マウントウィナーズ株式会社 代表取締役社長 勝山泰樹氏 | |
生年月日 | 1964年、東京都生まれ。 |
プロフィール | 中学時代からロックバンドをはじめ、高校を2年で中退しプロの世界へ。著名バンドのスタジオミュージシャンを経て米国デビューを目指し渡米。紆余曲折あって帰国。10年間のサラリーマン生活を経てマウントウィナーズ株式会社を設立。現在、『水たき鳥料理・博多華善赤坂見附店』『Dining&Bar エム・ティー・ウィナーズ』『ダイニング&カラオケ ドレミーランド西葛西店』などのエンターテイメント型飲食店を都内7カ所で経営している。 |
主な業態 | 「博多華善」「エム・ティー・ウィナーズ」など |
企業HP | 日本初!飲食店専門居抜き店舗の物件検索サイト「ぶけなび」 |
「50歳までにやりたいことがあるんです。赤坂のど真ん中にラスベガスのフラミンゴホテルを再現すること。なんでみんなできないと思うのかなぁ。僕はやるよ」。
かっこいい!すごい! とにかくワクワクするようなことを追い求め、それが自然と仕事になっていたという勝山氏は、現在の夢をそう語る。きっかけは米国デビューを目指し渡米した際の出会い。ロックミュージシャンとしては挫折するが、キラキラと輝き大人の社交場としてのスマートさを持つラスベガスに感動する。「ライブもいいけどこんなエンターテインメントで人を夢中にできたらもっと面白いんじゃないか?」。新しい夢の実現に向けて走り出した瞬間だった。
中学時代から70年代のロックにはまり、自らもベーシストとしてバンド活動を始めた勝山氏は、高校生の頃にはライブハウスで台頭しはじめる。事務所にも所属し「レベッカ」「バービーボーイズ」などのスタジオミュージシャンも勤め、次第に学校に行く時間がなくなり高校を中退。プロのミュージィシャン一本で生きていく決意をする。
しかしそう簡単に“飯は食えない”。生活のため貸しレコード屋の店長も引き受けるが、あまりにも玄人受けしかしないロック、ソウル、ジャズをラインナップし過ぎ、店を潰してしまう。そんな時だった。グループメンバーのビザが切れることが発覚(バンドは4人中2人がアメリカ人だった)する。しかしこんな時もカッコよく乗り切るのが勝山流。「そんならみんなでアメリカに行ってデビューしようじゃないの!」。初の海外。ウッドストックの地、サンフランシスコに渡る。
19歳でサンフランシスコに渡った勝山氏があせったのは、アメリカのミュージシャンの層の厚さだった。「何しろすごいやつがゴロゴロいる」。冷静に自分のバンドを見た時「アメリカ人が寿司職人になろうとしているようなもんだ」と思ったという。渡米から半年弱、帰国を決意する。「でもせっかくだからラスベガスでちょっとだけ遊んで帰ろうか」。もちろん、それが人生の転機になるなど知る由もない。
ラスベガスはとにかくあらゆる面で衝撃的だった。こんなの見た事ないよ!という見事なネオンに飾られたホテル群、着飾ってカジノを楽しむ老夫婦、ミュージカルやサーカス、スポーツイベントなどのショーの数々。しかもラスベガスは、お金があればあるなりに、なくてもないなりに楽しめる。カジノでスッテンテンになった勝山氏だったが、残金のことなど忘れさせてしまう街全体の雰囲気に酔いしれる。「俺、そもそもなんでミュージシャン目指したんだっけ?」。勝山氏の人生のコンセプトは、かっこいいことをやって人を喜ばせたい、ワクワクさせたいだ。「だったらこのラスベガスを日本に作るって生き方もあるじゃないか」。もうこうなると、一刻も早く日本に帰りたいだけだった。
夢を携え20歳で帰国。しかし現実はお金がない、学歴もない。勝山氏はここで人生最初で最後かもしれない履歴書書きに取り組む。そして「日刊アルバイトニュース」で見つけた音響や映像機器、カラオケ機材などの販売会社に就職。もちろん歩合で独立資金を稼ぐためだった。
と同時に、独自でネルトンパーティー(お見合いパーティー)イベントを地方で開催し利益を上げる。カラオケ機材などを利用するため会社も文句は言わない。高い家賃に高級車。そしてバブル崩壊…。入ったお金は懐からいっぱい出ていったが、このサラリーマン時代に顧客だった西葛西のカラオケ店オーナーから相談を持ちかけられたことで、独立が具体化していく。「僕の趣味は事業計画書作り(笑)。カラオケ店のオーナーが店を閉めたいっていうんで事業計画書をだしたら、勝山君、キミがやってみない?って言われて」。こうして勝山氏は独立の一歩を踏み出す。
今ではスタンダードになったが、200種類のメニューを揃え飲み放題、食べ放題をうたい文句にしたカラオケ施設は、勝山氏の発案によるもの。常に驚きと感動を与えることを目指す勝山氏はやることが斬新だ。音響機器販売会社でもトップセールスの実績を挙げており、会社を辞めた今でも、音響機器業界では知られる存在だ。
さて、西葛西の「ダイニング&カラオケ ドレミーランド西葛西店」を皮切りに飲食の世界にデビューした勝山氏。07年には「水たき鳥料理」の店を渋谷にオープンし、今年は神楽坂に「宮崎地鶏」の店もオープン予定だという。しかしその先にあるのは、もちろん赤坂のラスベガス構想。その実現には日本のカジノ解禁などの法的な壁もあるが、「お台場より赤坂」という裏付けをプレゼンする計画書はしっかり頭の中で整理されているという。
この夢を決して夢のまま終わらせないという勝山氏は、飲食店向けに居抜き店舗物件を紹介するサイト「ぶけなび」を立ち上げており、今後、別会社化する中で上場も目指すという。ホテルを買収し改装し運営するには何百億という資金がいる。そして力と夢と行動力のある仲間、人材も必要だ。
「僕自身、履歴書を書いたのは一度きり。雇ってあげる、雇ってくださいみたいな会社と個人の関係はおかしいと思っている。お互い対等でなくちゃね」。勝山氏は社員採用の面接は必ず自分で行うが、その際、会社の事業や自分の夢を具体的に話すことに専念し、その場で応募者には入社の意志を求めないという。「帰ってゆっくり考えて欲しいんです。勝山と一緒にできそうか、マウントウィナーズという会社で自分がやりたいことができるか」。
勝山氏は「応募者も会社を面接している」という自覚を持っている希有な経営者だ(本当に残念ながら数少ない)。紙面でなく生き生きとした実物と対面したら、多くの面接経験者は入社の意志を示す「Yes」を返すのではないだろうか。特に熱い思いを抱えるロッカーなら。
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