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第398回 有限会社ジュン・アンド・タン 代表取締役 平 高行氏
update 12/00/00
有限会社ジュン・アンド・タン
平 高行氏
有限会社ジュン・アンド・タン 代表取締役 平 高行氏
生年月日 1973年11月24日
プロフィール 東京都台東区に生まれる。高校卒業後、ベルギーに渡り、それから足かけ5年、フランス、イタリアなどの星付きレストラン等で修業を重ねる。帰国後も、名だたるシェフの下で働き、25歳で独立。2013年7月、なかなか予約のとれないレストランとしても有名なリストランテ「IL TEATRINO DA SALONE(イル テアトリーノ ダ サローネ)」をはじめ「SALONE2007」など5店舗を経営している。
主な業態 「IL TEATRINO DA SALONE」「SALONE2007」「QUINTOCANTO」
企業HP http://www.ilteatrino.jp/

高校卒業までの話。

当時はまだ幼くてわからなかったが、いまとなれば「自慢の父」ということになるだろう。平の父は、60名程度の設計事務所を経営する社長であり、有能な設計士でもあった。
49歳、突然病に襲われ亡くなった時には「横浜ベイブリッジ」を設計されていたそうだ。
仕事の関係もあったのだろう。「子どもの頃、休みの日には『つくば万博』などの建物を家族で観に行った」と平。もっとも平のほうは、建造物ではなく、旅の帰りに寄る、叔父が経営する「フランス料理店」の食事のほうに興味津々だった。
「私が料理に興味を持つようになるのは、この叔父の影響も少なからずあったと思います。まだ小学4〜5年だったと思いますが、将来は、料理人になろうと。そんな風に考えていました」。
それでも、まっすぐ料理人へとは、さすがに行かない。中学ではやんちゃもし、高校時代はディスコで毎日ダンスを踊っていた。その中で明確な上下関係など組織のルールも学び、様々な人間との知己も得た。そして垣間見た黒服の世界は、大人のルールに縛られている組織ではあったが、たしかにプロの世界でもあった。どこかで彼らに憧れた。

高校を卒業した少年は、ベルギーへ向かった。

「実は、中学を卒業する時にはもうヨーロッパへ行きたかったんです。でも、母から『高校だけは出なさい。あとは何をやってもいいから』と甘い言葉をかけられ、高校へ。それで高校生活を堪能したあと、すぐにベルギーに飛んだんです。何故、ベルギーかというと、フランス料理店をやっていた叔父が、その時にはベルギーで店を開いていたからです」。
叔父を頼ってベルギーに行く。叔父は、この国で新たに「フランス料理店」を営んでいた。叔父の店で働きながら、たびたびフランスへ渡り、ミシュランの星つきレストランの数々でスタジエとして2〜3ヶ月ずつ働くことを繰り返した。本場の料理に触れ、改めてフランス料理に魅了される。
海外で料理修業に精進する平に、母の危篤の報告が入る。とんで帰った。しかし、母もこの時に亡くしてしまった。
再度、ベルギーへ。料理の最後を飾る「お菓子」を学びたいと考えて、ベルギーでいちばんと言われていたお菓子の店『サントレー』の門を叩く。調子がいい話で「いまは無理だが、半年後なら仕事がある」と言われ、半年待つ間、地元のイタリア料理店で働いた。しかし半年後も『サントレー』で仕事はなかった。そこで本場のイタリアンを見てみようとイタリアへ渡り、トラットリアを中心に各地の店で働いた。「このとき一つわかったことがあるんです。一定のカテゴリーをクリアすると、美味しいものをつくれないわけがなくなるということです。つまり、一定のバーを越えた者には、『美味しい料理』をつくるちからが授けられるんです」。
一定のカテゴリーというのは料理の本質を理解するということだろうか。ともかく悟りを開く過程のなかで、平は、黙々と修業を重ねる。「それでも、『サントレー』で一度は働いてみたかったもんですから、もう少しベルギーに残ろうと思っていたんです。ところがある人から、『8年も、10年もいると浦島太郎になるぞ』と脅かされて(笑)。それでようやく日本に帰る決意をしたんです」。
平、24歳。高校を卒業し、海を渡って5年以上経っていた。

独立までの日々。

日本に帰国したものの、まだ24歳、一流シェフの下でもっと仕事をしようと思った。伝手を頼って日本を代表する名シェフ「アクアパッツァ」の日高氏の下を訪れる。日高氏の下では、撮影や料理講習会の準備など料理以外の経験やコネクションも得ることができた。それが後の独立に非常に役立った。
準備万端と言いたいところだが、資金がない。平は、イタリア料理も、フランス料理とも無縁と思える「ナイトクラブ」に向かった。「条件が良かったんです。これなら数ヵ月で資金のメドが立つと考えたんです。それまでこの店ではフードはほとんど出前に頼っていました。シェフもいるにはいたんですが、彼ら3人に代わって私に任せてもらったんです」。
言葉は悪いが、できが違った。この時、この「ナイトクラブ」に足を運んだ人は、ある意味ラッキーだったに違いない。星付きリストランテで修業してきたシェフの料理を口にすることができたのだから。
違いは歴然としていた。料理を口にした客たちが、違いを口にした。
「うまい」。それもそうだろう。ケーキ、オードブル、パスタ、ピザ、すべて本場仕込みの本格的な料理である。キャストの女性たちも、それを口にしたいから注文をねだった。
驚くべきことに、このような店では、通常フードの売上は2〜3%と言われる。にもかかわらず15〜20%の売上をフードが占めるようになった。わざわざ平の料理を食べに来る客まで現れた。
これは、平の自信にもなったことだろう。客はただ純粋に平の料理に惹かれたともいえるからだ。半年で、700万円の資本がたまった。いよいよ、準備万端。帰国して2年が経っていた。平。25歳。1999年のことである。

積み重ねた修業と、努力の結実。

25歳、渋谷区神南に1号店をオープンする。正確にいうと、この時のオーナーは、「ずば抜けた天才サービスマン」と平が評する藤巻一臣氏である。わけあって、藤巻氏は1年で店を離れ、平氏が経営も引き継ぐことになった。
その後、平と藤巻はふたたびコンビを組み、会社は今期で13年目となる。2013年7月には、大阪にある「中之島ダイビル」にて、高級イタリア料理店「QUINTOCANTO(クイントカント)」をオープン。50坪、24席、客単価は2万円という。ちなみに、平が経営するレストランは、いずれも超がつく人気店だが、とりわけ広尾から徒歩15分、裏路地の地下一階にある「IL TEATRINO DA SALONE(イル テアトリーノ ダ サローネ)」は、なかなか予約のとれないレストランとして有名だ。
価格帯を聞けばなかなか手が届かないが、平の経歴と実績をみれば一度は行ってみたいと、だれもが思うだろう。天才サービスマン、藤巻氏のサービスも贅沢だが堪能してみたいところ。
小学生時代からフランス料理に憧れ、高校卒業とともに海を渡り、修業を重ねてきたシェフの料理。情熱という臭いセリフは似合わないが、センスだけではなく、年月と努力によって洗練された料理であることはたしかだ。

思い出のアルバム
 
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