式会社レプハウス 代表取締役 堀口康弘氏
生年月日 1955年5月31日
プロフィール 佐賀県佐賀市生まれ。5人兄弟の4男坊。父は、小さな町のなかで大きな鉄工所を営んでいた。小学生の時、絵のコンクールで入選したのをきっかけに絵画の世界に入り込み、画家をめざして不撓不屈の精神で勉強を開始する。だが、希望していた「国立東京芸術大学」に進学することができず、東京で独りあてもない暮らしをスタートする。そんなある日、ある人物と出会い、渡米を決意する。新たな人生に向け、船出した瞬間だった。
主な業態(飲食) 「café table TERRACE」
企業HP http://www.rephouse.jp/

ピカソに魅せられた少年。

絵を描くのが好きだった。小学3年生の時、県のコンクールに入選した。美術教室に飾ってあったピカソの絵に触発され「画家という職業」を意識しはじめたのは、中学生の時。高校1年で、「芸大」に進むことを決意。夏休みには東京の親戚宅で寝泊まりし、芸大・美大受験予備校の夏期講習に通い詰めた。めざすは最難関の「国立東京芸術大学」。父は四男坊のために金を工面し応援した。だが、「東京芸大」のなかでも堀口が受験した油絵学科の競争率は約50倍。ライバルは、全員、才能にあふれた画家の卵たちである。
高校時代の3年間は夏休みのたびに東京に向かい、予備校に通った。それでも願いかなわず、1年目は失敗。もう一度、と再チャレンジするものの、芸術系大学では唯一の国立で、日本最高峰の芸術系大学である。予備校時代にはコンクールで上位を何度も獲得した堀口にとってもハードルは高かった。挫折。そこから堀口の新たな人生がスタートする。

堀口家の話。

堀口は1955年、佐賀市で鉄工所を営む父の下に4男坊として生まれた。「男5人兄弟の4番目です。全員、3歳ずつ離れていたものですから、入れ替わり立ち替わり中学に進んでいくわけです。兄が卒業し、弟が入る。そういう感じでしたから、先生も3年ごとにお前が堀口の弟かと(笑)」。しかし、4番目の堀口は、3番目までの堀口と少し違っていた。たしかに兄たち同様、テニス部に入りキャプテンも務めるのだが、その一方で4番目の堀口には、あふれんばかりの「絵」の才能があった。テニス部に所属しながらも絵を描きつづける。
一方、家庭のほうは、いつもにぎやかだった。幼少の頃は、家業も順調。船を貸し切るなど年2回は社員旅行も行われていた。堀口は「子どもでも『堀口』と言えばタクシーに乗れたほど」と当時の裕福な暮らしぶりを語っている。だが、堀口が小学校に上がってしばらくして、業績に陰りが見え始める。長男が大学に進学する頃には業績は目に見えて悪化し、秀才と言われた兄が進学を断念するまでになった。

受験失敗で、現実を見失う。

堀口家では、父と長男が絶対的権力を持っていたそうだ。小さい頃は工場が遊び場で、余った鉄くずで手裏剣などをつくっていたらしい。中学からは前述通り上の兄たちと同様テニス部に入り、キャプテンを務めている。このように多感で、絵の才能もあり、スポーツも良くできた堀口だったが、イチバンの目標だった「国立東京芸術大学」の受験に2度失敗することで、目標といっしょに現実も見失った。
だが、皮肉なことに生活力はあった。サラリーマンになろうとは思わなかったから就職はしなかったが、電器店で販売のアルバイトを開始すると、みるみる実績を上げ、当時の金額で月に50万円の給料を手にした。ハタチにもならない少年が、次々商品を売りつづけるさまをみて、先輩たちも舌を巻いたことだろう。しかし、いまも尊敬してやまない、ある人物との出会いで、もう一度、生活といっしょに人生がいっぺんする。

新宿での出会い。

「新宿で知り合った人です。ある会社を経営されていました。とても尊敬できる人で、実は、その人からその日暮らしの生活をいさめられたのです。そして『若いうちにできることをしなさい。海外に行きなさい』と言われました。しかも『もう一度、ゼロからお金を貯めて行け』というのです。言われた通り、それまで貯めていたお金で電気製品を買い、それを両親に送って無一文となりました(笑)。代々木公園で寝泊まりしながら1年間、土木作業員をしました。販売の仕事だと『すぐに貯まるからダメなんだ』と、土木作業員になるようにも指示されていたからです」。
素直な堀口は、言われるまま人生を軌道修正した。ただ、伏線があるにはあった。画家をめざし、それを断念。大学卒という学歴もない堀口にとって、日本は未来を描きにくい国だった。「海外、そういう生き方もあるんだ」と、それに気づかされた時、堀口は「心おどった」と言っている。
ちなみに、その方はいま、ある大学で学長を務められているそうだ。第2、第3の堀口を生み出されているのだろうか。ともかく、出会いが20歳の時のこと。そして21歳で海を渡る。

