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第463回 フォロインプレンディ株式会社 代表取締役 氏家秀太氏
update 14/12/16
フォロインプレンディ株式会社
氏家秀太氏
フォロインプレンディ株式会社 代表取締役 氏家秀太氏
生年月日 1967年4月
プロフィール 成蹊大学卒。フォロインプレンディ株式会社代表取締役社長にして、NPO法人フードビジネスマネージャー協会理事長。中小企業診断士・行政書士・1級販売士・宅地建物主任者・調理師など多数の資格を持つ。ビジネスコンサルタント、空間プロデューサーとして、飲食店・サービス業をプロデュース、人気上位店のスイーツをプロデュースするなど、手掛けた案件は2000件以上。また300を超える赤字店を黒字店に立て直す。メディアでは「食文化の仕掛け人」「成功請負人」と呼ばれ、特に難しいとされる若者層、女性客のマーケティングには定評がある。
主なプロデュース 「カーヴ隠れや」「ばってんくすくす」「ソレントシリーズ」全国個人店、他
企業HP http://www.foroimprendi.jp/
今回ご登場いただく氏家氏は、TVなどのメディアに度々登場する著名な「フードビジネスコンサルタント」であり、敏腕な「空間プロデューサー」の肩書きも持つ。
2014年5月現在までに氏がプロデュースした飲食店は2000店舗を遥かに超えているそうだ。「なぜレストランメニューで3行目を選んでしまうのか?」「成功ノート」など、著書の多くも注目を集めている。斬新な思考で、いままでにない角度から問題に切り込みつつ、アイデアを証明するに足る十分なデータを持っている。インタビューを聴きつつ、それが氏のトークに魅了される理由ではないか、と思った。ちなみに、講演は2000件以上。すべての会場で爆笑を誘いつつ、すべての来場者に真理と真実を告げている。そんな氏の姿も想像できるインタビューだった。

神童であり、天才であり。それでいて、愛嬌のある失敗もある。

出身は神奈川。氏家「うじけ」という読み方は父方の出身の香川がルーツであるそうだ。
子どもの頃の話をすると、小学6年生で背丈が176センチメートルあった。成績が良く、生徒会長も務める。通知簿はたいてい5。
スポーツもでき、好きだった野球では全国大会に出場。強豪校でエースナンバーを背負ったこともある。人気もあった。
高校でも生徒会長を務め、そのうえ特待生。しかし、格好はパンチパーマで、超ラン。対極する2つの生徒像が、氏家氏の話のなかでは1つになる。
学年が進むごとに氏家氏の切れ味は、数字によっても証明されるようになる。偏差値は80。全国模試ではナンバー1を取ったこともある。
まさに「天才」「神童」の氏家氏だが、氏に言わせると「要所要所で失敗するんです」といって笑う。高校受験、大学受験が、氏のいう一つの要所である。
大学は早稲田をめざした氏家氏だが、失敗し、成蹊大学に進んでいる。
「高校も、鎌倉学園っていう学校に進学するんですが、こちらも本命じゃなかった。もっとも文武両道の学校で、野球部も強かったですし、生徒会長の時代には『全生徒に強制的に献血』をさせたことで思い出も残りました。そういえば、サザンオールスターズの桑田佳祐さんも、ダイエーホークスに入団した若田部健一さんもうちの学校の出身です」。
調べてみると、たしかに著名人もたくさん輩出されている名門校だ。それでも氏家氏にとっては受験失敗の末、選択した学校となるのだろう。

大学在籍6年。通った回数23回。

「政治に関心があったので早稲田の政経、少なくとも法学部に進学したかったんです。ところが縁あって入学したのは成蹊大学(笑)」。
「大学に進学し、こちらも縁あって応援団に入部。これが、間違いでした」。
氏家氏は、大学を6年かけ卒業している。しかも、授業には合計23回しか行っていない。
「23回、それで良く卒業できましたね」と聞くと、ニンマリと笑う。氏独自の秘法があるらしい。ただし、そちらは口をつぐんで教えてもらえなかった。
ともあれ、応援団の話。
「私は、1年で退部するんですが、初期教育ですよね。大学はこういうところだって。応援団というのは先輩、後輩の規律が凄い世界です。でも、先輩っていっても学年は同じ。どういう意味かっていうと、みんな授業に行かないから留年しちゃうんですね。だから同じ1年生に、2回生とか、3回生がうようよいるんです(笑)」。
「そういう部に1年もいたわけですから、大学生らしく授業にもいかない習慣が身に付いたわけです」。
授業には出なかったが、学校のなかでは重要な役割も担っていた。
「当時、イベントサークルが流行していまして。私は企画するのが得意だから、そちらのサークルに入って学園祭などを仕切るようになります。そのあと、いろんなリーグを立ち上げ、全国の代表に選任されました。これが、大学からますます遠ざかった理由です」。

