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第415回 有限会社食匠厨房 代表取締役 坂本紘一氏
update 14/01/07
有限会社食匠厨房
坂本紘一氏
有限会社食匠厨房 代表取締役 坂本紘一氏
生年月日 1981年7月8日
プロフィール 山口県にて生まれる。父の仕事の関係で引越しが多く、大阪・長崎・兵庫・徳島・愛知・愛媛・福岡と山口まで入れると8府県を渡り歩いている。横浜国立大学卒。株式会社リンク・ワンに就職し、飲食でのキャリアをスタート。28歳のときに、株式会社「大関商品研究所」に入社。2011年5月、飲食事業を有限会社「食匠厨房」として分社化。代表取締役に就任する。
主な業態 「まんまや」「まごわやさしい」「BLACK POT」他
企業HP http://shokutakuchubo.com/
古民家を改装し、温もりに包まれた昭和の趣を演出しつつ、料理と銘酒を楽しめるのが、「古民家居酒屋 まんまや」。今回、ご登場いただく坂本紘一が経営する有限会社「食匠厨房」の主要ブランドである。一軒、一軒、丹精を込めて作り上げられる「食匠厨房」の各店舗、各ブランドはすでに7店舗。母体である株式会社「大関商品研究所」から2011年5月に分社化しスタートしたことを思えば、スピードも早く、今後、どんなブランドをリリースしてくれるのか、それも楽しみといえるだろう。2013年、代表取締役の坂本はまだ32歳。これからにも大いに期待できる若き経営者の一人である。

転勤家族。

1981年7月8日、坂本は山口県に生まれる。いまの風貌からは想像しにくいが、わがままでガキ大将。きかん気の強い少年だったそうだ。
父は大手生命保険会社のサラリーマン。大阪からスタートした転勤の数々は、代理店として独立開業されるまで計7回。その度に母と坂本と妹と弟の計5人も、引っ越した。引っ越す度に、友だち作りもゼロから。ガキ大将は、だんだんまるい性格になっていったのだろうか。
「まさに転勤家族です。今となっては、いい経験だったと言えなくもないですが、子どもの頃ですから、楽しいだけではありません。それを砕いてくれたのが、スポーツでした。小学生から始めたサッカーは中学生いっぱいまで続けました。」

ラグビー部からヨット部へ。

中学までサッカーボールを追いかけた坂本は、高校に入り「ラグビー部」に所属する。強豪校ではなかったが、サッカーとはまた違う、チーム競技を楽しんだ。
「一度、高校に入ってから父に想像していた学校と違うから辞めさせて欲しいといったことがあるんです。それなりの進学校で、窮屈だったんでしょうね」。
「ぼくは昔から『職人』という響きが好きで、料理人に憧れていたこともありました。だから高校を卒業する段になって、何をしようかと思った時、職人という言葉も頭に浮かんだんですが、両親からの説得もあり、とりあえず大学だと。適用範囲の広い、経営学部に進みます」。
坂本が進学したのは「横浜国立大学」。大学時代にはヨット部に所属した。職人への思いは脇に置き、ともかく海に向かった。

皿洗いからスタートした飲食人生。

「人生の転機を挙げるなら、ヨット部に入ったことと、卒業後、リンク・ワンに就職したことです。うちのヨット部は入部当初はぜんぜん強くなかったんですが、いつの間にかヨットの魅力に惹かれ、主将として素人集団を率いて全日インカレや日米親善大会へ連れて行きました。4年間、休日になると海に向かう、そういう生活を送りました」。
「大学生になって初めてアルバイトも経験しました。飲食がほとんどです。初めてバイトを開始したのは、年末。今なら年末が飲食店にとってどういうものかわかるんですが、何しろ初めてだったものでわけもわからず、ひたすら皿洗いをさせられました(笑)。
年が明け、客が落ち着いた頃になって初めていろいろ教えてもらったんですが、この時は、一生、飲食をするなんて思いも寄らないことでした。もっとも、その後の進路に株式会社リンク・ワン(※)を選んでいるんですが…」。
リンク・ワンでの4年半も、坂本にとっては貴重な時間、貴重な経験の毎日だった。
「独立志向は、なかったですね。トップに立つよりも、ナンバー2がいい。そういうタイプなんです。リンク・ワンでは『知恵を出せ、知恵がないなら汗をかけ』という言葉に代表されるように、わからないことだらけの環境で成長するために、馬車馬のようにがむしゃらに働きました。リンク・ワンを退職したのは、結婚したこともあって落ち着こうと思ったから。とは言っても飲食戻ってきてしまいましたけど(笑)『大関商品研究所』に転職するのは、そのあとのことです」。

※『成長機会提供業』という経営理念の下、飲食店の業績改善を主とする現場コンサルの派遣会社

代表取締役に就任。若き経営者の戦いが始まる。

「転職を考えた28歳の頃は、いろいろ考える時期だったと思います。仕事についてもそうです。その頃も、独立は頭になかったですね。その一方で、組織のなかで埋もれてしまうのもイヤだなと思っていました。だから、大組織ではなく、小さくてもいいから上にあがっていける会社で、と考えていたんです」。
元上司の紹介で、「大関商品研究所」と出会った。
2011年には、飲食事業を分社化し、有限会社「食匠厨房」を設立。その代表取締役となる。代表取締役になってどうか、ということも聞いてみた。
「同じ、飲食でも見え方がぜんぜん違いますね。とは言っても基本的にお客さんから頂くお代で成り立っている商売なので、本質的には変わらないですけどね。ただ、現場の大切さと同じくらい、いかに利益に繋げる仕組みを作れるか。それが今の立場の仕事だと思っています。」
すでに7店舗。冒頭で紹介した通りだが、いずれも素敵な店ばかり。こちらはHPで確かめていただくとよくわかる。
「横浜国立大学」。優秀な大学を卒業した、若き飲食経営者。熱いハートも、冷静な頭脳も持っている。そこがいい。

最後に飲食の何が好きか聞いてみた。
「リンク・ワン時代の出来事です。。グランドオープンの立ち上げで、アルバイトが揃ったのがオープン2週間前。未経験者ばかりで、何一つできない子ばかりでした。あの時ほど、本気で怒ったことも、褒めたこともありませんでした。
わずか2週間。無理だと思ったこともありましたが、その2週間で、なんにもできなかった子が、なんとも頼もしい子たちにかわっていったんです。この間近で人の成長を感じられる経験を通して、ぼくは飲食に魅せられたんです」。
人を育てているつもりが、いちばん育てられていたのは、坂本本人だったかもしれない。
10年前には、飲食で食べていくとは思ってもいなかった。にも、関わらずいま坂本の人生のテーマは「飲食」である。
「人」が中心の飲食には、やっぱりいろいろなドラマがある。

思い出のアルバム
 
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