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第419回 有限会社もうやんカレー 代表取締役 辻 智太郎氏(ニックネーム:もうやん)
update 14/02/04
有限会社もうやんカレー
辻 智太郎氏
有限会社もうやんカレー 代表取締役 辻 智太郎氏
生年月日 1971年
プロフィール 東京都杉並区に生まれる。大学卒業後、入社したスポーツ関連の会社の寮で、オリジナル「カレー」を発明する。カレーショップ開業のため、退職し、有名店で修業。25歳で、独立。新宿に1号店を開業する。2014年1月現在で、創業17年、6店舗(うち1店舗FC)を展開。
主な業態 「もうやんカレー」
企業HP http://moyan.jp/
ニックネームだそうだ。もうやん。小さな頃からそう言われていたという。それを店名にした。「もう言うことなし」をもじったと思っていたが、マトを外していたらしい。
名は体を表すというが、ニックネームにも、その人のひととなりがでているようでおもしろい。「もうやん」の人生を追いかけてみよう。

空手、柔道、ほか諸々、すべて3段以上の父が、倒れる。

「もうやん」こと辻 智太郎は、1971年、東京都杉並区に生まれる。住まいは100坪もある豪邸。当時、某大手ゼネコンの幹部だった父親は、30代で、この住まいを手に入れ、毎日、運転手が送り迎えをする優雅な生活を送っていた。むろん、母親は専業主婦。お嬢様みたいなところがある人、と、もうやんはいう。
ある時期までは、「裕福」という文字を、絵にかいたような暮らしだったが、大黒柱の父親がハードワークのため倒れ、いっぺんする。
「もともと父は格闘技が好きで、空手も、柔道も、そのほか諸々の格闘技、すべて3段以上の腕前でした。若い頃は道場破りもしていたそうです。そんな頑強な父でしたが、連日の、接待も影響したんだと思います。ハードワークの末、倒れ、生死をさまよいました。私が小学4年生のときです」。
「一時は、医師も匙を投げるぐらいだったのですが、『食事療法』に取り組んでからみるみる状態が良くなり、命を取り留めたばかりか、仕事に復帰できるぐらいにまで回復したんです。命を救われたという思いがあったんでしょう。父は、重役のポストを捨て、オーガニックの専門ショップをはじめます」。
「しかし、当時はまだオーガニックという言葉も知られていなかった時代です。それまで億単位の仕事をしていた父が、100円、200円を売るのに頭を下げ、家族総出で店を手伝いました。私も、学業そっちのけで、朝から店を手伝いました」。
家族全員でがんばっても、売上は微々たるものだった。家計はとたんに苦しくなる。
「ほかに食べるものがないので、残ったオーガニック食品をみんなで食べていました(笑)」ともうやんは笑う。
それでも、天職と思われていたのだろう。細々と、だが、店をたたまず、つづけられた。子どもたちにすれば、その父親の選択を受け入れるしかなかった。
ちなみに、この店は現在、もうやんの兄が継いでいる。当時と比較すれば、売上もずいぶん増え、現在では、某有名企業の機内食用に納入するほどになっている。

倍率0.7倍の高校に進学。

スポーツはできた。父、同様、格闘技もやった。からだも元気で、活発な少年だった。反面、勉強が大の苦手。成績もふるわず、中学を卒業する段になって調べてみると、いける高校もなかった。もうやん本人も、「高校には行かないつもりだった」そうである。
「お金がないから、私立は無理、都立なら行けましたが、今度は点数がたらない。もういいや、と思っていたんですが、倍率0.7倍という奇跡的な数字を叩き出した、救世主のような高校があったんです。受験すれば、合格です。ただ、東京は東京でも、『大島』。ほとんどの生徒が島民で、こちらから行く人間は、限られていました(笑)」。
「父がみつけてきた」と、もうやんはいう。「大島」の高校とはいえ、卒業すれば少なくとも「高卒」の肩書きがつく。中卒と高卒では、雲泥の差がある。それもまた社会というものだ。もうやんの父親もこの現実を危惧され、入学できる高校を探されたのだろう。
しかし、大島は、はるか南の端。もうやんは、どんな気持ちで、海を渡ったのだろうか。ともあれ、親許を離れての独り暮らしがスタートする。

