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第418回 株式会社スープアンドイノベーション 代表取締役社長 室賀 康氏
update 14/01/28
株式会社スープアンドイノベーション
室賀 康氏
株式会社スープアンドイノベーション 代表取締役社長 室賀 康氏
生年月日 1979年2月9日
プロフィール 長野県長野市に生まれる。工業高校に首席で合格し、定期テストでいちばんを取りつづける。信州大学工学部に入学し、卒業後、JA長野共済連に就職。3年間システム部に在籍したのち退職し、大学時代から希望していた飲食業に転身。ファミリーレストランなど、いくつかの飲食店で修行したのち、2009年、(株)スープアンドイノベーションを設立。代表取締役に就任し、「ベリーベリースープ」ブランドを立ち上げる。
主な業態 「ベリーベリースープ」
企業HP http://www.soup-innovation.co.jp/

長野工業高校にあって、20数年ぶりの快挙。

室賀にとっては、父の存在が大きい。父は、高校を卒業後、地元の「大手電機メーカー」に就職。定年までわき目もふらず、その会社一筋に生きてきた人である。
そういう世代だったとも言えるが、父を間近でみてきた室賀にとっては、それ以外の生き方はなかなか考えられなかった。
「定年迄、まっとうできる会社かどうか」。それが仕事選びの尺度になった。むろん、大学卒業時だから、まだ先の話ではあるが。
室賀が生まれたのは1979年の長野市である。のちにオリンピックを招致し、熱狂する街もまだひっそりとした街の一つだった。市の郊外に新興の住宅地が生まれ、室賀一家もその住宅地の住人となる。人口は多く、中学の生徒数は1000名をはるかに超えていた。
室賀はサッカー部に所属していたが、「3軍まで、あった」という。「私は2軍でした」と笑う。11クラスもあったそうだ。
中学を卒業し、進学したのは長野工業高校。「情報科に入りたくて…」と室賀。その高校で、それまで中の上ぐらいだった室賀の成績が、群を抜くようになる。
「入学時に首席だったんです。それまで、中の上ぐらいでパッとしなかった成績ですが、首席ということになって急にやる気がでてきました。それで、勉強ばかりして。そう高校時代の3年間、定期テストはぜんぶ1位です。中学同様、生徒数は少なくなかったんですが、もう1位は手放せないと思って、勉強もしました」。
「学校から4時か、5時に帰ってくるでしょ。それから、ごはんと風呂、それ以外は朝2時までずっと勉強です。この高校時代に人格も形成されました」。
勉強、勉強、それでも、苦にならなかった。学年で1番の目標が、卒業時には、それまで20年間以上、先輩たちができなかった「信州大学工学部」現役入学という目標にとって代わった。
「結局、推薦で進学できました。快挙といえば快挙ということになるんでしょうね。この信州大学の学生時代、私は一つの転機を迎えます」。

定年まで、どうはたらくかという問題。

室賀が大学1年時に、長野オリンピックは開催されている。室賀は、家庭教師や塾講師などのアルバイトを始め、大学2年時からは、地元のローカルなファミリーレストランで勤務した。この時のアルバイトが、一つの転機となる。
「店長に惹かれたんですね。高校入学以来、私を叱るような人は周りにいなかったわけです。ところが、店長には、やることなすこと怒られて。でも、怒られることが新鮮なもんですから(笑)。ぜんぜんイヤにならず、結局、1年以上いて、飲食業の楽しさまで実感するようになるんです」。
当時、「許されるなら、飲食店に就職しようと思っていた」という。ただ、長野というまだ田舎の話である。就職時には東証二部の情報処理の会社に合格するが、その会社でさえ、親からは首を傾げられる始末だった。結局、JA長野共済連に進路を決める。
「ここなら、無事、定年を迎えられそう」というのが、最終的な理由である。
ところが、定年までという長いスパンで考えたことで、のちに、この会社を辞すことになる。
「いま思えばたしかに、文句のつけようのない会社でした。希望通りシステム部に配属されたわけですし。ただ、贅沢な話ですが、私にはぬるま湯のようにしか思えなかったんです。このまま、定年まで同じような仕事をつづけていくのか、と思うと急に耐えられなくなったんです」。
入社1年目で辞めるつもりなった。ただ、石の上にも3年。3年間は辛抱だと思った。「どこかで気がかわるかも」とも思っていたが、3年たった頃には、すっかり次のプランも出来上がっていた。飲食業での独立。一攫千金を目標にした、刺激ある毎日が待っているはずだった。

