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第440回 Roy's オーナーシェフ ロイ・ヤマグチ氏
update 14/07/08
Roy's
ロイ・ヤマグチ氏
Roy's オーナーシェフ ロイ・ヤマグチ氏
生年月日 1956年7月22日
プロフィール 神奈川県座間市生まれ。キャンプ座間で育ち、基地内の学校に通う。ハイスクール卒業後、ニューヨークにある米国ナンバー1の料理学校「The Culinary Institute of America (CIA)」に就学するため渡米。2年間、料理を学んだのち、L.Aのフレンチレストランに2年半勤務。1988年、32歳の時に「Roy’s」1号店をハワイにオープン。全米でも注目される人気レストランとなり、現在、米国に29店舗、日本では六本木ヒルズに1店舗。権威ある料理賞「ジェームズ・ビアード賞」も受賞した、感性豊かな料理は、世界中の美食家を虜にしている。
主な業態 「Roy's」
企業HP http://www.roys-tokyo.com/
日系二世のアメリカ人の父と日本人の母を持つロイ氏は、日本語よりも英語が堪能だ。
日本語に時に戸惑いながらも、ユニークな表情を交えつつ、こちらの質問にも直截に応えていただいた約1時間は、我々にとって至極の時間だった。
世界のロイ・ヤマグチ。
今回は、料理界を代表する巨匠にインタビューさせていただいた。

キャンプ座間が生まれ故郷。

ロイ氏は1956年7月22日、神奈川県の座間市で生まれる。座間市といっても、「キャンプ座間」と言ったほうが世界的に通用するだろう。言うまでもなく、キャンプ座間は、日本にあるアメリカの軍事基地の一つだ。
「もともと福島出身の祖父が18歳で渡米し、ハワイに移り住んだのが今の山口家の始まりです。父は、マウイ島で生まれ、軍の仕事をするようになりました。そして駐屯先の沖縄で母と知り合い結婚。長男は福岡で生まれ、私は、キャンプ座間で生まれました」。
高校までキャンプ座間で育ち、基地内の学校に通う。
「子供の頃は、アメリカのモータースポーツ「インディカー」のレーサーに憧れていました。ロックスターにもなりたかったけど、歌がうまくなかったからね。こちらは最初から諦めていました(笑)」。
「また、幼少期には、2年に1度の割合で、夏休みに祖父のいるハワイに遊びに行っていました。祖父は向こうでスーパーマーケットやレストランを経営していたんです」。
ロイ氏が料理に触れるきっかけとなったのは、この時だろうか。
ハイスクールに通う頃には、友人を招いてご飯を炊き、焼き鳥を焼き、ピッツァを作って振舞ったそうだ。

ハイスクール時代の恩師が見抜いたロイ氏の実力。

いまや巨匠となったロイ氏の、言わば初めての料理。それを口にした幸せな友人達の反応は? と伺うと、「う〜ん。旨いとも、不味いとも言わなかったけど、案外、うけたのは事実だね」とのこと。
それで気を良くしたわけではないが、「料理」の教科を友人と2人して取った。ハイスクールの恩師を自宅に招いて、料理を振舞ったのも、この時。
「恩師は、凄く褒めてくれて、君には料理の道があっているんじゃないかって」。
ロイ氏の料理を食べて、進路指導。世界で初めてロイ氏の実力を見抜いたのは、ハイスクール時代の恩師だったかもしれない。
また、ロイ氏の為に、わざわざニューヨークにある米国ナンバー1の料理学校「The Culinary Institute of America (CIA)」を探してくれたそうである。
ロイ氏は、恩師のアドバイスに従い、渡米する。
ニューヨーク。日本でいえば、田舎から東京に上京する、というニュアンスなのだろうか。18歳のロイ氏は、どのような思いで、海を渡ったのだろう。

アメリカでの修業時代。

「CIAで2年間、勉強しました。卒業した後は、兄がL.Aに住んでいましたので、L.Aに行って、仕事を探しました。料理以外にも色んなことをしました。ホテルやカントリークラブ、北欧風のレストランなどで働きました」。
その後、2年半、L.Aの米国ナンバー4と言われるフレンチレストランに勤務する。
そして、その店に勤務していた時にフランス料理に惹かれていった。
「これは私が、21歳の頃の話です。シェフがいい人で、色々教えてくれました。もちろん当時はアメリカでも16時間くらい勤務するのが当然でした。8時間の所定労働時間だけじゃマスターできないからね。いわば、学習時間です」。
今ではアメリカも、いやアメリカだからこそ料理の世界も変わったそうだ。
「昔のやり方と今のやり方は違う。」とロイ氏。それでも事実として、ロイ氏が世界的なテクニックを修得できたのは、昔の厳しさがあったから、と言えなくもない気がする。
テクニックとアイデア。ロイ氏は、ともかくこの2年半で、2つの異なる非凡な才能を開花させた。
「フレンチと日本の味をミックスさせたらどうかというアイデアもこの時に生まれました」とロイ氏。いわゆるロイ氏ならではの料理のアイデアである。