リゾート気分、満開。

真っ青な空、コバルトブルーの海。サンゴ礁に、色鮮やかな魚たち。
高校1年生。考えてみれば、これほどリゾートちっくな高校もないだろう。もうやんが暮らす、寮の窓の外にはコバルトブルーの太平洋が広がっていたそうだ。
「高校、3年間、たいへん貴重な経験を積ませていただきました」ともうやん。
たしかに、都内の高校では体験できないことばかり。ネオンの代わりに無数の星、潮騒、潮の香り、満天に広がる青空。そういった自然にふれることができた。
もっとリアルな、自然にもふれた。
「農業高校なんです。敷地はむろん都内随一です。でも、開墾もされていないジャングルも含めて、学校です。ユンボやブルドーザーやトラクターで開墾したり、農薬や除草剤をなるべく使わず、野菜果物をつくったり…。収穫の時期がいちばんの楽しみでした。一方、畜産も経験しました。子ブタの睾丸を取り出して、煮っ転がしにして食べるんです。そうするほうが豚の成長にいいんですが、睾丸を獲るときに、『ピー』って、島中に聞こえるような大きな声で啼くんです。あれは、忘れられません」。
鶏もしめた。食べるということを、食材の生産段階から知ったのはこの時である。
ただ、将来、「食」の仕事に就くとはまだ思っていなかったそうだ。
もうやんは、この3年間でさらにたくましくなり、ちょっぴりだが、学力も上がった。高校卒業時には、なんとか大学進学も狙える成績になっていた。

カレーショップ誕生の、秘話。「もうやんカレー」が生まれる、その前の話。

「もうやん」が就職するのは、スポーツ関係の会社である。
もうやん自身、「カレー屋の前はスポーツジムのインストラクター、マッスルトレーナー、プロテインの販売、バーベル・ダンベルの販売など運動に関わることばかりやっておりました」と語っている。
スポーツに関わったのは、大学のアルバイトで始めたのがきっかけ。そのままスポーツ関連の会社に就職したわけだ。
「父を観ていましたので、商売をしようとは思っていたんですが、カレーショップという発想はまったくない。では、どうしていまカレーなの? と良く聞かれるんですが、カレーの、たとえばスパイス。あのスパイスは、漢方なんですね。そういう『自然なもので、からだにいい』ということが一つ。そして、もう一つが、いまからお話する、前職での話です」。
「いま思えば、いくつかの要素が重なっていたんだと思います。まず社会人になって、寮に入れてもらいましたので、家賃が安く、そのぶん食費にお金をかけられたんです。私は自炊していましたので、ちかくのスーパーで食材を仕入れてきます。スーパーといっても、高級な住宅街にあるスーパーだったので、値段は高いですが、いい食材が豊富にそろっていました。いろんなスパイスも、置かれていたんです」。
「お金はあっても、時間はありません。とはいえスポーツ関連の仕事なので、食事は大事。時間がないからと朝食も抜けません。もちろん栄養のバランスも頭に入れて。そう思ってつくっていると、自然と『カレーみたなもの』にいきついたんです。これなら時間がなくても、すぐに食べられます」。
「その『カレーもどき』を毎日食べていると、からだの調子がすこぶるいいことに気づくんです。それは、そうでしょう。高い野菜を惜しげもなく鍋に投入する。漢方にもなる、スパイスもたっぷり。低脂肪で、例カロリー。それでいて抜群に旨いわけですから、食も進みます」。
「完成した『スパイス鍋』を寮のなかまにふるまうと大好評でした。『旨い、旨い』と、それを言われて感動し…。それで、カレーショップをやることにしたんです」。
単純といえば単純だが、もうやんは本気だった。
商売にするとなれば、準備もいる。資金の手当てもそうだが、何より味だ。もうやんは、有名なカレーショップを次々と偵察する。
「まだサラリーマンだったので、夜は同僚とカレーショップに飲みにいき、休日は、カレーショップで飯を食い、寮にもどってカレーをつくり、と、まぁ、どっぷりカレーにつかっていました」。
そして、とうとう退職届をだす。カレーショップをはじめたいというのが、退職理由だった。もうやんは、正直者なのである。
給料はいらないから、といって有名なカレーショップで修業をさせてもらった。
「一軒目は、神保町のボンディ、二件目は銀座のモンタニエです。もう、カレーショップで独立することしか頭になかったものですから、『人の3年を3ヵ月で』と決め、猛特訓を開始しました」。

