株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長 矢都木二郎氏 | |
生年月日 | 1976年11月19日 |
プロフィール | 埼玉県生まれ。城西大学卒。大学卒業後、いったん一般企業に就職するが、24歳の時に独立開業を目標に麺屋武蔵に転職。以来、麺屋武蔵一筋。3年後、27歳で、上野店店長に昇格。店の運営・経営を任される。2013年11月11日、先代社長からバトンを受け2代目の、代表取締役社長に就任する。 |
主な業態 | 「麺屋武蔵」 |
企業HP | http://www.menya634.co.jp/ |
矢都木は1976年11月19日、埼玉県伊奈町に生まれる。実家は、歯車を製造する工場を営んでいた。兄弟は4人。矢都木は次男坊である。
「小さい頃から食べる事に並々ならぬ関心を持っていた」と矢都木。小腹が減ると、インスタントラーメンをつくって食べていたそうだ。
小学校1年といえば、ガス台に背が届くかどうかの頃だろう。鍋に湯をわかし、麺を茹で、スープの素を入れる。インスタントラーメンを巧みにつくる子どもをみて「将来、ラーメン屋になるんじゃないか」とご両親が冗談交じりに語られていたそうだが、なんとなく頷けてしまう。
料理が好きで、ラーメンも好き。週に1回は、家族といっしょに外食に行っていたというから、食べることも大好きだったのだろう。
「大学時代にハマったもので言えば」と前置きして、矢都木は<つけ麺>と言った。大学からそう離れていないあるつけ麺店で、つけ麺に出会ったのが、はじまり。
「20年程前の当時、つけ麺はまだ珍しかったんです。私は、すっかり魅了されて、年間100回は通ったと思います。それと同時に「つけ麺」という商品の将来性を考えるようになりました。」
やがて、つけ麺に明け暮れた大学生時代が終わり、就職の時期がやってくる。
就職、当時の話も伺った。
「真剣に『つけ麺屋』に就職しようと、考えていたんです(笑)」と矢都木。
「しかし、当時はまだ飲食業界へ就職することに抵抗があった時代で、私も大学まで行かせてもらったのに、ラーメン店へ就職したのでは親に申し訳ないような気もして。それで、ともかく一般の会社に就職することにしたんです」。
その会社は、食品関連の包装資材メーカーで、のちに東証一部にも上場する有望な企業だった。
「たしかに業績は良かったんですが、サラリーマンというのが肌に合わないというか。もともと<家から車で通える>、それだけで就職したもんですから、愛着という点でもいま一つでした。ともかくサラリーマンというのが、なんとも息苦しく、上司の顔色をうかがいながら仕事をするというのもイヤでしょうがなかったんです。ボーナスをもらってもぜんぜん嬉しくなかった(笑)」。
「ボーナスは貰う側ではなく、払う側に立つべきだとも思っていました。たぶん、父親をみていたからだとも思います。それでも2年はがんばったんですが、このままでは稼げないと決断したんです」。
24歳。矢都木は、もう一度、初心に帰り、意を決して、ラーメン業界に飛び込んだ。就職したのは、人気の麺屋武蔵だった。
「麺屋武蔵」に決めた理由も伺った。
「私には、つけ麺を日本全国に広めたいという思いがあったんです。大学時代、あれほど通いましたから、<つくる>自信は根拠はありませんが、何となくありました。でも、それだけで日本中に広げられるわけではないと直感的に思いました。だから、当時、ラーメン界でナンバーワンの『麺屋武蔵』で、どうすれば、ナンバーワンになれるのか、その方法論を学ぼうと思って就職したんです」。
たしかに、麺屋武蔵は業界を代表するラーメン店である。なにが、どう違うのか、その点も伺った。
まず一つ目