28歳、独立。だが、4年で惜しまれて閉店。

1984年。調べてみると、この年はオリンピックイヤーにあたる。そう、ロサンゼルスオリンピックが開催された年でもある。
余談だが、米アップルコンピューターがマッキントッシュを発表したのもこの年だった。ロイ氏は、28歳になっていた。
もう一ついうと、スペースシャトルディスカバリー、初の打ち上げに成功した年。
この年に、ロイ氏はパートナーと共に合計1億3000万円の資金を集めオーナとして最初のレストラン「385」をオープンする。
「パートナーの自宅にいろいろな人を招待し、料理を披露して、私たちが出店する店の為に投資してもらいました」。契約を結んでくれたのは、約80人。投資額の合計が1億3000万円だった、とのことである。
しかし、ロイ氏の念願の店はわずか4年で閉店することになる。出資してくれた方々の期待に応えられず、ロイ氏も借金を背負った。
「料理には自信があったし、実際、沢山のお客様がいらしてくださった」。原因は?と伺うと、「経営のことが、全然分かっていなかった」とのこと。「数字がまったく駄目だった」とロイ氏。しかし、消沈することなく、「とてもいい勉強になった」と前を向いている。
ロイ氏が「閉店はしてしまったけれど、料理には自信があった」というのは強がりでもなんでもない。事実、ロイ氏は閉店の1年後、新たに店を出店するのだが、それに先立ち、アメリカの有名な「ボナペティート」という料理雑誌が、18ページにも及ぶ誌面を割き、新進気鋭の料理人として、ロイ氏を取り上げたのだ。

ロイ氏独自の「ハワイアン・フュージョン・キュイジーヌ」。

「1987年に店を閉め、翌1988年。32歳の時にRoy’s1号店をハワイカイにオープンしました。こちらが、現在の本店です。オープンまでの1年間を、私はRoy’sというお店のプランニングに費やし、キッチンのデザインも全部自分自身で考えました。出資者を募りましたが、当時の借金は1000万円ほどありました」。
「L.Aとハワイでは、客層も違うから、料理も考え直しました。『385』の時の料理に、もっとアジアのテイストをプラスしたんです」。
これが、ロイ氏の料理のコンセプトでもある、フレンチをベースに、新鮮な食材と日本などのアジアの調味料をミックスした感性豊かな料理「ハワイアン・フュージョン・キュイジーヌ」として昇華されていくのである。
「ボナペティート」に取り上げられるという幸運も重なった。こちらが発売されたのは、オープンの3ヵ月前。味はもちろんサービスも、すぐに評判になった。180席のレストランは、常に満席となる。
真似をしようにも、真似ができない料理だった。

世界のロイ氏から、日本の食に携わるすべての人に。

全米に29店舗(内ハワイ7店舗、グアム1店舗)、日本に1店舗。これが今の店舗数である。
ロイ氏は、アメリカ料理界最高の賞と言われる、ジェームズ・ビアード賞の「Best Chef in the Pacific Northwest」を受賞。ついでに言えば、ハワイ版ミシュランと言われている「ハレアイナ賞」で、最高峰のレストランに贈られる「レストラン・オブ・ザ・イヤー」にも輝いている。
更に「ベスト・シーフード」の銅賞。「ベスト・デザート」の金賞も獲得している。
日本に1店舗しかないのは、日本人としては寂しい限りだが、六本木ヒルズに行けば、ロイ・ヤマグチのスペシャル料理を、東京タワーを一望する最高の景色と共に食すことができるのだから、贅沢は言わないほうがいいだろう。
さて、最後に日本の食に携わる多くの人に代わって、仕事に対する心構えを伺った。
「私は、最初から世界という舞台を頭に入れて仕事をしてきました。物事を考える時には、世界水準で考えることが大事だと思います。たとえば、ハワイカイに店を出した時、ホノルルで一番になろうとは考えなかった。世界で一番の店をつくろうと思ったんです」。
この「器のでかさ」はどうだろう。
日本という小さな島国のなかで、一番という発想ではなく、世界を水準に考えること。考えが広がると、行動もまた異なってくる。ロイ氏が、フレンチにアジアのテイストを採り入れたのも、世界を観ていたからに違いない。
「辛い時は、誰にだってある。そんな時、私は、自分にFightだと言い聞かせる。Fight、Fight。そうやって頭の中で考え方を切り替える」。
「リタイア? 考えたことはありません。私は本当に料理が大好きで、朝起きたら直ぐにでも仕事場に行きたいと思っている。若い人にも、好きになって欲しいな」。
「好きこそものの上手なれ」と言うが、世界で最も注目を浴びる料理の巨匠は、世界で一番料理が好きな人なのかも知れない。
六本木だけではなく、我々も視野を広くして、ハワイに、グアムに、アメリカ本土に行った時には、世界一料理が好きな人がつくる料理を異国の地で味わってみなければと思った。
また、2010年にはハワイのカウアイ島に「The Tavern at Princeville by Roy Yamaguchi」をオープン。ちなみに'Tavern'とは、軽食が食べれるパブ風のお店である。昔、マウイ島に住んでいたロイ氏の祖父がタバーンを営んでいた。美味しい食事を提供するだけでなく、憩の場でもあった祖父のタバーンからインスパイアされて作られたお店だ。
是非、訪れてみたい店舗の一つだ。

思い出のアルバム
 
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