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第442回 株式会社京樽 代表取締役社長 森下裕一氏
update 14/07/22
株式会社京樽
森下裕一氏
株式会社京樽 代表取締役社長 森下裕一氏
生年月日 1959年2月23日
プロフィール 日本有数の豪雪地帯である長野県栄村に生まれる。学生時代、吉野家でアルバイトをしたことが縁で就職。店長はもちろん、スーパーバイザー、事業統括室、商品部バイヤーを経て、立て直しのため「京樽」へ。2013年、代表取締役社長に就任。2014年5月現在、日本有数の外食企業「京樽」の本格再生を目指し、大胆な発想で、次の一手を打っていく。
主な業態 「京樽」「関山」「重吉」「すし三崎港」「海鮮三崎港」「すし三崎丸」他
企業HP http://www.kyotaru.co.jp/

高校時代までの森下。

森下が生まれた長野県栄村は日本有数の豪雪地帯である。冬には4メートルほど雪が積もる、と当然のように森下も言う。調べてみると村を横切るように千曲川が流れている。
千曲川は、信濃川が長野県に入った時点でそう言われるようになるそうで、河川法上では、千曲川と信濃川を合わせて、信濃川と呼ばれ、日本で最も長い川となっている。
森下の父は公務員だったが日曜日になると畑に出て野沢菜を育てておられたそうだ。2人姉弟で、姉とは5歳離れていた。
小学校は1クラス20人。学校の帰りにスキー板を付けて、滑って帰ったこともあるそうだ。「良くおばあちゃんと石臼を挽いて本格的な蕎麦を作って食べていました。そして近所はみんな繋がっていました」。
古き良き日本の風景。中学校も、1クラスしかない小さな学校だった。陸上、野球、バレー、色々なスポーツをした。夏は自宅から通えたが、11月末〜3月の冬の時期は降雪が凄く、先生の家に下宿させてもらっていたという。
「高校は長野高校に進学したかったのですが、結局、飯山北高校に進学しました。電車の本数が無くて、早く帰らないと電車が無くなっちゃう。本当は、体育会の部活に入りたかったのですが、練習があってすぐに帰れないので、生物部や写真部に入っていました」。
消去法的に選択したクラブだったが、案外面白かった。「特に生物部は全国でも有名でした。岐阜蝶の観察を行ったりしていたんです」。
「保護観察官」の資格を取得したのもこの時。時には森にテントを張って、乱獲者を監視したりしていたそうだ。「文化部だったわけですが、体育会の要素も少なからずあった気がします」。
高校時代からバイトも始めている。「旅館で働いていました。水力発電所の夜間バイトも経験しました。トンネル内の虫掃除が仕事だったのですが、1回で1万円もいただけたんです」。1晩、1万円。悪くない。バイト代はどうしたんですか? と尋ねると「銃が好きで、モデルガンを買ったりしていた」という。

長野県警、勤務。

「早稲田に行きたかったんです。でも、不合格になってしまって。しかたなく、浪人生活を送ります。この時も色々なバイトを経験しました。この浪人中のことですが、銃が好きでしょ。自衛隊なら銃が持てると気付いて、自衛隊に入隊しようと試みたこともあったんです。でも、目が悪くて、不合格。なら、警察だと。こちらは合格して、一時、長野県警で勤務していたことがあるんです(笑)」。
その当時の様子も伺った。
「朝起きて、腹筋、腕立てを300回。毎日、20キロのランニング。銃を撃つこともできたのですが、こちらの訓練も相当、きつかった。一升瓶に砂を入れてね。それを1時間、手を挙げて持っていなければいけないんです。拳銃の腕前は、良かったですよ(笑)」。
「辞めるつもりはなかったのですが、半年で膝を壊してしまいました。それで、退職。警官時代は、たった半年。練習は厳しかったですが、銃も撃てたし…。貴重な経験をさせてもらったと思います」。
警察を辞め、しきり直し。2浪の末、中央大学に進学した。