独立、起業まで。

大学時代にバイトをしたことがあるファミリーレストランに就職した。のちにスカイラークグループに入るトマトアンドオニオンである。
「大学時代にアルバイトはしていましたが、3年間のブランクがあって、からだがいうことを効かないんです(笑)。それに、最初はアルバイトで時給800円。こんなにたいへんな思いをして1日、6400円?と首をひねりました。それでも、もう戻れない。負けてなるものか、と時給800円でけんめいにはたらきました」。
刺激ある日々の前に、忍耐の日々が待っていた。
「当時のトマトアンドオニオンは、すでに100店舗ぐらいの規模でした。直営が40でFCが60ぐらいです。私は、FCビジネスを指向していましたので、勉強にもなると思っていたんですが、店長になるには5〜7年かかると言われ、それで1年で、牛角のレインズインターナショナルに転職しました。こちらではすぐに店長に就任。スピード感ある1年を過ごし、1年後、今度はロイヤルホストに入社します。当時、ロイヤルホストでは、店長に『予算組み』まで委ねていたんです。その経験もしておきたくて」。
一攫千金をめざした計画は予定通り進んでいく。
「ロイヤルホストとは3年間という約束だったんですが、3年目になった時、長野でレインズのあるブランドを初出店するオーナーから誘いを受け、はじめて<ザー>ではなく<ジー>ではたらく機会を得たんです」。
FCビジネスのむずかしさは、いかに有効なパッケージやシステムをつくるかにかかっている。しかし最終的には、ジーとザーをいかに強く結びつけるか、に尽きると思う。その意味で、FCビジネスをめざす室賀にとって起業以前に、両者を体験できた意味は大きいのではないか。そして、1年後の2009年、室賀はついにスタートを切る。

しあわせは一杯のスープから。

構想は、レインズインターナショナル時代にできあがっていた。食べるスープ。競合もけっして多くはなかった。資金は貯蓄していた350万円と500万円の融資を合わせ、合計850万円。オープン時に資金はほぼ底をつき、残すところ10万円になっていた。
それでも、オープン後、客が殺到する。見事にヒットした。長野の地方TV局も取材に入り、雑誌の依頼も殺到する。
「売上そのものは240〜250万円でしたが、利益が30万円ぐらいでます。最初は、FC展開と思っていましたが、これなら定年の60まで暮らしていけるのではないか、と正直、甘い期待を抱きました。でも、そうですね。2ヵ月が過ぎ、3ヵ月目、急に客足が鈍るんです」。
「スープ業態ですから夏場は落ち込むのかな、という感じで笑っていたんですが…」。
笑い事ではなかった。3ヵ月目の売上は前月比60%。150〜160万円ほどに落ち込んだ。何がいけないのか。レインズインターナショナル時代を思いだし、アンケートを取った。クレームがアンケートを埋めた。
「スープが不味い。次に、ぬるい。煮詰まっている。とにかく改善です。今日アンケートでいただいたことは明日までに改善する、その繰り返し。それしかできないから、愚直に実践しました」。
それでも持ち直すのに3〜4ヵ月かかった。最初から、持ち直すとわかっていれば、3〜4ヵ月など短いものだ。しかし、持ち直すとわかってもいない月日は、途方もなく長く感じられたに違いない。
ただ、この数ヵ月の葛藤は、レシピはもちろんオペレーション全体をお客様の声をもとに一新することができた貴重な時間となったに違いない。
冬が迫り、スープが恋しくなった季節、ふたたび、店は軌道に乗る。2年目からは、積極的にFC募集を開始した。
結果、この5年で直営店は1店舗のままだが、23店舗のFC店が誕生した。長野に本部と直営店があるというのもなんだか、いい。スープと長野の自然が重なりあうことで、清涼で、からだにいいスープをイメージすることができる。
しあわせは一杯のスープから。このキャッチフレーズもいい。
長野に生まれた少年がつくったおいしいスープ。一度、味わってみてはどうだろう。

思い出のアルバム
 
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