サンクスマインド株式会社 代表取締役 秋月秀夫氏 | |
生年月日 | 1969年生まれ。 |
プロフィール | IT会社のサラリーマンとして10年勤務した後、飲食店の運営を目的としたサンクスマインド株式会社を設立。 フランチャイズである北前そば高田屋に加盟。 2005年2月、オリジナル業態の沖縄料理店をオープン。 現在4業態、5店舗を運営。 |
主な業態 | 「TODOS」「あしびな〜」など |
企業HP | http://www.thanks-mind.co.jp/ |
少年時代の秋月氏は、まだ自然が多く残っていた横浜で野山を駆け回って過ごした。学習塾を経営していた両親から厳格な教育方針や躾で縛られた思い出はほとんど無い。むしろ、個性や自由を尊重した育て方だった。そんななかで自然に育まれていったのが、「自由」であるからこそ逆に求められる「自主性」や「自立」、そしてそれに伴う「責任感」だった。子供ながらに体得した処世術という名の“器用さ”は、堅実でマイペースな今の秋月氏の印象にも繋がっている。少年時代の背景には、いつも恵まれた「自由」があった。
この頃思い描いていた将来像は“何か人のためになれる仕事”に就くことだ。人に喜ばれたいという「やりがい」と、堅実で安定した生活を送りたいという「理想」。当時この2つが交差するところに漠然と見えていた職業、それはなんと「医者」だったそうだ。秋月氏の人生の選択肢に「飲食業界」が登場してくるのは、まだまだ先のこと。医者と飲食業の共通点を敢えて探せば、「人を相手にする商売」であることくらい。秋月氏は先々の岐路で、常にこの「やりがい」と「理想」の両者間で揺れ動きながら、自分自身を冷静に見つめ、決断を重ねていくことになる。
遊びとスポーツに明け暮れた学生時代だった。サッカー、テニス、野球…。チームプレーを必要とする球技も、己との戦いになる個人競技も、スポーツ万能の秋月氏はどんなジャンルでも難なくこなす“器用さ”を発揮した。さらに大学時代に出逢ったスキーには、とことんのめり込んで夢中になる。その結果、卒業時の成績表にはズラーッと「C評価」が並ぶことに…。
将来を案じる周囲の心配をよそ目に、学校の推薦状があればどこかには就職できるだろうとタカを括っていた本人は、就職活動にも特に力を入れた記憶はないそうだ。『しっかり休みが取れて、安定した生活。大手メーカーに入って無難な人生が送れればそれでいい(本人談)』と考えた。その時は「やりがい」よりも「理想」を重視。それなりの選択肢はまだある。不安はまったく感じていなかった。
秋月氏の卒業当時、世の中はバブル経済がはじけた直後。推薦枠で受けた大手電機メーカーから不合格を知らされて初めて、現実を知ることになる。『考えが甘かったですね。落とされてよかったですよ。今だから言えることですけど(笑)』。確かにここで大手メーカーに無事就職していたら、今日の秋月氏は存在しなかった可能性が高い。無難な企業人生を求めた岐路から、やがて巡り巡って浮き沈みの激しい飲食業界での起業につながるなんて、まだ想像も出来ない23歳の春だった。
就職留年をしようとかと迷っていた矢先、何気なく訪問したIT関係の会社から入社を誘われる。今でこそ一部上場企業が続出し急成長を遂げたIT業界だが、当時はこの会社を含め、華やかさや人気とはまだかけ離れた業界だった。しかも秋月氏、理系数学科卒とはいうものの『正直、コンピューターは大の苦手でね…(苦笑)』。過度な期待も無いまま、時の流れに流されるように秋月氏のサラリーマン生活が始まることになる。
最初に配属されたのはSE職。地道な仕事だった。途中、営業職に希望配置転換されたが『うだつの上がらない営業だったと思う(笑)』。何かが足りなかった。その後、数年を経て営業の経験値が上がり、IT業界そのものの急成長も手伝って、いつしか大手一流企業を相手に立派な業績を作るようになる。売上と契約を取るための接待漬けの日々。相手も自分も、大会社の一歯車として機械的にこなす業務。人対人ではなく、会社対会社。ブランド対ブランド。それは「ありがとう」という感謝の気持ちが育めない、心の通わない仕事になっていた。「やりがい」はまったく感じられなかった。ずっと自分の中でくすぶっていた違和感に気づいた。
その後、同じIT関係の小さな会社に転職する。ドブ板営業の典型的会社だった。が、どんな人とも同じように接し、心の通った会話ができる業務にこそ自分の居場所を感じた。前職でIT業界における自分の限界を感じていた秋月氏は、ここで安定した生活よりも「やりがい」優先の人生に軌道修正することを決意する。「ありがとう」という感謝の想いを互いに通わせることができる、温かい仕事。充実感のある身近な仕事。酒好きの秋月氏が、居酒屋業を始めることを思いつくまでにそう時間はかからなかった。迷いは一切ない。“サンクスマインド”という現社名は、この時に生まれたものだ。
