株式会社馬喰ろう 代表取締役社長 沢井圭造氏 | |
生年月日 | 1976年5月22日 |
プロフィール | 千葉県松戸市出身。3人兄弟の次男。高校卒業後、渡米。1年半の語学留学を経て帰国。営業として、家業の「馬肉」の卸事業を育成する。営業活動を行うなかで、様々な地方で馬肉が日常食として食べられていることを知り、馬肉の普及活動に努めるようになる。「馬喰ろう」もその手段の一つと言い切る。現在、都内に7店舗。普及がミッションだから「売上や利益にはこだわらない」とのこと。だから、新鮮な馬肉が安価で味わえる。将来の目標は「馬肉を食卓に、」ということだ。馬肉の普及のため、社団法人日本馬肉協会を設立している。 |
主な業態 | 「馬喰ろう」「ボブリー」 |
企業HP | http://www.bakurou.com/ |
子どもの頃からヤンチャで目立ちたがり屋の、人気者だった。小学4年生から始めたサッカーにハマり、将来はサッカー選手を目標にしていた。
中学では副キャプテン。強豪校も多い千葉でベスト4に入ったこともある。市の選抜にも選ばれた。勉強は得意じゃなかったが、スポーツは何でもできた。
商売も上手かった、と沢井。小学校の頃から空き缶・瓶などを集めて小銭を儲けていた。小学生にとってはバカにならない額になったそうだ。スポーツの才能だけではなく、商才もあったことを証明するエピソードである。
もちろん、別に小遣いはもらっていた。だから、何かが欲しくてというよりは、楽しみの一つだったかもしれない。
商才は、親族にもまれ、育まれたところもある。親戚の大半が商いをしていたから、集まれば商売の話になった。子どもながらに耳をそばだてていた。
さて、沢井が生まれたのは1976年。4つ上に兄がいて、6つ下に妹がいる。沢井家は、両親ともに忙しかったそうで、兄弟は全員、かぎっ子だったそうだ。
「うちは、祖母が、いろんな飲食ビジネスをしていまして。『寿司』とか『とんかつ』とか『洋食』など、ですね。で、私たち兄弟は、この祖母から良くビジネスの話を聞かされました」。
話は飛ぶが、いま兄の沢井亮祐氏が経営する、株式会社NTC・デリパも、もともとは祖母が始めたビジネスである。
「商才のある人でした。いまのビジネスも、あることがきっかけでスタートするのですが、それまでのビジネスをすべて売って賭けに出ました。それだけ先がみえていたのでしょう」と沢井。
ともかくかぎっ子で両親の目から離れ自由奔放に育った沢井の、唯一の錨でだったのは、この祖母かもしれない。
サッカーに打ち込んだ少年時代。サッカーと距離を置いたのは、高校2年になってから。チームワークが成り立たない。選手一人ひとりは上手いのに、かみ合わない。みんなが明後日の方向をみているからだ。チームワーク、ゼロ。そういうチームにいたくなかった。これが、サッカーを辞めた真相である。
もしかすれば、アメリカへ、と思った理由の一つであったかもしれない。
高校を卒業すると沢井は、フリーターとなり、バイトに精を出した。アメリカへ向かうためだった。
「祖母の会社があったので、心のどこかで、安全パイがあると思っていたかもしれません。でも、それはいま思うことであって、当時は、何をするのかをちゃんと考えようと。考えるなら、アメリカで。そう真剣に思って、軍資金のためにフリーター生活に突入するんです。とはいえ、1年で50万円しか貯まらなかったんですが(笑)」。
19歳。とにかく沢井は、日本を抜け出した。
頼りは、貯蓄した50万円と祖母に頼んで貰えることになった月5万円の仕送りのみ。
「向かったのは、サンフランシスコでした。親戚がいたからで、計画では5年ほど語学留学をするつもりでした。祖母に5万円の仕送りを頼んでいましたが、それだけではもちろん足りないので、鮨屋でアルバイトをしながら、学校に通っていました。結局、向こうにいたのは、1年半くらいです。まだまだ滞在するつもり満々だったんですが、祖母から帰国するように、と指令が下ったわけです(笑)」。
指令が下りた背景はこうだ。当時、カイワレ大根からO157が発生して社会問題になった。「生(ナマ)は、何でもかんでもダメだという話になって…。牛・豚・鶏はもちろん馬の生食まで売れなくなってしまったんです」と沢井。
3000万円くらいあった月商が、とたんになくなった。
「それで、もう5万円も仕送りできないという話になって。社長が兄を手伝え、と」。
「あの事件がなかったら…。そうですね、あの当時、アメリカの雑貨を日本で広めるようなビジネスを考えていたもんですから、そちらをやっていたかもしれません」。そう言って、沢井は、当時を振り返る。話を聞き、帰らないという選択肢は、なかったようだ。
「良くケンカした兄ですが、兄が困っていたら、放っておけないでしょ。兄だけに責任を押し付けるわけにはいかないし…」。
帰国。
少しだけ、問題が鎮静化していた。
兄の亮祐氏が社長となり、沢井は営業に専念することになった。まず、長野甲州から攻めた。ここで、いうのは、むろん「馬肉」の拡販の話である。
