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第425回 株式会社NATTY SWANKY 代表取締役 田中竜也氏/取締役社長 井石裕二氏
update 14/03/18
株式会社NATTY SWANKY
田中竜也氏/井石裕二氏
株式会社NATTY SWANKY 代表取締役 田中竜也氏/取締役社長 井石裕二氏
生年月日 ともに1974年12月生まれ。
代表取締役 田中竜也/1974年12月15日
取締役社長 井石裕二/1974年12月14日
プロフィール 現、代表取締役の田中の修業時代に出会ったのがきっかけ。客と店員の関係が2年つづき、酒を酌み交わすようになる。26歳、田中が創業する際に井石も出資。2人して飲食事業を立ち上げる。2年後、ともに28歳になった時、今度は井石が新店舗をオープン。二人三脚の歩みはもう13年目になる。
主な業態 「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場」「水道橋 虎ジ」「modernJapaneseスタボン」「調布バル・カベソン」
企業HP http://nattyswanky.com/
アツアツの肉汁があふれでる。具に味がついていてオススメ通り、そのまま食べてもこれが「旨い!」。「Natty Swanky」が運営する餃子専門居酒屋「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場」の餃子の話である。今回は、この「Natty Swanky」の2人の経営者、代表取締役 田中竜也氏と取締役社長 井石裕二氏に話を伺った。
「Natty Swanky」は、今年2014年で13期目に入るという。2001年、らーめん専門店「浜田山 虎ジ」を開店。これを皮切りにダイニング・バー「modernJapaneseスタボン」、ワイン業態「調布バル・カベソン」、餃子専門居酒屋「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場」など感度の高いブランドを展開。
特に、餃子専門居酒屋「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場」はオープン当時から大爆発したそうである。では、まず2人の出会いから話を始めよう。

田中と井石の出会いの話。

2人の経営者。1人は田中竜也。高校を卒業すると同時に府中の人気ラーメン店「らいおん」にて修行を開始。そのラーメン店に客として、しばしば訪れていたのが、もう1人の経営者、井石裕二である。
同い年というばかりではなく、誕生日も1日違い。立場は違ったがともに「起業」を早くから考えていた2人である。
「2年くらいからです。それまでは、客と店の従業員だったんですが、少しずつ話すようになり、酒を飲みにいくような仲になります」と田中。
「出会った頃の私は、フリーターというかプータローみたいなもので、パチンコと麻雀で生計を立てていました(笑)」と井石。
井石は高校を卒業し、いったんは大学に進学したが、すぐに中退し、府中で1人暮らしをはじめたそうだ。
「大学もそうですが、サラリーマンも肌に合わないと思っていたんです」と井石。
その井石のまえに、起業をめざしラーメン店で修業をする田中が現われる。それまで、歩んできた道は違ったが、すぐに打ち解けたことは言うまでもない。
とはいえ、将来1つの会社をいっしょに経営するとは思いもしていなかったそうだ。

創業時の話。

「サラリーマンには向いていないと思っていたものの、21歳の時にある会社に就職しました。麻雀店でスカウトされたんです」といって井石は笑う。
むろん、麻雀店に就職したのではない。
「いっしょに卓を囲んだ相手の人から、どうも賢そうだからうちにこないかって誘われたんです」とのこと。
それからも田中の店にはしばしば訪れたが、「起業」という言葉を共有するまでには至らなかった。
「私たちが最初に資金を出し合って起業したのは、話をするようになってから6年後の26歳の時です。もともとは私1人でと思っていたんですが…」と田中。
資金がなく、ただしく言えば、貯めていた資金を他に回さなければならなくなり、起業しようにもまとまった金が用意できなかった、その時に…。
「『じゃぁ、いっしょにやろうよ』と井石が声をかけてくれたんです。そのほうが融資も受けやすいだろうからって」。
出資金は同額。ただし、職を持つ井石は外部取締役としてスタートする。

ラーメン店、開業、ドンと来る。

「そういう経緯もあって、最初にうちが出したのはラーメン店です。9.2坪で10席だったんですが、350万円は売り上げていました。ラーメンブームというのもあったと思いますが、何しろ店主の田中は人気店で8年間も修業してきたわけですから、味も、サービスもひと味違ったんだと思います」。
「オープン時からドンと来た」と田中はいう。8年間の思いが詰まったラーメン店。嬉しいわけはなかった。
当時の田中を井石はどういう風にみていたのだろう。
2年後、つまり2人が28歳になった時、今度は、井石が店を出す。
焼酎のダイニング・バー「スタポン」である。7.5坪の2フロアー。家賃は14万円と安かったが、駅から離れていたこともあって軌道に乗るまで時間がかかったそうだ。
「とにかく、お金がなかったので」と井石。
「でも、この店ものちにMAX月500万円を売り上げる店になるんですよ」と田中が、相棒の業績をたたえ、誇らしげに言う。
田中は、それからもラーメン店を出店し、井石は、ダイニング・バーを出店した。しかし、「これだ!」 というブランドが確立できていないことも事実だった。
経営者が、2人いるからと言って解決できる問題が半分になるわけではない。ともすれば、意見の対立を招くことも少なくない。
ただ、田中と井石のコンビは、いい意味で互いをリスペクトする間柄なのだろう。揺るぎない信頼関係も成り立っている。何気ない会話のなかからも、息が合った2人の関係を知ることができた。
井石が「ダンダダン酒場」の構想を閃いた時もそうだったに違いない。井石が構想を練り、田中がそれを後押しした。