麺屋武蔵は「モノ」ではなく「コト」に重きを置いていると言う事が最大の違いです。創業者がアパレル出身なのでこういう言い方をしていました。「今までのラーメン屋は、旨いラーメン(モノ)を作っていればお客様は満足してくれると思っている。しかし本当は仕事や遊びの状況によって服を変えるように、お客様もラーメン「モノ」だけを食べにきているのではなく、そのラーメンにまつわる「コト(物から生じた事柄、状態)も一緒に楽しんでいるんだ」と。
「ラーメン」(モノ)というよりもまず食事(コト)である事、その時間に対して対価をを戴いているという考え方です。
当時、ラーメン屋と言えば、ムスっとした頑固おやじが、『どうだ!うちのラーメン旨いだろ!』、みたいな店ばかり。そのなかでうちの創業者の考えは異色だったと思います。先見の明もあったんでしょう。すでに、空間、おもてなし、清潔さ、サービス力の高さ、もちろんラーメンの旨さも含めて、そのどれひとつも欠けてはいけないという思いで商売をしていましたから。麺屋武蔵には<1杯にして、1杯にあらず>という言葉があるのですが、まさに我々の思いを凝縮した言葉だと思っています。
二つ目は、
ラーメン屋などは職人の世界で主従関係がハッキリしており親方が絶対です。
しかし麺屋武蔵では、「個の尊重」を会社のポリシーに掲げているとおり個人の
「オリジナリティ」を尊重しそれぞれの能力を引き出すことに力を注いでおりその結果が今の「ダブルブランド」「ダブルティスト」「マルチコンセプト」などの形につながっていくのです。
店名も「先例なしの亜流なし」をモットーにし独自(オリジナル)の剣法を編み出した無敵の剣豪宮本武蔵に因んでつけました」。
もちろん、麺屋武蔵も従業員からすれば、ほかのラーメン店同様、ハードな職場だったに違いない。ただ、矢都木にとっては、ハードかどうかより、何が学べるかのほうが大事だった。ほかのラーメン店と比べ学べることが違うのは、明らかでもある。
従業員の立場からすれば、旨いラーメンづくりだけではなく、ラーメンを中心とした食事の場である店全体が、学習の対象となる。
当然、注意すべき点は多岐に渡り、旨いラーメンを食べさせてくれる「旨い店」づくりのノウハウを吸収することとなる。
「創業者からは、『商品にはストーリーが必要だ』と言われてきました。店名も実は、『宮本武蔵』にちなんで、名づけられているんです。その一方で、サービスや清潔さ、といったホスピタリティにも、注力させられました。
「たしかにハードな仕事ではありましたが、私には、ぜんぜん問題なかった。つけ麺を日本全国に広めたい、ますますそういう思いを強くしていくのです」。
転職から3年、上野に出店した際に店長を任された。24歳で入社しているから27歳の時のことである。それから、10年。矢都木は「麺屋武蔵」の社長に就任する。
いつかは独立して、という思いもあったが、社長になれば「独立と同じ」だと、笑う。ただし、すでに「独立」とおなじ経験もしている。それが矢都木の強みだろう。
というのも、麺屋武蔵の店長は、店長であって、店長ではない。そう、まるで1人の独立した店主なのである。
矢都木によれば、「店によって、ラーメンの命でもあるスープからして違う」とのこと。「意欲ある店長ほど、今日より明日、明日より明後日と、よりいいもの、旨いものづくりに注力するものでしょ。だから、たとえスープが違ってもぜんぜんいいんです。私たちは、おなじ麺屋武蔵でも、おなじ店じゃない。Wネームなんです(笑)」。
食材も、すべての店が同じではないそう。料金も店長の判断で決まる。
「これぐらいの利益を出すということは、当然、決めていますが、どういうアプローチ方法を取るかは、すべて店長の裁量で決まるんです」。
「もっとも、大事な理念は共有しています。モノではないコト。食事を楽しんでいただける店であることは前提ですし、つねに旨いラーメンをつくりつづけていこうという思いも共通しています。ただし、押し付けはない。<個を尊重する>ことが、私たちのもっとも大事な理念だからです」。