「馬肉を食べる習慣がある地方は結構、あるんです。みなさん馬肉と言えば熊本をイメージされますが、信州でも、東北でも昔から食べられている。そうした地方に行けば、スーパーにも置かれていますよ。東京でも、江戸時代には、精がつくとして食べられていたんです。私たちが、長野甲州から攻めたのは、そちらでも馬肉が食べられていたから。しかし、正直、少し驚きました」。
馬刺しを専門に扱うライバル業者もあったが、商売が雑だった。独占的な手法で、沢井の目からみれば価格も言いなりだった。「うちは、そういうビジネスはしない。だからでしょう。多くの飲食店から、注文がすぐに入りました。もちろん、肉を卸すだけではない。提案も、ちゃんとする。これが、気に入ってもらえたんだと思っています」。
追い風もあった。馬肉がブームになりつつあったからだ。「ユッケの問題も、ありました。そういうことがあって改めて馬の肉が見直されてきたんだと思います」。
いま現在、生(ナマ)で食べられるのは、馬の肉だけだ。
ところで、どうして馬の肉だけ生(ナマ)で食べられるのだろうか。少し話を聞いてみた。
「馬は牛・豚などの家畜と比べ、もともと細菌が少ないと言われています。エサの食べ方にも理由があって。牛は反芻するでしょ。胃も4つある。食物が、内臓に滞在している時間が長いほど菌が発生しやすいんです。実際、O-157やO-111は、牛・羊・鹿などの反芻動物の腸内に生息し、反芻しない馬の腸内には生息しないと言われています。
さらに、馬は、狂牛病や口蹄疫などにかかりません。これらは、偶蹄類の病気。馬は奇蹄類なので無縁なのです」。
なるほど、と感心する。一方、部位は牛とほとんど同じだと聞いて、驚いた。肩ロース、リブロース、サーロイン、ランプ、モモも4つに分かれているそうだ。
むろん、馬肉の魅力はこれだけではない。
「馬肉のカロリーは、牛肉の約3分の1と低カロリーです。そのうえ、低脂肪・高タンパク。鉄分もグリコーゲンも豊富なんです」。
なるほど、注目されるわけである。「馬刺しだけではなく、炙りや鍋など、馬肉の食べ方も提案しています」とのこと。
低カロリーで、栄養価が高いとなれば、たとえばスポーツ選手にも好まれるのではないだろうか、と話を伺いながら、そんなことを考えていた。情報が氾濫し、何でも知っている気がしていたが、馬肉一つにしても、まだまだ知らないこともたくさんあるようだ。
実は、「馬喰ろう」のミッションはそこだという。
話をもとに戻そう。
「営業活動をするなかで、馬肉を日常食のように食べておられる方とも出会い、馬肉に対する知識も増え、愛着というか、もっとこの肉の良さを知ってもらわなければならない、それが私の使命だ、という、そんな気持ちが湧いてきたんです」。
営業だけでは限界がある。なぜなら、消費者のニーズを高めなければ、マーケットが広がらないからだ。「それで、『馬喰ろう』をオープンさせたんです。当時、客単価の高い店に行けば馬肉を楽しめました。私たちは、馬肉を一般の人に知ってもらうのが目的ですから、客単価を居酒屋レベルにして、いろいろな部位を楽しんでいただけるようにしたんです」。
なるほど、質のいい肉が安く食える。話題にならないほうがおかしい。もちろん、馬肉ブームという追い風も受けた。だが、一時のブームに終わっては、それこそ意味がない。
「うちがやっているのは、馬肉の啓蒙なんです。栄養価も高く、低カロリー。部位もいろいろあって、食べ方も生食だけじゃないんですよ、と。つまり、馬肉の魅力を伝えていくために、この店があるんです」。
現在、7店舗だが、10店舗までは拡大したいとのこと。目標は、ごく身近なことだが、ある意味、壮大だ。「馬肉を食卓に、」である。「来年からは、小売業も始めます。その一方で、将来、高齢者向けの介護食も念頭においています。馬肉が日常的に食べられている青森や福島、秋田や長野などでは、いますぐにもニーズがあると思います」。
馬肉。古くて、新しいカテゴリーである。まだ食べたことがない、という人も少なくないだろう。今回のインタビューで、馬に、牛と同じような部位があることにも驚いたし、偶蹄類と奇蹄類という違いも初めて知った。
しかし、時代などパッとかわる。牛や豚、鶏よりも、馬が好んで食べられる日が来てもおかしくない。
ただ、そのためには、もう一つスパイスが足りない気がしなくもない。
たとえば、牛でいえばステーキ、豚でいえば東坡肉、鶏肉なら焼き鳥といった庶民の食卓で人気となる料理のようなもの。
むろん、子どもの頃から育んだ沢井の商才が、いずれ決め手となるスパイスをみつけるはずだ。
ともかく、沢井の話を聞き終わって、「馬肉を喰って、馬力をつけよう」なんて言葉が、いつかしか自然な合言葉になっているかもしれないな、と思った。
その日は馬の日である。
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