「ダンダダン酒場」、出店の話。

「私は田中と違って、主にダイニング・バーとかをやってきました。ダイニング・バーというのは、だいたい顧客層が決まっているんです。20代〜30代前半の独身ですよね。それで、これでは年齢がかたより過ぎだし、景況感にも左右されやすいと思って、もっと子どもからお年寄りまで楽しんでもらえるブランドをつくろうと思いついたんです」。
それが、餃子をメインにした「ダンダダン酒場」だった。
ただし、「ダンダダン酒場」は、当時の2人にとって大きな賭けでもあった。
「正直『ダンダダン酒場』がこけたら、もう終わりだなと思っていました」と2人は当時の心境を打ち明けてくれる。
ともかくキャッシュが不足していた。だから、オープンすぐに軌道に乗らなければ、キャッシュが回らなかった。
その時、どちらの発案だろう。登場したばかりのアイフォンを使って、ツイッターで「店がオープンするまで」を刻々と発信していくのである。
「オープンで躓いたらもう、終わりです。それがわかっていたましたから、どうすればいいスタートダッシュが切れるかを考えていたんです。いままでのように『数ヵ月後にヒットする』では、間に合いません(笑)。それで、いままで何が足らなかったかと考えた時に、『発信』が少なかったことに気付くんです」。
ツイッターをフォローする人も現れたに違いない。ただし、当時はまだツイッター黎明期。効果のほどはわからない。
とはいえ、若い2人が起死回生として打って出る、新業態。果たして「ダンダダン酒場」は好調なスタートを切れるのか、2人ならずとも心配になり、部外者ならではの興味もわいてくる。そういう興味本位な、心配者がツイッターの向こうにもいたことも事実だろう。
いろんな人たちの思いも巻き込んで2011年1月、「ダンダダン酒場」はついにオープンする。そして、すべての心配は、杞憂に終わった。
初日から列ができたからだ。
しかも、初月の売り上げは8坪18席でなんと630万円を記録するまでになる。
資金のすべてをキャッシュに回すため役員報酬を返上した。それまでしてオープンした店が爆発したのである。2人のなかにくっきりと「成功体験」が刻まれたに違いない。それは互いを信頼し合う、絆をさらに強くしたことだろう。

ローソクで営業した日々の話。

「初日から戦争でした」と井石。それはそうだろう。初月から630万円を売り上げたのだから。「うちは手作りですから、真夜中から明け方にかけ餃子を作りまくりました」と振り返る。2ヵ月目も好調。
好調ぶりをみて、出店要請も来た。
まだまだ資金の余裕もなかったが、熱心に誘われ快諾した。そこで震災に見舞われた。
「もう出店どころの話ではなかったんですが、いい店だから、ぼくらも出店して欲しいと施工代金などの支払いも伸ばしてくださったんです」。
しかし、2人にすればそれどころではなかったというのが正直なところだったのではないか。
「あの時、私たちは、意地でも店を開けようと決意したんです」。「街を元気に」という思いもあったのだろう。
計画停電に巻き込まれた時には、ローソクを灯した。客の好意で、発電機を調達することもできた。停電で真っ暗ななか2人の店だけでが、明かりをつけていた。
「私たちとすれば、従業員も守らなければいけないわけでしょ。でも、それを考えてもできることは少ない。だから、とにかく街の人に、『いまこそ元気を!』という思いで、従業員も私たち2人も、みんなでいつも以上に大きな声を出して…」と井石。
ぜったい、店を開ける。開けつづける。灯りを灯す。灯しつづける。
その思いは、多くの人に伝わった。2人の店は、街の人たちにとって、これを境に「特別な店」になったのではないだろうか。
「たくさん感謝の言葉をいただいた」と2人。飲食店という事業を行う意味もまた2人は再確認したはずだ。それから3年、すでに2人の店も、街も、震災を乗り越えている。

2014年、その後の歩みの話。

今後のことも伺った。
「『ダンダダン酒場』の特徴は、職人がいらないということなんです。いままでダイニング・バーを経営してきた時に困ったのは、職人でした。そういう意味で、職人がいらないということは、大きな強みになると思うんです」。
たしかに職人は、採用すること一つをとっても難しい。
「この強みを活かしつつ、フランチャイズ展開を行って行こうと思っています」。
正社員は現在、18名だが、これを2015年の6月まで28名にする予定だ。
店舗の責任者だけではなく、FC展開を見据えスーパーバイザーやエリアマネージャーも必要としている。
経営者、2人。
可能性も2人分あれば、2人分の幸せも実現できる。それは、何十人、何百人、何千人の幸せを生んでいくことだろう。

思い出のアルバム
 
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