学生兼プロモーター。

ところで、氏家氏はもう一つ経歴を持っている。というのはタレントの経歴である。18歳の時には、フジテレビの人気番組「笑っていいとも」に出演。CMにも登場していたという。
こういう経歴もまた、氏の人生のうえで、大いに役立ったに違いない。TVに出演することなどめったにない庶民の我々だが、氏家氏は、一時期、そちらをホームグラウンドにしている。
ともあれ、氏家氏は19歳で起業し、20歳で会社を設立する。当然、学生でありながら、である。
「学園祭に、タレントなどを招へいするでしょ。私はイベントサークルの全国の代表みたいなものだから、そういうのも仕切っていたんです。そのうちに、そっちが本業になって。それで19歳で起業し、20歳で会社を設立。タレントのプロモーション事業をスタートするんです」。
「買収もしたから」というが、1年目にして売上高18億円。業界でも屈指の企業となる。たしかに、大学どころの話ではない。
人気タレントも育てた。新たな音楽ジャンルも発掘する。しかし、いくら天才、氏家氏だといっても、芸能界は、そうやすやすと手中に収まらない。
表と裏。表は華々しく、そして裏は…、たいていの人が想像通りであろう。「まぁ、言えば騙されたんですね。騙されて1億ウン千万円取られてしまいました。誰にも迷惑はかけませんでしたが、それでも資金が底をついた。だから、興業を打つこともできなくなってしまったんです」。
「それで、もう辞めようと思うわけですが、そう簡単に辞めさせてくれない。筋を通せって言われたり、タレントをどうすんだ?って脅かされたり。結局、みんなに辞めてもらうために2000万円。これは仕方なく父親に借りました」。
大学生の火遊びではない。氏家氏が設立した会社は、すでに社会に組み込まれていた。自由気ままは許されなかった。億単位の金を儲けたが、ヘタを打ったおかげで、億単位の金を取られた。あげく、2000万円の借金である。
しかし、走り出した氏家氏は止まらない。というか氏の才能を周りの人間たちが無視できなかった。
「これ、あんまり言ってないんですが、24歳の時ですね。学生だったんですが、ある有名な広告代理店に局長で誘われまして」。
ヒット商品を連発した。
「そうですね、ヒットメーカーだって、何年間か騒がれました」。コメンテーターとしてTVにゲスト出演することもしばしばあった。
企画すること、人を集めることは氏家氏の得意分野である。当時手がけた商品名をいくつか挙げてもらったが、ぜんぶ、知っているものばかりだった。
「クラブ」という文化も創造した。
「クラブの原点というか、1000人規模の大箱のクラブを立ち上げました」。有名ライブレストランやクラブの立ち上げにも参加する。
いったん折れたと思われた翼だが、キズ一つ、ついていなかった。だれも氏家氏の鼻も、翼も折ることはできなかった。

いままでのキャリアを捨て、鞄持ち、開始。

20代半ば、氏の絶頂期である。著名人とも知り合いにもなり、何より時代の先端を走ることに興奮したはずである。
しかし、少しずつ転機も近づいてくる。大学生という肩書からもいつか卒業しなければならない。
「ある時ですね。スキーイベントを企画したんですが、規模がおっきくって1億円がいることになったんです。それで、父に頼んで父の知り合いの会社を紹介してもらったんです」。
当時、流通のナンバー1企業だった。
「1週間、1日4〜5時間の睡眠で企画書を書き上げて持参したんです。何しろ、1億円ですからね。何を訊かれてもすぐ解答できるように準備も怠らなかった。しかし、さっと読んで『わかりました』って。『え、うそぉ』でしょ。よく観るとね、担当者の膝のうえに、もう一つの企画書が載っていて、父の名があったんです」。
お父様は、氏家をもしのぐ日本を代表するコンサルタントである。日本経済の影の黒幕と言われたこともある人だという。
「あの時は、愕然としてしまって。父に紹介してと頼んだのは私ですが、まさか内容まで書面にして伝えていてくれていたとは…。父には『もう二度としないでくれ』と言いました」。そのあと、氏家氏はまじめな顔で「人としてだめになると思ったからです」といった。
これが、氏家氏を決断するに追い込んだのかどうか、定かではないが、まもなく氏家氏は、埼玉にあるポラスグループの創業者、中内俊三氏のもとで勉強を始める。
「ポラスグループは父のクライアントなんです。父は父でいつか私にコンサルタントをさせたいと思っていたんでしょう。このままではいつまでもコンサルタントになれない、なんて言って。紹介されたのが中内さんだったわけです。とびきり怖い人でした(笑)」。

