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第396回 株式会社ビゴ東京 代表取締役 藤森二郎氏
update 13/09/24
株式会社ビゴ東京
藤森二郎氏
株式会社ビゴ東京 代表取締役 藤森二郎氏
生年月日 1956年9月10日
プロフィール 東京目黒に生まれる。1979年、「明治学院法学部」卒業。1980年 横浜のパティスリーを経て、かねてからの憧れであったフィリップ・ビゴの下へ。パンの魅力に魅せられブーランジェへと転身。1984年、「ビゴの店」東京進出1号店のオープンに際し、銀座ビゴの店「ドゥース・フランス」のシェフ兼支配人となる。1989年、フィリップ・ビゴよりのれん分けを認められ、独立。同年に、株式会社ビゴ東京を設立し、「ビゴの店」鷺沼店をオープンする。
主な業態 「ビゴの店」「エスプリ・ド・ビゴ」「トントン・ビゴ」「オ・プティ・フリアンディーズ」「モン・ペシェ・ミニョン」
企業HP http://www.bigot-tokyo.co.jp/

フランスとパンと。

女優でいえば、カトリーヌ・ドヌーヴ、男優ならアラン・ドロン。中学生時代、フランス映画の世界に憧れた。「あれがフランスというのを意識した始まりかもしれない」と藤森。高校時代にはカナダに半年、留学した。「ホームステイ先の親父さんが、丸太みたいな腕で休みともなればパンを焼いてくれたんだ。あれも格好いいと思ったなぁ」と言っている。
帰国した藤森はカナダの親父さんを真似て土・日になるとキッチンに立ってパンを焼いた。「翌日、焼いたパンを抱えて学校に行って休憩時間に教室の端っこでパンを配ったんです。もちろん、タダ。もちろん、女の子だけ(笑)」。
学校中の人気者になった。
「そうだね。最初はクラスの子だけだったんだけど、いつのまにか全学年の女の子が列をつくっていましたっけ」。褒められれば、悪い気はしない。パンづくりにも熱がこもったことだろう。フランス映画を観てフランスを意識し、女子を意識しパンづくりをはじめ、料理のたのしさを知っていったに違いない。
「でも、そうそう、バレンタインの時のこと。チョコをつくってくれっていうリクエストがあったんでつくってあげたら、なんとそのチョコを男子に渡しているんです。あれには、ちょっと参った。藤森は男子にはつくらない主義。だから、藤森のお店は閉店、となってしまったわけです(笑)」。
タダと言っても、繊細な女の子たちが列をつくるぐらいだから見た目も、味も良かったのだろう。ともあれ、いま考えれば、その時の女の子たちは「世界でも有名な藤森のパン」を最初に食べた幸せな人たちである。

「明治学院大学法学部」入学。

「女の子がたくさんいるところを選択しました」。
大学受験の話である。
「大学はバラ色生活だと思っていたんですね。バラ色に染まるためには、やっぱり女子でしょ。だから女子が多い大学を狙って戦略を立てて、傾向も対策も整えて受験に臨みました。立教も受けたし、そうそう早稲田も受験しました。ただし、早稲田は記念受験。1時間目の英語の長文読解がまるでわからず、それで失礼しました(笑)。立教は惜しくもダメで、結局、明治学院大学法学部に進みました。こちらは結構楽勝でしたから」。
「そうですね。もしこの時、早稲田や立教に合格していたら、いまの藤森はいなかったかもしれません。そういう意味では受験に失敗して良かった。案外、人生とはこういうもんです」。
早稲田や立教なら、就職にも不利ではない。ただ、明治学院だとレベルは下に見られてしまう。それがイヤで、リクルートスーツを着るのもイヤで、就活もせずにツテを頼って、とある横浜のパティスリーに就職した。
学生生活はバラ色だったかどうかは別にして、楽しい時代だったのはたしかである。一方、就職してからは過酷な修業時代が幕を上げる。しかし、そちらのほうが藤森にとっては楽しい時代だったかもしれない。大好きなお菓子やパンづくりに没頭できたからである。
このパティスリーを経て、かねてから憧れていた「フィリップ・ビゴ」の下へと神戸に向かった。
「フィリップ・ビゴ」はいうまでもなく、フランスパンを日本に広めた有名なブーランジェ(パン職人)である。当時、パンと言えばアメリカから来たふわふわしたものが主流だった。フランスパンもあるにはあったが、塩味がきつく、堅いコッペパンと思っていた人が多かったそうだ。
しかし、「フィリップ・ビゴ」が焼いたフランスパンは皮がパリッとして香ばしく、なかはしっとりやわらかいと、それまでのイメージを払しょくするものだった。
「フランス映画には良く、食事のシーンが登場するんです。そのなかで、主人公たちが食べていたフランスパンがそれだったんですね」。中学の頃に憧れたフランス映画と、食卓に上ったパンが一つになる。藤森は、ビゴ氏が焼くフランスパンはもちろんだが、改めてフランスというものに惹かれたのではないか。ともかく、ビゴ氏の下で、新たな修業の時代がスタートする。当然それは、ブーランジェ(パン職人)へと転身を意味する。

