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第40回 フード・バリュー株式会社 代表取締役 市川洋一氏
update 09/03/31
フード・バリュー株式会社
市川洋一氏
フード・バリュー株式会社 代表取締役 市川洋一氏
生年月日 1965年東京都生まれ。
プロフィール 1989年、日本マクドナルド株式会社へ入社。
店長、スーパーバイザー、統括スーパーバイザー、新業態開発プロジェクトリーダー、フランチャイズ事業部ビジネスコンサルタントを同期最短昇格にて歴任。
2005年、タリーズコーヒー株式会社入社。営業部長、執行役員営業本部長を経て2007年退職。
同年ピープル・バリュー株式会社設立、代表取締役社長に就任。
2008年 6月フード・バリュー株式会社、代表取締役社長に就任。
主な業態 「Ponte Catal」「Voice」など
企業HP http://www.food-value.co.jp/
今日の飲食業界で成功している企業の経営者には、なぜかその生い立ちに共通項が多い。「少年時代はやんちゃなワル」「運動神経は抜群」「学業よりバイトに明け暮れた学生時代」等々。フード・バリュー株式会社の社長、市川洋一氏もこの人物像にぴたりと当てはまる。しかも情熱と人情を内に秘めた、典型的な兄貴肌。正義感あふれる純粋で熱い男が、日本の飲食業界を改善しようと立ち上がった。

僕は大人になったら商売はやらない。サラリーマンになる。

 市川氏は昭和40年、東京・練馬区で長男として生まれる。家族は父、母、妹の4人。さらに祖父、叔父、従兄など、たくさんの人に囲まれた日常の中で育った。父は昭和ひと桁世代ということもあり、躾や教育にはとても厳しい家庭だった。祖父は「双眼鏡」メーカー、そして父と叔父達は会社経営、と一族全体で商売をしていたが、高度経済成長と為替の自由化の渦に巻き込まれ、経営は常に順風満帆とはいかない。毎晩夜遅く帰宅する父の疲れた背中を見るたび、子供心にその苦労を慮ったのを今でも覚えている。小学6年の時、市川氏は作文に書いている。
『将来の夢。サラリーマンになりたい。』
 商い家業を身近で冷静に見つめていた少年が、その酸いも甘いも、いいところも悪いところも見抜いたうえで吐露した、素直な想いだった。あるいは、厳格な父に対する反抗心もどこかにあったのかもしれない。
 その後、負けず嫌いの性分と持ち前のリーダーシップを発揮し、中学、高校時代は気が付くといつも人の先頭に立っていることが多かった。 『当時から人をまとめたり、守ったり、引っ張っていく役割が得意でしたね(笑)』。
 そして多感なこの時期に、市川氏は早くも「人生のスイッチ」に触れてしまう。通学途中に始めたファストフード店でのアルバイト。この先約20年以上に渡って共に歩み、成長していくことになる「日本マクドナルド株式会社」との出会いだった。


市川氏の起業精神の原点、「マクドナルド」の現場体験

 高校生だから立場は当然、アルバイト。だがマクドナルドのアルバイトは、普通のアルバイトとはまったく違っていたという。市川氏を魅了したのは、職権と責任の伴う重要な任務だった。勤務先の池袋店は当時、東京23区内で一番の売上を誇る大型店舗。アルバイトだけで約120名が在籍していた。その中からアルバイト全員を管理統括するマネージャーが10名選出され、さらにその10名を統率する1名のASWマネージャーが選ばれる仕組みになっていた。しかも、アルバイトなのに3か月に一度のペースで勤務評価、目標設定など評価制度が設けられており、オレペーションやトレーニングスキル、コミュニケーション能力によって6〜7段階のステージが用意されていたのだ。
 テニス部の朝練前、そして放課後の練習後と、寝る間を惜しんでアルバイトに勤しむ生活が始まる。正直、部活で部長を務めることよりも、マクドナルドで働いているほうが断然面白かった。アルバイトとはいえ、こっちは本物の社会。その中で競い合う真剣勝負。その結果、社会の一員として客観的に下される評価。年齢や就労期間に左右されない絶対的評価制度は、負けず嫌いの市川氏にとって理想的なシステムだ。だから『どちらかというと時給額や昇給よりも、目標設定の楽しさや評価されることの喜び、達成感のほうが重要だった』という。
 市川氏は、先に働き始めた先輩達の評価ステージをあっという間に抜き去ってしまう。また、オペレーション技術を競う社内の全国大会でも見事、優勝を修めるなど、やればやるだけ結果が付いてきた。やがて店舗全体の販売戦略立案やマネージメントにも意見ができるようになった頃には、親身になって指導してくれる上司、生涯の友になる仲間にも恵まれ、マクドナルドで働くことの喜びと楽しさに虜になっていた。
 大学に入ってからも、市川氏の「マクドナルド生活」は続く。卒業後はこのまま「日本マクドナルド株式会社」に就職したいと思っていた。そして無事内定をもらった直後、大問題が起きる。その時、市川氏はすでに「5年生」になっていたにも関わらず修業単位が足りず、大学を卒業できないことが判明したのだ。もう一年さらに就職留年するべきか、ここで大学を中退するべきか…。相談した上司はこう答えた。
『マクドナルドは学歴主義じゃない。ヤル気主義だ。君がここで働きたいなら中退なんて気にするな』
 結局、この言葉が後押しとなって「日本マクドナルド株式会社」で働くために、市川氏は大学中退を決意する。それを聞いた父は、息子の前で憚ることなく泣いた。初めて見た父の涙だった。
「途中で物事を投げ出すなんて、けしからん!」
「苦労して大学まで行かせた挙句、勝手に辞めてハンバーガー屋か?」…
 今思えば、言いたいことは相当あっただろう。しかし自営業の困難を身に染みている父だからこそ、息子には自分のやりたいことを自由に目指してほしいという思いが強かったはずだ。
「自分の道は、自由に選べ」。
そう言い放った父は、その後もこっそりと6年目の授業料を大学に払い続けた。言いようのない軋轢が親子間に生じたように感じた。