草加市の原宿化。それが、与えられたミッション。

氏家氏は冒頭に書いたように日本を代表するプロデューサーであり、コンサルタントでもある。
しかし、いまのところ飲食ということにカテゴリーに絞ってのこと。そのあたりの理由についても伺った。
「私は、ハッキリ言って器用貧乏なんだと思います。ある程度は何でもできる。でも、その道のプロには、敵わない」。
「そういうこともあって、じゃぁ、とにかく一つに絞ろうと。でも、まさかフードはいちばんやりたくなかったことなのに、いつか飲食という仕事に魅了され、この道に絞っていちばんになろうと思うようになったんです」。
その道、つまりフードビジネスに魅了されるきっかけをつくった人。それが、氏家氏がいう「怖い人」。つまり、中内俊三氏である。
「当時、私の年収は3000万とか4000万円だったんです。それが転職して1/6に下がりました。でも、勉強もできました。2年間、決算書とにらめっこです」。
氏家氏の仕事ぶりを観て、中内氏の期待もだんだん膨らんでいったのだろう。ある時、中内氏は、氏家氏に向かってこういった。
「氏家くん、頼みがある」。
「はい」と答える氏家氏に、中内氏は平然と「草加市を原宿にしてくれ」と言い放った。

顧客手帳をみせなさい。これがすべての始まり。

草加市の原宿化のキーコンテンツとなるのが「フォロ」という飲食店だったそうである。しかし、氏家氏に言わせれば、原宿化うんぬん以前の話として黒字化しなければならなかった。赤字の理由は明確だった。いち早く、家賃設定が原宿化されていたからだ。
「キャッシュは黒字なんです。でも、法外な、といってもグループに収めるわけですから、それでも貢献しているわけなんですが、ともかく法外な賃料なんです。それで赤字。でも、役員たちは誰も法外な設定とは思っていない。だから尚、タチが悪い。責められてしまうわけですね」。「こちらにすればちょっと待ってよ、ですよね。周辺の家賃相場と合わせたら、毎月、3ケタの利益は出ているのですから」。
とはいえ、飲食は眼中になかった。好きでもなかったから、数字だけに頭がいっていた。その数字も、黒字ではないが、立派な数字だと思っていた。
そんな氏家氏のもとに、中内氏がやってくる。さしもの氏家氏も、中内氏を観ると背筋がのびる。
「ある日のことなんですが、社長の中内さんが、突然、うちの店に来ましてね。こうソファで差向かえで座ったわけです。コーヒーをお出ししまして」。
「すると、『氏家くん』って呼びかけられるわけです。それで『顧客手帳をみせなさい』とおっしゃるんですね。顧客手帳? 私もまぁいろいろ飲食の勉強はしていましたが、『顧客手帳』っていうのはどこの指南書にも書いていなかった。でも、『ない』なんていったら殺されますから、必死に頭を回転させて。それで、そうだ予約帳がある、と思い出して。あれなら、名前も、電話番号も載っているでしょ。で、救われたという思いで、予約帳をみせたんです」。
正確にいえば、これが「すべての始まり」だという。フードビジネスに魅了され、コンサルタントとなり、天文学的な数字の公演をこなし、多くのチェーン店、個人店をプロデュースすることになる、「すべての始まり」だと。