まるで、一つの理念の下につどった「店主」たちのグループのようだ。これが名店の流儀なのだろうか。もう少し具体的に聞いてみた。
1店舗あたりおよそ7人の社員がいる、という。アルバイトより多いというから驚きである。いい店には、いい循環がある、と伺ったことがあるが、まさにいい循環が生まれている。
「うちは、待遇もちゃんとしています。スタッフを大事にしているからです。評価も個性的で、<スタッフが店長を評価>します。まだ、それで降格になった店長はいませんが(笑)、スタッフたちの目を通し、判断する、それがある意味、公平で、相手を尊重していることにもなると思っているんです」。
はたらき方も、人それぞれだという。
「いまのところ、はたらき方によって3つのタイプに分けています。1日8時間で完全週休2日制から、もう少し労働条件の長いタイプ、そして、フルタイムの3タイプです。もちろん、報酬は異なります」。
「どれがいいかは人それぞれですが、ともかくいままでのように、こうじゃなきゃいけないという風潮や考えかたを変えていきたかったし、たとえば未経験で入社して最初からフルタイムというのはキツイと思うんです。だから、最初は残業なく、完全週休2日制で、やっていけそうかどうかを試すという、そういうやりかたも用意したかったんです」。
ただし、間違ってはいけないのだが、矢都木は甘やかしているわけではない。むしろ、「個の尊重」を通し、矢都木が実現したいのは「強い人づくり」である。
「うちだけじゃなく、一般の企業でもそうだと思うのですが、会社に甘えてはいけない、と思います。会社がなにかをしてくれるのではなく、会社や仕事をツールにして、ジブンをどれだけ成長させることができるか、それが、大事なことなんです」。
「たとえば、転勤を命じられた。従うことが基本であっても、イヤかどうか、を判断して口にだせるだけの存在でなければいけません。もちろん、私はサラリーマン生活が少ないので、そのたいへんさはわかりませんが、上司にこびをどう売るかを考える人生より、少しでも成長しよう、強くなろうともがく、それもまたたいへんな人生ですが、そっちのほうが気持ちいいことだけはわかっています」。
「私の仕事は、ラーメンではなく、人づくり」とまで矢都木は言い切る。これもまた名店の流儀なのだろう。ちなみに、麺屋武蔵は、2014年2月現在、11店舗、全て直営という体制である。
創業者がアパレルから飲食業に独りでチャレンジしたように、また、スープも含め、店長が新たな味を模索するというチャレンジ精神が代表するように、麺屋武蔵の神髄は、<チャレンジ>にある。
国内の陣容はすでに述べたが、実は、海外でも出店を行っている。シンガポール、香港、台湾、マレーシア、マカオ、上海にライセンス契約で出店済みだ。
先に述べたはたらき方を用意したのも、一つの挑戦の表れといっていいだろう。
店の造りに関しても、新たな方向を打ち出していこうと考えている。
有名なホテルなどが中心となって主催する「料理ボランティアの会」にも参加している。
ラーメンというモノを大事にしながら、ラーメンによってできるコトを追及している。あくまでモノではなく、コトという発想なのだ。
そのほかにもいろいろな話を伺った。いずれも面白く、興味深い話ばかりである。
こちらもその一つ。
あのガムやチョコのロッテとのコラボである。
「チョコを調味料に…」という企画がいかにも斬新。
すでに、バレンタイン・デーに向けて、チョコがアクセントと、いうよりもむしろ、チョコの調味料をきかせたチョコのラーメンが限定発売されている。ちなみに、フードネイムは「味噌ガーナ2014」。「チョコを食卓の調味料に」と、ロッテ担当者の鼻息も荒い。
こうしたことも含めて、それらすべてが名店の流儀である。
この流儀を引き継いだ、矢都木のこれからに注目したい。
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