株式会社エル・ディー・アンド・ケイ 代表取締役 社長/オーナー 大谷秀政氏 | |
生年月日 | 1968年5月17日 |
プロフィール | 愛知県豊橋市生まれ。日本大学文理学部社会学科在学中から空間プロデュース会社に就職。同時に自ら会社を立ち上げ、代表に就任。大学卒業後、本格的に独立・開業し、音楽事務所、レーベルを経営する。一方で、渋谷で人気の「宇田川カフェ」など、独特のコンセプトで飲食店を次々とリリース。2014年現在で、その数17店舗となる。上海外灘の歴史的建造物を再利用した社交場「上海ROSE」もオープンし、上海法人「上海利徳其(LDK)餐飲管理有限公司」の総経理(代表)も務めている。 |
主な業態 | 「宇田川カフェ」「FLAMINGO」「cafe BOHEMIA」「神戸鬼味噌田嶋屋」「上海ROSE」他 |
企業HP | http://www.ldandk.com/ |
男3人兄弟の真ん中、つまり次男坊である。兄とはしょっちゅう喧嘩する仲だった。
「ちょっと早く生まれただけで、たいして強くないのに偉そうにしている兄貴に、いつも腹が立った」。
「包丁を振り回して家中を追いかけることもあった」というから、兄弟げんかどころの騒ぎではない。
大谷はのちに、「年功序列の社会は、俺には無理」と思うようになるのだが、それもまたこの頃の体験がもとになっているのかもしれない。
ところで、やんちゃな息子3人の面倒で、母親もさぞかし大変だったのでは、と心配にもなったが、案外、平然とされていたようだ。
「母親自身の兄弟たちに比べたら、ぼくらの方がはるかにマシだといっていました」。母は7人兄弟の大家族だった。10代で父親が亡くなったため、若いうちから兄弟の面倒を見ることになった。この兄弟たちがすさまじかった、ということなのだろう。
「私が、警察の世話になった時も、全然、動揺していなかった(笑)。普通なら、何をしたんだ、って聞くと思うんですが、何も聞かない。自分でやったことは、自分で始末をつけろというのが母親の教育でした」。
大谷の「自分で、何でもやってみよう」「ダメなら違うやり方でまたやればいい」「自分の力を信じよう」という考え方に、母親の影響が色濃く表れている。
一方、父親は祖父が築いた建設会社の2代目社長。商売が下手で、変に職人気質。
当時主流になり始めていたツーバイフォー工法も「あんなものはダメ、俺は絶対やらない」と言い放っていたらしい。
大谷は、「典型的な2代目ダメ社長。時代の流れ、バブルの波に乗れなかった不器用な人だった」と語っている。
一見、批判的にも思えるが、「不器用な人」という一言に、父を愛する大谷の気持ちが潜んでいる気がする。
小・中学校時代はいわゆる目立つ子。勉強もできたし、やんちゃぶりもしっかり発揮。小学校の入学式では強そうなやつには片っ端から突っかかっていた。
ツッパリ全盛のリアル金八世代。
短距離走は学校で1番。100mを11秒代前半で走ったというから大変なものだ。「中学生の時が自分のモテ期ピーク。あの時代は足が速かったらモテたんですよ」と笑う。
中学入学当初はおそらくトップクラスだった学力がみるみる落ちていった。
「努力ができないんですよ。数学って努力いるでしょ。ほかの教科は地頭で何とかなったんですけど」。
実家が建設会社という理由だけで数学ができないくせに理系を選択。「最大の失敗」。まったく授業についていけず、数学の授業には漢文やほかの勉強をしていたという。
「担任にも言ったんですよ。俺、やっぱり数学はダメ、文系でいくからって」。
ただ、建築への興味まで失ったわけではなかったようだ。
大谷は、のちに空間プロデュースを生業にするのだが、それもまた建築に興味があったからに違いない。それは、ともかく、結局、文系での受験を経て、日本大学へ進学する。
「受かりそうな大学だけを選択したから当然なんですが、狙い通り全部、合格しました。いくら合格しても、行けるのは、ただ一つだけなんですけども(笑)」。
合格したなかでも一番行きたかったのは日芸だったそうだが。
「学費が高くて。当時、日大の倍ほどかかったんですよ。親から、無理って言われて。受ける前に言っといてくれよって(笑)」。
大学生時代はバブル真っ盛り。
しかし、華やかなバブルの時代も、大谷には、なんともつまらないものに映った。「バイトの帰りに電車で出会うサラリーマンたちが、病んでいる風にしか見えなかった」と言っている。大谷の雇われない生き方が、この時はっきりと心に芽生えた。
Barの店長など、さまざまなアルバイトを経験した大谷だが、なかでも代官山にあった空間プロデュース会社でのアルバイトを通じ、空間プロデュースという仕事に興味を持った。これが、後に大谷のバックボーンとなる。