21歳、海を渡り、ロスに向かう。待ち受けていた危険な生活。

「21歳の時にロスに向かいました。たしかに若いうちにしかできないことです。何のあてもないし、会話もさっぱりできなかったんですから(笑)」。
土木作業員をして蓄えたお金、当時のレートで2000ドル程度を持って海を渡る。あえていえば支えはそれだけ。だが、会話もできないから職にもありつけない。みるみる持ち金がなくなっていく。
しかも当時のロスは、浮浪者がいたるところにいる危険極まる状況だった。ようやくありつけた職は黒人街にある「リカーストア」の店員。
万引き、強盗、ケンカは日常茶飯事。店員の役割は万引きから商品を守る警備員のようなものだった。街で拳銃を付けつけられたこともあったし、万引きを追いかけナイフで刺されたこともあった。しかし、そんな危険と隣り合わせの街から堀口は逃げ出さなかった。逆に、暗澹とした時代のアメリカに惹かれ、「永住権」を取得しようと思うまでにった。そんな堀口にリカーストアのオーナーが日本食のファストフードを展開する話を持ちかける。そして、堀口は彼をスポンサーに、店を立ち上げることになった。
25歳、単身アメリカに渡って4年、晴れて永住権が取得できるようになった。しかし、そのためには日本のアメリカ大使館でインタビューを受けなければならなかった。それで、一時帰国をよぎなくされることになる。なつかしの日本である。もっとも堀口は一時帰国だと考えていたし、すぐにトンボ帰りするつもりでいた。しかし、米国の政権交代の関係でインタビューがまったく行われず日々だけがいたずらに過ぎることになる。結局、1年という時間を要した。この1年が、また堀口の人生を転換させる。

日本での起業。「レプハウス」誕生。

「この待機状態の1年間のことです。あることがきっかけで、BEE HOUSEという当時、雑貨業界でトップだった社長に気に入られてしまったんです。私も、魅了され意気投合。いったんアメリカのことは忘れて、日本でビジネスを立ち上げました」。それが「REP HOUSE(レプハウス)」の前身となる「REP BEE HOUSE」である。「BEE HOUSE」が商品をつくり、「REP BEE HOUSE」が、販売するという関係だった。この雑貨の卸売事業が日に日に拡大する。
「事業を開始したのが、1982年です。バブルという後押しもあり業績はグングンアップします。商品も食器を皮切りにスタートし、キッチンウエア、ステーショナリー、インテリアファブリック、アロマグッズ、化粧品など、雑貨全般を手がけ始めるようになり、俄然このビジネスが楽しくなっていったんです」。
1年間、待って無事、永住権は取得できた。日本にも、アメリカにも会社を持っていたので、何度も行き来する生活がスタートした。しかし、結局、雑貨ビジネスに注力するためアメリカで立ち上げた飲食ビジネスからは身をひき、永住権も返却。「REP HOUSE(レプハウス)」の事業に全精力を傾けるようになった。こののち「BEE HOUSE」が倒産したことから、堀口は社名を現在の「REP HOUSE(レプハウス)」に変更している。

いまもなお、無形のキャンパスに向かう。

現在、「レプハウス」は、卸売から、製造・販売までを手がけるSPA(製造小売り業)へと業容を進化させ、インテリア・雑貨の店「off&on(オフノオン)」(全国65店舗)、姉妹ブランド「café table(カフェテーブル)」(5店舗)、和テイスト雑貨店「ETOWA(エトワ)」(2店舗)、バスルーム・アロマ雑貨「salle de bains(サル・デュ・バン)」(4店舗)を経営。そして、「café table」のテイストを取り入れた本格カフェ&ショップ「café table TERRACE(カフェテーブルテラス)」を展開している。この飲食業への進出について堀口は、「ずっとやりたかった事業」と言っている。「生活雑貨」と「食」は互いに切っても切れないものであるからだ。
この「café table TERRACE」では、カップやグラス、内装も、すべて堀口が手がける。おもしろいのは、「料理に合わせて食器を選ぶのではなく、その逆の、食器ありきで料理を考えている」点だ。この感性が新たな「食」のシーンを生み出している。
子どもの頃、めざした画家とは、まるで違った職業へたどりついたことになる。
だが、目を近づけると、画家になろうとしたセンスや、画家の眼でみた視点が、随所に活かされていることが伺える。
画家になりそこねた男。だが、良く見るとライフスタイルという「無形のキャンパス」に、堀口は創造的な絵をいまもなお描きつづけていることがわかる。そこには破天荒な堀口の人生の色合いも、たぶんに彩られているはずだ。

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