実家はもちろん、親戚関係も何らかの商売を営んでいることが多かった秋月家。独立起業することについての抵抗は全く感じなかった。奥様も黙って付いてきてくれた。退職で得たキャピタルゲインで、当面の資金もある。ただ一つだけ、決定的な問題があった。それは「飲食業界での経験」。飲食するのは大好きでも、飲食を経営するのはまったくの素人だった。
その頃の飲食業界といえば、フランチャイズ・ビジネス(FC)が全盛期。専門誌や求人広告には「FC」の文字が毎号のように躍っていた。『これしかない!』。無謀な挑戦だからこそ、無難な道を選ぶことにした秋月氏は、「ありがとう」という言葉を大切にする経営理念を掲げていた「高田屋」に人生を賭ける。
平成15年の3月、秋月氏にとって最初の店「高田屋」五反田店がオープンする。より良い立地と条件を求めて探し回った結果、気が付けば一念奮起した決断の日からすでに約1年が過ぎていた。予算も想定をはるかにオーバーしていた。『今だったら絶対に選ばない場所です(笑)。でも当時は最高の物件だと思ったし、何より自分の店を持つという「夢の実現」に向けて、逸る気持ちを抑えることができなかった。オープンした時は本当に感激しましたね』。
しかし、飲食業はそう甘くはないことをすぐに目の当たりにする。問題は多岐に亘って次々に発生した。組織図で簡単に解決できないチームワーク。時に、必要とされる個人プレー。運営やマネージメントの難しさは、IT業界時代には体験したことのないものだった。ひとつ屋根の下で多くの時間を過ごす、飲食業ならではの緊密した時間と人間関係が終始、秋月氏を悩ませた。少ない人数で運営するために必要な役割と責任の分担とマンツーマンの人材育成。日々生まれる問題への対処とお客様への応対。朝から深夜まで睡眠を削って働いてもちっとも追い付かず、資金も体力も、そして気力も限界ギリギリの毎日が続いた。
背水の陣で臨んだ秋月氏は、次の出店に打って出る。挑んだ場所は品川。隣接エリアでの出店にこだわった品川店は、駅前開発が進む中で順調に売り上げを伸ばしてくれた。飲食業界の面白さをやっと体感出来たのもこの品川店だった。『品川店が無かったらもうこの業界、辞めていたかもしれませんね』。
この2号店があったからこそ、秋月氏のその後があると言える。絶対絶命のピンチに追い込まれた3号店は初めてのオリジナル業態「沖縄料理あしびな」。着眼点は良かったのだが、またしても人間関係に足元をすくわれる。が、2号店での成功があったからこそ、秋月氏は軌道修正をしてこの業界に踏み止どまった。
その後、1年に1店舗のペースで着実に新規出店を続ける秋月氏。現在、2009年2月には彼にとって6店舗目となる「沖縄料理あしびな」が池袋にオープンする。創業からたった7年で、計4業態を堅実に展開する安定した飲食業界の優良企業のポジションまで駆け上がった。ただ、この勢いを加速しようとは思わない、という。『“100店舗達成”というような、自分たちのスタイルを追いこむような数値目標には一切興味がない。自分たちの目の届く規模で、理念を共有できる範囲で、堅実に店舗と事業を継続していければそれで十分。1年に1店舗出店くらいのペースが、自分にはちょうどいい』と笑う。
何が一番の苦労だったかという問いには、『人間関係のバランス。マネージメントの難しさ』と答えた秋月氏。しかし実際に苦労はあったものの、着実にここまで前進してきた秋月氏はもしかしたら人一倍、人間関係に恵まれていたのかもしれない。人の出入りが激しいのは飲食業界の常。その中でここまで着実に成長を遂げてきたのは、秋月氏の持つ人間的な魅力が、場面場面において絶対的な人間関係を築けてきた証とも言える。「一人で出来ることに限界がある」ことを知っている秋月氏だからこそ、「ありがとう」という感謝の気持ちをスタッフに対しても常に忘れない。その想いに共感するスタッフの力があるからこそ、サンクスマインド株式会社は今、コンサルティング事業や後方支援事業にまで着手する体力と経験値を手に入れることができている。
今、自身の仕事に大いなる「やりがい」を感じている秋月氏。そしてこれからは、彼が一度は諦めかけた「理想」、すなわち“安定した人生”を、この波瀾万丈の飲食業界において実現する絶好の機会が待っている。これから飲食業界を目指す後進のためにも、秋月氏には是非、「やりがい」と「理想」の人生は両立することができるという事例を、着実に堅実に業界の歴史に刻んでいってほしい。
大学時代 | IT会社勤務時代 |
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