「当時は、まさにバブルの最中で、ともかくイケイケです。学生にも関わらず、私も億単位の仕事に関わっていました。たとえば『あそこのスーパーの跡地、任せるから』って普通に言われたりするんです。もちろん、『任せる』と言われても、何がなんだかわからない。でも、『できません』といえば、それまででしょ。アルバイトでも、ペーペーで終わりたくなかったから、ともかく『行ってきます』っていって」。
役所に行って人口の流出入データを調べたり、周りのテナント料金を調べたり、銀行金利を調べたり…。
テナントを強引に引っ張ってきたりもした。
「とにかくあの時は、勉強しました。勉強しないと、何もできないんですもん(笑)」。かくして任されたスーパーの跡地の開発で、大谷の企画が見事、通った。
「就職活動をしなくてもいい」と言われたのも、その時の仕事が評価されたから。つまり、「うちで社員になれ」ということだった。
4年生の時には、実質、社員になっている。しかし、そのまま一社員で終わるつもりは毛頭なかった。法改正を目前にして、「今、法人を立ち上げておかなければ」と、1991年3月、博報堂のクリエイターと2人で有限会社ビックボスを設立する。
つまり当時の大谷は、学生かつ正社員であり、会社の代表でもあったのである。2つはあるが、3つの草鞋を履いたという話は、聞いたことがない。
「当時はマッキントッシュが出始めた頃です。それまで店舗設計といえばトレペで図面を引いていたんです。それがマッキントッシュのおかげでいっぺんしました。トンボを引いたことのない私にも、できる世界になっていったわけです」。
バブルは終焉に向かうが、大谷は空間のプロデュースや音楽イベントの企画など、多彩な才能を発揮し、事業も拡大する。しかし、そこに落とし穴があった。
「あるイベントで、大失敗をやらかしました。それで600万円の借金ができてしまったんです。パートナーは姿をみせなくなり、相談する相手もいなくなりました。それで…」。
それで、3日間、ふて寝した。ある意味、開き直り。ただ、この3日間のふて寝は、新たな一歩の始まりでもあった。
「600万円ぐらいの借金で殺されることはないと3日間で気づいたんですね。まだ20代前半でしょ。だから、まだ30年は働けます。30年間で600万円と考えたらそれほどの大金でもないと思ったんです」。
踏ん切りがついた。いままで何をするにも、ある程度、できた大谷だが、この時、改めて足元をみた。
「いまの自分にできることは、若者目線のソフトを売り込むことだけだと考えました。それでとりあえず本屋へ行って、マスコミ関係の電話帳と芸能界紳士録的な本を買い込んだんです」。
電話番号と住所を頼りに、音楽や書籍に関する企画を片っ端から出版会社へ直接持ち込んだ。もちろん、何のコネもない。それでも、熱心に耳を傾けてくれる人がいた。「やればできるもんだなと、気付きました(笑)」。
音楽ライブの企画、CD・書籍のプロデュース。面白いと思ったことは何でもかたちにしようとした。この時の経験が、大谷の現在の方向性を形作ったともいえるし、底力を作ったともいえる。借金の方は、7年で完済している。
2001年には「宇田川カフェ」で飲食の世界にも進出し、独特のコンセプトを持った飲食店を次々とリリース。2014年、現在で17店舗を展開するに至っている。
「建物、室内、音楽、食事…全部が組み合わさって『空間プロデュース』じゃないですか」。そう言う通り、いずれの店舗も、個性的な空間と音楽で溢れている。
「宇田川カフェなんか、駅ビルからしょっちゅう声がかかるんです。でも、絶対に出しません(笑)」。なぜかと問うと、望まないお客が「来ちゃうから」だそうだ。不遜な思いで言っているのではない。
「たしかに、駅ビルとかに出店すれば、儲かるのは間違いないでしょう。でも、設定したターゲット外の人が大挙、押しかけてくるとコンセプトが崩れてしまう。それがイヤなんです」。
「もっとも『宇田川カフェ』のようなブランドではなく、たとえば『蕎麦屋さん』とかであれば喜んで出店しますよ。そうだ、ほんとに蕎麦屋さんをやろうかな」。
まさかな、と思ったが、大谷プロデュースの「蕎麦屋」も観てみたい気がする。
蕎麦屋はともかく、今後の展開についても伺った。
「出店するからには、周りに人がいないとだめ。人が集まる場所には、エネルギーがあるんです。ところが、いま渋谷の中心部にある店は、どこかでみたチェーン店ばかり。せっかく渋谷に来たのに、って(笑)。だから、エネルギーも、空回りする。うちの店が儲かっているのは、周りがチェーン化しているおかげでもあるんですが。全部のエネルギーを受け止められるわけじゃない」。
「そうなると、エッジの部分に人が流れていくんです。いまは裏渋谷ですね。だから、今は、そちらで仕掛けています。ただ今後はひょっとしたら蕎麦屋かもしれませんよ(笑)」。
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