藤田田氏から学んだ経営理念。その後、訪れた転機

 市川氏が日本マクドナルド株式会社に入社したのは、同期組より3か月遅れの1989年7月だった。それが逆に精神的なハンデとなり、「負けたくない」という競争心を市川氏の心にたぎらせた。わずか1年でマネージャーに昇格、そして4年後には同期組500人の中で最速、全国最年少の店長職に抜擢された。そんな姿を静かに見守り続けた父が、ポツリと言ってくれた。
「よくやったな」。
何よりも嬉しかった。
 入社から9年後には「オペレーション・コンサルタント」という管理職に最短で登りつめる。マクドナルドへの忠誠と愛社精神をさらけ出し、次々に社内記録を塗り替え続けた市川氏。
『社内では“マクドナルドのために生まれてきた男”と呼ばれてましたね(苦笑)』。
 日本マクドナルドで学んだことは、マネージメントスキルだけでは無かった。当時社長だった藤田田氏の「現場第一主義」を市川氏は目の当たりにする。お忍びで店にやって来て、現場スタッフに直接指示を出して去っていく。そしてまた翌週、ぶらりとやって来る。商品やサービスに対する徹底したこだわりやお客様への気配り、社員への愛情、初心を原点とする経営理念、そして、何より裏表のない人間的な温かさ。売上高4000億円の外食産業最高責任者から直接学んだことは、市川氏にとってかけがえのない財産になった。
 常に全力で業務に取り組み続けた市川氏だったが、アメリカの本社の主導体制が色濃く反映され始めた2001年頃から、会社の方針に違和感を覚える機会が増え始める。相変わらず業績はきちんと残していたものの、数字だけですべてをドライに評価するアメリカのトップダウン方式に、人情の厚い兄貴肌の市川氏はどうしても馴染めなかった。『オレがあんなに愛したマクドナルドが、何だか変わっちまった…』。まるで長年連れ添った恋人の心変わりのようだった。
 転機は2005年8月。市川氏は日本マクドナルド株式会社を退社する。そして、その1か月後の9月にタリーズコーヒー株式会社に入社する。が、驚くのはその間の過ごし方だ。タリーズコーヒーの都内店舗で、素性を隠してアルバイトをしたというのだ。さらに3泊5日の強行軍で、本社のあるアメリカのシアトル市内のコーヒー店の視察旅行にも出た。現場第一主義を重んじる市川氏ならではの、ユニークな内偵方法だった。しかし、「マクドナルド愛」一筋で過ごしてきた彼にとって、最初は驚きの連続だったという。
『いかに自分が世間知らずだったか、井の中の蛙っぷりを知らされました(笑)』。
 自分自身に足りないものを吸収し、約2年でタリーズコーヒーを退社。
 こうして2007年7月、満を持して「脱サラリーマン人生」に突入した。フード・バリュー株式会社の誕生だ。気付けばまるで運命のように、かつて反発していた父の仕事同様、息子は独立起業の道を選んでいた。


飲食業は、現場のスタッフが活き活きとしていないと長くは続かない

 日本と世界を代表する外食産業大手「マクドナルド」で培った現場体験があるからこそ、これからも市川氏の現場第一主義は揺らがない。会社は長い年数になってくると、決して少人数では回していけない。5年〜10年程度なら、たとえ中身がバラバラのニセモノでも会社は続く。しかし10年〜20年継続するには、やはりその体制の真価が問われることになる。仲間や同志を集め、現場を大切に育てることで企業内の結束は強くなり、企業も強くなれるのだ。
 市川氏には、フード・バリュー株式会社で達成したい計画があるという。「10業態で各10店舗、合計100店舗の店を出すこと」だ。この数値目標は、飲食業界の現場をずっと歩んできた市川氏ならではの意味が込められている。
『自身の社長としての成功には、まだ道のりがある。世間からはまだまだ見下されることが多い飲食業界だからこそ、この道を共に歩きながら、この業界で活躍する人をもっともっと輩出したい。フード・バリュー株式会社では、10人の社長を世の中に送り出すつもりだ』
 企業は人なり。飲食業界は、特にそれが当てはまる。人の成長を礎に、会社そのものを強くして、人の価値を高められる会社を作るため、そして業界の未来のため、情熱と人情を内に秘め立ち上がった兄貴肌の熱い男に期待したい。

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