「もうやんカレー」 が新宿にデビュー

そしてついに、1997年11月、「もうやんカレー」 が新宿にデビューする。テラス席を含め17坪、44席。けっして広くはないが席数は十分にあった。しかし、それを埋めるだけのチカラが「もうやんカレー」にはあったのだろうか。
「その時、私は25歳です。もう、妻子もいまして…。店をもつなんて危険な冒険が許されるわけはないんですが、周りをなんとか説得して、3000万円を借金してスタートしました。むろん、そういう、経済的な意味でも潰すわけにはいきません。でも、カレーショップを開く、それだけでわくわくしていたのも事実です」。
ともかく猛烈にはたらいた。寝る間もなかったが、元気溌剌、やる気もマンマンである。トイレに防水加工を施し、シャワーを使えるようにして、店で泊まり込んだ。
3年間、定休日もなかった。つまり休まなかった。
はたらきづくめ、とはこのこと。ただし、「もうやんカレー」を食べると不思議と体力も蘇り、元気もでた。もちろん、客にもすぐに支持された。あのカードゲーム「遊戯王」にも、体力を取り戻す魔法カードとして、「もうやんカレー」カードがあるそうだ。それだけ人気があった。
1号店オープンからもう16年になるが、人気は、いまもおとろえない。ためしにグルメサイトを観てみたが、すこぶる評判がいい。

素人だからできたカレー。「贅沢すぎる」カレーなのだ。

完成までおよそ2週間。
「もうやんカレー」は、厳選した野菜を2日かけ煮込むところからスタートする。かたちはなくなっているが、1食に、玉ねぎだけでも、まるごと一つ分が含まれている。そこに25種類以上のスパイスが投入される。
「カレーのソースをつくる食材の原価は、通常のカレーの3倍」ともうやん。
厳選という言葉通り、野菜の質も高く、スパイスもオリジナルで原価が高い。それらを惜しげもなく鍋に投入する。
「それではもう、儲けがなくなってしまう」と、こちらの方が心配にもなる。
「一度、有名なメーカーがうちとコラボで、『もうやんカレー』という市販の商品をつくって一般に売り出そうといってきたことがあるんです。『おなじ味にできるならいいですよ』といったんです。相手は最初、自信満々のようでした。すぐにでも、おなじものをつくってくるといういきおいだったんですが、結局、『似たような味にはできたけれど、そうするには、食材費がむちゃむちゃかかる』というんです。市販できるような価格にはならないから、今回は見送らせてほしいと頭を下げてくるんですね」。
「うちのカレーが真似できないことが証明されたわけですから、うれしくもあったんですが、市販されたら有名になるなとも思っていたのでちょっぴり残念なことではありました(笑)」。
つまり、「もうやんカレー」は贅沢すぎるのだ。原価3倍以上、旨くないわけはない。玄人なら、その有名なメーカー同様、そろばんに合わないというだろう。
しかし、もうやんにとって、そろばん勘定は、二の次だった。この選択は、間違ってはいない気がする。原価を惜しんでいては、しょせん、街にあふれるカレーショップをつくるのとおなじようなものだったから。原価を3倍かけても、それだけお客様が数多く来れば、ちゃんと儲けは出る。もうやんと「もうやんカレー」は、それを証明した。
でなければ、17年も、つづけられないし、6店舗(うち1店舗はFC)も出店することはできなかっただろう。

「もうやん」の味をもっと広く、全国へ、そして世界へ。

「体に良いカレー、正しい食事、外食の有りかたを伝え、それを通じてみなさんにハッピーになってもらいたいというのが、私たちのビジネスの軸です」ともうやんは語る。
「実家の影響も受けています。一方、スパイスは調べれば調べるほど良い漢方薬だとわかりました。医食同源という言葉がありますが、『カレー』はその極みです」。
料理手法というよりも、食材に目を向け、健康というワードを加えることによって、「もうやんカレー」はできあがる。
もうやんもいう。
「インドのスパイスの保存法、中国の味噌の応用、日本の出汁、フランスのトマトの使い方。世界の料理の、いいとこ取りをしたのがもうやんカレーなのです」。
いいもの、旨いものを惜しげもなく、一つの鍋に放り込む。むろん、バランスをとりつつだが、質も、量も、時間も惜しまない。
このもうやんのやりかたを、パッケージにし、FC展開を行っていくのが、いまの目標。
「直営店も出店しますが、今後はむしろFC展開を優先していこうと思っています。ありがたいことにもう、多くの希望者がいらして…。ただ、人の問題など、そう簡単にはいきませんね、やっぱり」と、苦笑する。
人の問題、出店場所、国内だけではなく、海外まで視野に入れているから尚更、問題は多くなる。それでも、もうやんは負けないだろう。
「もうやんカレー」という一杯のカレーのチカラを誰よりも良く知っているからだ。「もう言うことなし」、それが、もうやんのカレーである。
話はかわるが、「もうやん」は、スタッフの教育のために、オリジナルの「格言」日めくりカレンダーをつくっている。
「切り開き押し進む」「力を抜け上手くやろうとするな、ゆっくりやれ」「ハンコは平らな堅いところでつけ」、とスパイスの効いた言葉が並んでいた。

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