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第455回 Bistro Q オーナーシェフ 山下 九氏
update 14/10/21
Bistro Q
山下 九氏
Bistro Q オーナーシェフ 山下 九氏
生年月日 1975年3月15日
プロフィール 千葉県生まれ。18歳、銀座「チボリ」で料理人をスタート。その後、渋谷「モン・フィナージュ」のオープンよりオーナーシェフ・中村伊伸氏のもとで、料理だけでなく、ワインやオープンキッチンでの「接客の基本」を修得。28歳、「ahill」のオープンより、料理長として就任。35歳で「Bistro Q」を独立開業。事故と病気で2度の長期入院を経験するが、その度に強くなる。山下 九の生き様をみる。
主な業態 「Bistro Q」
企業HP http://bistro9.com/

漫画「美味しんぼ」に魅了され。

山下は、1975年3月15日に生まれる。料理との出会いは、小学生の時。父が持っていた漫画「美味しんぼ」が最初。「美味しんぼにハマって、小学生ながら料理にチャレンジしたこともある」とのこと。本人いわく、活発だがテレビやラジオなどが好きなちょっと変わった子どもだったらしい。
中学生になると、興味は更に広がった。「バントもその一つで、興味が湧くと何にでもトライした」と語っている。一方、食に対する興味もますます旺盛になり、新聞や雑誌に掲載されている料理店情報をチェックし、クーポン券を持って食べにいったりもした。
ご両親についても伺った。
「父は芸能プロダクションのジャズバンドマネージャーでした。忙しく働いていましたが、テーマパークや外食などに良く連れて行ってくれました。私が中学に上がるまえに、父の会社が倒産。その後は、保険の代理店などをしていました。母は、父の会社の倒産をきっかけにブティックを始めます。今でも、この店を経営しています。父は頑固、母はのんびりした性格ですね」と山下。2人兄妹で、3つ離れた妹がいるそうだ。
仕事について考え始めたのは中学3年生というから、同年代の少年と比較して少し早い。「派手で、目立って、格好いい仕事」ということで、「広告代理店がいい」と思っていたそうだ。思っているだけではなく、調べもした。すると、高学歴が必須。今まで勉強はできるだけやらないで済ますタチだったが、これをきっかけに勉強にも精をだすようになる。

バーのカウンターで、もうひとつの仕事に出会った。

広告代理店に就職すべく、勉強にも精を出し、高校にも進学したが、その目標を軌道修正することになる。高校になって、バーでバイトを始めたことがきっかけだ。
「1000円という時給も良かったんですが、マスターやお客様と過ごす時間が、なんともいえず濃厚で、それですっかり『飲食という仕事』に興味を持ち始めてしまったわけです」。
かつて読んだ「美味しんぼ」の影響も多少はあるのかもしれない。
マスターは40代。カウンター4席、4人掛けのテーブルが3つ、6人掛けのテーブル1つ。マスターと2人。山下はカウンターで、接客を担当していた。
「親父の友人も来て、焼肉屋に連れて行ってもらったり…。まだ高校生でしょ。とても、可愛がってもらいました」。
料理の道を目指そうと思ったのもこの時で、その動機に、山下の仕事に対する考えかたが良く表れていた。
「マスターと2人でしょ。私が料理をすることができれば、マスターがもっとカウンターに出られると思ったんです。もちろん、マスターに言われたわけではありません。そうするほうが、店にとってもお客様にとってもいいだろう、と考えたからです」。
バーやマスター、お客様との時間が過ぎていった。
給料は、何に使っていたんですか、と聞いてみた、
「洋服かなぁ」という返事。
両親は、受験を頑張れば良いというスタンスで何も言われなかったそうだ。しかし、大学受験は理工を受けるも、失敗。浪人し、さらに予備校時代の夏休みに原付の交通事故で、正面衝突。3か月の入院を余儀なくされる。
そういうこともあり大学受験を断念した山下は、このバーで「社会人の一歩」を歩み始めている。ずいぶん長いバイトとなった。