コンサルタント氏家氏。フードビジネスを極める。

天才だった。なんでもできた。如才もなかった。この時も、「ない」ではなく、機転を利かせて、似たような帳面を代わりに差し出した。
中内氏が叩きたかったのは、この如才もない生き方だったのかもしれない。負けを素直に認めようとしないプライドだったかもしれない。
「ともかくですね、予約帳を見せたら猛烈に怒って、ノートの角、そういちばん堅くて、唯一尖ったところで思い切り頭を叩かれました。そして、『お前のこの態度、この姿勢がぜんぶ店に出ているわ、金返せぇ』って怒鳴られたんです」。
鬼のような形相だった。大事な知り合いから預かった大事な息子。だからこそ容赦なかった。
氏家氏は、どんな表情をしていたのだろう。
「私ね。たぶん、この一言で変わったんだと思います。ただし、変わることができたのは実践したからです。顧客手帳をつけ始めました」。
氏家氏の「顧客手帳」には6回、似顔絵が描けるようになっている。「何でもすぐにできる私ですが、唯一、人の名前だけ苦手で、ぜんぜん覚えられないんです。だから、似顔絵を描くようにしたんです。しかも1度だけじゃなく、6回も」。
ある客からも言われた。「いつまで敬語で話かけてくるんだ」って。お客様が壁を取り除こうとしているのに、店長の氏家がそれをできなかった。
「そういうのもあって、必死に名前を覚えて、そらんじられるようになったお客様の数が400を超えた時、すべてが変わるんです」。
1日中、客と話すようになった。相手に、興味がわいてきた。店のドアが開くたび、どんな人だろうと関心が向くようにもなった。そして、月商が数倍となった。
原宿化した賃料を取られても十分に利益が残る店となったのである。
これが評判を呼び、メディアにも多数取り上げられ、氏家氏はフードコンサルタントの道を歩き始めるようになる。

客に興味を持つことが、飲食の明日をつくる。

「お客様に興味を持つことが、大切だ」と、氏は「興味」という言葉を飲食経営のキーワードの一つに挙げる。理由は、興味を持てばおのずと必要な行動ができるからだ。
これはリピーターの獲得にも、大事なことである。しかし、氏家氏の発想はもっと深いところにあった。
「いま客単価戦争が起こっていますよね。でも、もう低価格の時代じゃない。データが示す通り、価格を下げても集客できる時代じゃない。だからといって、ほかに方法はない、という人もいる。でもね。違うんです。昔みたいに売上がすべてを帳消しにする時代は終わったんです。飲食も、もっとクレバーな経営をしていかないといけない時代です」。
「たとえば『興味』は、そういう経営を行う上でもキーワードになるんです。今特に問題となっているのが、不採算採用費なんです。どうしても、余剰な人員が生まれてしまう」。
「たとえば、私たちがあるお店にお邪魔したとします。ドアを開けたら、どうですか。みんなが知らん顔の店もあれば、逆にみんなが足も手も止めてこちらをみて『いらっしゃいませ』という店もある。いい店はむろん後者です。みんなが客に興味を持てば、遊んでいる人はいなくなるんです」。
人を活かすうえでも、興味を持たすことは大事なことだったのである。「飲食が好きになる瞬間もある」と、氏家氏はいう。それが氏のいう「サービスの瞬間」である。

氏家氏という、天才の正体。

氏家氏の発想は、深く、広い。メディアでは「食文化の仕掛け人」「成功請負人」と言われているが、それでもまだ語り尽くせてはいないだろう。東日本大震災があった時には、会社を縮小し財産すべてを投げ打って、活動した。
そういう人である。飲食店は、「食材の料理人である」という。にも、関わらず食材を知らない人が多すぎると氏は嘆く。
だから、福島県にさまざまな店のオーナーを自費で連れて行き、ホテルも取り、食事も氏家氏が用意した。その活動はTVでも取り上げられている。
頭脳、明晰でクレバー。しかも話も旨い。
事業もふたたび順調に推移している。
さすが、である。
しかし、今回のインタビューを通して、いちばんビックリしたことを挙げるならば、初めて出会った我々全員が、短時間の間に氏家氏を好きになったことである。
これが、氏の力の正体ではないか。
現在、氏家氏は、「カーヴ隠れや」、「ばってんくすくす」、「幕末うまいもの伝」、「ソレントの台所」など全国70店舗以上のフランチャイズを展開している。
これらの店もまた、飲食経営のお手本であることは言うでもない。
氏家氏が語り導く、飲食の未来に、多くの飲食を志す人たちの未来と、もう少し大げさに言えば、日本の食文化の未来がかかっている。

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