中央大学時代は、アルバイトの時代。

アルバイトに専念した日々、と森下は大学時代を振り返り笑う。大学2年からは吉野家で働いた。これが、吉野家との出会いである。
「賄が2食付いていて、時給も高く、週払い。他にはなかなかない条件ですよね(笑)」。
ところで、吉野家は一度、倒産している。森下が勤務していた頃の話だそうだ。
「あの時、政府が米国産の肉の輸入を規制したんです。吉野家は、乾燥肉を代替品としたのですが、味がガクンと落ちました。しかも、コストを削減するため、タレをそれまでのストレートタイプから粉末タイプに切り替えた。これで、更に味がガクンと落ちたんです。アルバイトの私達だって、正直、食べたいとは思わなかったくらいです。それが原因かどうかはわかりませんが、私が大学3年の時、一度、倒産するんです。といっても、店は営業していましたし、給料もちゃんと出ていました。ただ、店長が泥船から逃げるようにどんどん辞めていきました。そのしわ寄せがアルバイトにもきたんです。アルバイトなのに全然、休みが取れません。そういう意味ではきつかったですが、バイト仲間との間に絆みたいなものが生まれていったんです。それが、救いでした」。
いったん倒産したが、品質を元に戻すなどして再起を図る。
「品質を元に戻しただけで、お客様が戻って来てくださいました。改めて『吉野家』というブランドの力を知ったのはあの時です」。
補足すると、吉野家が倒産したのは、1980年のこと。120億の負債を抱えて、同年7月15日に東京地裁へ会社更生法の適用を申請。事実上、倒産したことになる。
それから3年。1983年に更生計画が認可され、セゾングループ傘下で再建に乗り出すことになる。むろんその時には、森下は大学もバイトも卒業している。

吉野家を離れ、再度、吉野家へ。

吉野家に就職する選択肢もなくはなかった。ただ、当時の森下は「吉野家には行かない」と決めていたそうだ。「もともと広告に興味があったんです。それでリクルート関係の求人広告の会社へ進みました。広告だけではなく、不動産関係の仕事も体験しました。当時はまさか吉野家に舞い戻るなんて思ってもみなかったな(笑)」。
ところが縁とは、不思議なものである。ある日のこと。営業中に車で移動中、後方から突然他車に追突され、むちうち状態になってしまった。
「それで2ヵ月間入院しました。退院し、社に戻ると、クライアントが全部無くなっていたんです。私の顧客は全て他の営業マンが担当してしまっていたんですね」。
腹立たしさはもちろんあったが、それ以上に不信感が募り、退職を決意するようになる。そんな矢先のことである。
「以前の吉野家の仲間から、一緒に仕事をしようと誘ってもらったんです」と森下。
むろん、次のアテはない。森下は仲間からの誘いに、快諾した。これで二度目の、そして今度は正社員としての吉野家時代がスタートする。

改革、それが森下のミッション。

ブランクは多少あったものの、すぐに勘を取り戻すことができた。3年もやればアルバイトでも、オペレーションは体に染み付いている。「そうですね、すぐに店長を任され、3〜4年で4店舗の店長をしました。正社員になったわけですから、バイト時代より積極的になったのはいうまでもありません。1店舗目の店長の時に、手を挙げて店舗の人員改革を断行しました」。
女子の活用も、人事改革の一例。
「スタッフ全員、女性にしたんです。そんな店はもちろん他にない。それが功を奏し、売上が150%アップしたんです」。
思い付いたことは実行する。実行できるだけの、力量もあった。
様々なことを経験したと森下は言う。
「台湾に合弁会社『台湾吉野家』を設立するために、台湾にも行きましたし…」。
スーパーバイザーを4年、事業統括室での勤務を1年、商品部でバイヤーを数年間経験し、立て直しのため、「京樽」へ行くことになった。

日本有数の飲食企業、「京樽」を再生する。

「京樽という会社は、ファミリーレストランの先駆けなんです。外食産業で一番最初に上場したのも、実は京樽です。しかし、バブルが弾けた時、立て続けの出店とともに手に入れた不動産があだとなって、経営状態はガタガタでした。私は、経営体質を改善させるため、京樽へ向かったわけです」。
ちなみに「京樽」が創業したのは、昭和7年。昭和13年には東京に進出し、昭和26年に看板商品である「茶きん鮨」を開発している。株式を上場したのは、昭和55年。西暦に直せば1980年だから吉野家が、倒産した年のことである。それから、平成9年、今度は、「京樽」が会社更生手続開始申立。同年4月上場を廃止している。平成9年は、1997年のことだから、バブル崩壊後の落ち込みもなんとか凌いだが、結局、バブル期の投資が仇となり、事実上の倒産を余儀なくされたということだろう。
しかし、その後、吉野家の傘下に入り、再生したのは記憶に新しいところ。森下の活躍が、再生をリードしたことは言うまでもない。2014年現在の店舗数は、328店舗。「閉店する店もあるが、そのぶん出店も行い、総店舗数は維持する予定だ」と森下。「良い、悪い」をはっきりしつつ、大胆な戦略で、新たな「京樽」を創造していこうとする強い意志が伺える。
最後に今後の展開について伺った。
「今後は『回転ずし』メインでやっていきたいと思っています。駅チカの店をできるだけ多く出店していきたい。テイクアウトの底上げはもちろんのこと商品、屋号も含めて全て見直ししていく予定です」。
「方向としては、女性の、特にシルバー層に的を絞りたいという想いがある。立地に合わせて、商品も屋号名を考えていきます」とのこと。
こちらもいかにも大胆だ。守りからは、何も生まれない。大胆な次の一手。森下の話を聞いていると、ますます、その一手に興味が湧いた。

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