料理人として、本格スタート。

山下が、本格的に料理人としてスタートするのは24歳からである。
銀座にあった「チボリ」で本格的に料理の修業を開始する。
「京王プラザ流の基本の基本を学んだ」と山下。店の作り方、経営も学んだ。もっとも、ものごとを受け入れるだけではない。「もっとこうしたらいいのにと思いながら、志高く理想をもって働いていた」とも語っている。
ちなみにチボリを卒業後、山下はいったんフランスに旅立っている。むろん、修業のためだったが、そう簡単に職は見つからず、すぐに帰国することになった。
帰国後、渋谷にニューオープンするフレンチレストラン「モン・フィナージュ」への就職が決まった。ここで、シェフの中村伊伸氏と出会う。
中村氏はニースの「ネグレスコ」ホテル、パリの「タイユバン」などで修業し、料理のみならず、ワインにも造詣が深い人物だった。
「シェフは、私に飲食業、またワイン、料理の魅力について多くを語り、教えてくださいました」と山下。
中村氏の話を聴くたびに、モチベーションが上がった。グラスを片手に、いろんな話をしてもらった。その時の光景は、いまも鮮明に記憶に残っている。
こののち山下は、小・中で同級生だった友人に誘われ、シェフとしてある店を任されるようになる。それが、西麻布の日赤通りにオープンした、新スタイルのフレンチ鉄板焼のレストラン「ahill」であった。
物件選びからコンセプトの決定まで、プロデュースもすべて山下の手によるもの。「鉄板フレンチ」という新ジャンルは、多くの客の心をつかみ、山下を一気にスターダムにのしあげる。
といっても、オープンから半年は、「ヒマだった」と山下は笑う。同業の人間から、「いったいあの店は、何屋なんだって笑われもした」とも語っている。
上昇のきっかけは、j-waveの記事に取り上げられたこと。200万円程度の月商が、半年後には、700〜800万円となった。18坪というから、坪あたり40万円以上を売り上げていたことになる。

予約も困難な店に。

数年後には、予約も困難な店となった。だから、32歳の時、銀座にも「ahill」をオープンさせた。2号店である。こちらも快調だったが…、
いいことづくめではない。突然山下は倒れ、生死をさまよった。何とか一命を取り留めたものの、職場に復帰するまで5ヵ月を費やした。2度目の長期に渡る入院は、山下に何を与えたのだろう。「ガツガツしたトゲのようなものが取れ、皮をむくようにして、大人になった」と山下は語っている。
山下にとって、それは、もう一つ上へと進む変身だったはずだが、オーナーとの間に微妙な隔たりを生んでしまったのかもしれない。2010年の2月、山下は「ahill」を離れることとなる。
山下の戦いが再びスタートする。

大人の食堂、「BistroQ」。

「最初は、ahill時代からやっていたハンバーグの通販を本格化しよう、と思っていたのですが、リーマン・ショックからまだ経済も癒えておらず、うまくいきませんでした。それで、6ヵ月経った2010年8月に、『BistroQ』をオープンさせたのです」。
師と仰ぐ、中村氏から備品をいただいたりして、「費用は最小限に抑えることができた」という。
<大人の街・赤坂にできた大人の食堂、それが「BistroQ」>。
山下は「BistroQ」のコンセプトを上記のように語っている。「大人の食堂」というフレーズがいい。もちろん、「食堂」という言葉のイメージとは異なり、店内はスタイリッシュである。「食堂」らしく、気さくに、たのしくということだろう。
ランチが1300円。フォアグラがゴロゴロ詰まったハンバーグが人気で、前菜、バケット、エスプレッソがついている。独りで気軽に入れるのも、食堂らしくていい。
料理の内容、ワインの質と値段を比較してわかるのは、コスパも非常にいいということだ。グルメサイトで高得点を得ていることにも素直に頷ける。
「ahill」で山下のファンになった客も、この「食堂」で、変わらず舌鼓を打っていることだろう。もっとも、オープンから全てがうまくいったわけではない。震災のあとには、売上も落ちた、と語っている。しかし、山下は、そういうことに一喜一憂する人ではない、気がする。すでに「ものごとに対し、一歩引いた大人の考えができる人」に生まれ変わっているからだ。
好きな料理に向かっている姿は、活き活きしており、なんとも山下らしい。山下は、ホームページで、<安全で美味しい食材をご用意し、最高のワインを探して、グラスやお皿は磨き上げ、日々の技術の向上に努め、楽しい食のアイデアを浮かべ食卓を彩っていきたいと思います>と語っている。
「美味しんぼ」という一冊の漫画からスタートした、料理の世界。「美味しんぼ」で描かれている料理人のように、山下はいま、お客様の「笑顔」を追及しているのだろう。そして、「BistroQ」では、「美味しんぼ」に負けない、素敵なドラマが日々、繰り返されているはずだ。

思い出のアルバム
 
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