「フィリップ・ビゴ」の下へ。

「4年間、ビゴの下で、さまざまなことを教わりました。パンづくりの基本はもちろんですが、フランスの食文化のこと、何よりフィリップ・ビゴのフランス的な精神というか、エスプリをあますことなく勉強することができたんです」。
2013年7月現在、藤森は「ビゴの店」鷺沼店をはじめ、田園調布に「エスプリ・ド・ビゴ」、港南台高島屋「トントン・ビゴ」、玉川高島屋SC「オ・プティ・フリアンディーズ」、鎌倉に「モン・ペシェ・ミニョン」をオープンし、5店舗のオーナーシェフとなっている。
その一方で、2004年にはフランス料理アカデミー日本支部に日本人ブーランジェとして、初めて入会を認められ、2006年にはフランス政府より農事功労章シュヴァリエを受章。
駐日フランス大使が名誉会長を務める、フランス伝統菓子の普及と継承を目的とした団体、「クラブ・ドゥ・ラ・ガレットデロワ」では副会長を務めている。「エスプリ・ド・ビゴの12か月」、「フランスパン」、「エスプリ・ド・ビゴ おうちでできるホームベーカリーレシピ」と著書も多く、TVなどメディアへの出演回数も、多い。それらすべての源流が、ビゴの下での4年間にあったことはいうまでもない。
さて、藤森がビゴ氏よりのれん分けを認められたのは1989年のことである。これにより、藤森は独立し、 同年に、株式会社ビゴ東京を設立している。この時、オープンしたのが「ビゴの店」鷺沼店である。「昔は女の子にもてたいからパンを習った。でも、いまはそういう風にはいわない。ウソじゃなく、言うことがかわってきているんです。でも、動機って案外、格好付けずに言えば、そういうことなんだと思います」。
藤森の話を聞いていると、話それ自体がワインのような濃厚な味を持っている気がする。薀蓄(うんちく)という言葉がぴったりするような話の連続だった。そんななかで、以下のような話が出たのは、意外だった。
「料理人っていうのは人を見てつくるでしょ。でも、パン職人はそうじゃない。最初からつくっておく。そりゃ、料理人のほうがはるかに偉いよね。料理人は熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちにサービスするけれど、パンっていうのは最初から冷めてしまうのが、前提でしょ。だから、パン職人は料理人にかなわないんです」。
以外だったのは、パン職人に人生を賭けてきた藤森がパン職人を否定しているようにも聞こえたからだ。でも、こういうオープンでフェアなところが藤森らしいところかも知れないと、いまはそう思うようになった。
これもまたエスプリと言われるフランス的な精神の表れなのかも知れない。とにもかくにも、藤森がつくるフランスパンはフランス人でも目を細めるほどおいしい。それは事実である。

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