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第471回 ジェイアール東日本フードビジネス株式会社 代表取締役社長 明智俊明氏
update 15/02/03
ジェイアール東日本フードビジネス株式会社
明智俊明氏
ジェイアール東日本フードビジネス株式会社 代表取締役社長 明智俊明氏
生年月日 1955年1月27日
プロフィール 新潟県魚沼市(当時は小出町)生まれ。東京大学卒業後、国鉄に入社。東北新幹線などの建設に関与し、民営後にはホテルメッツなど新事業の企画・運営を任される。ジェイアール東日本フードビジネス株式会社の社長に就任したのは2012年。「エキナカ」の活性化とともに、「駅」という立地に頼らないクオリティの高い飲食事業の育成に取り組んでいる。
主な業態 「BECK'S COFFEE SHOP」「Becker's」「HONEY'S BAR」他
企業HP http://www.jefb.co.jp/

エキナカに新時代を!

「駅はね。日に2回は使われるんです。乗車駅として、また降車駅としてね。それだけ、人の行き来がある。それが駅なんです」。
そう言われると、日々、何気なく通り過ぎる駅の風景が頭に浮かんだ。時には急ぎ足で、時には疲れた足取りで通っている、いつもの「駅」。そこでは、私たちの気づかないところでさまざまなドラマが生まれているのだろう。
さて、今回、お話を伺ったのは、この「駅」を主な舞台として事業を展開しているジェイアール東日本フードビジネス株式会社の社長、明智俊明氏。
同社はJR東日本の各「駅」でみかける、コーヒーショップの「BECK’S COFFEE SHOP」、ハンバーガー&サンドイッチの「Becker’s」、ジューススタンドの「HONEY’S BAR」など、「エキナカ」にある、さまざまな飲食店の企画・運営を行っている会社である。
私も良く利用する。朝、取材先に向かう前、会社の最寄りの駅のカフェに駆け込んで、お腹といっしょに元気を充電する。スピーディな朝食だが、これがいい。現代人にとって、「エキナカ」のショップは、便利このうえない存在だ。
しかし、「エキナカ」という言葉自体、まだ定着して日が浅い。これから「エキナカ」はどうなっていくのだろうか。
「エキナカに新時代を!」。
新たな時代に歩み始めたジェイアール東日本フードビジネス株式会社。その舵を取るキーパーソン、明智俊明氏の話に耳を傾けてみよう。

新潟県小出町には、ローカル線の始発駅があった。

「父親はゼネコンに勤める技術者です」と明智氏は切り出した。
「私が生まれたのは新潟県の小出町という町です。いまは合併して魚沼市となっています。この町には只見線というローカル線の始発駅があるんです。親父は、当時、黒又川ダムの建設を行っていて、その時、私が生まれたんです」。
当時は水力発電が主流で、旺盛な電力需要を背景にダムも次々に建設されていったはずだ。一つのダムが完成すると、新たな現場に向かうことになる。
明智氏は小出町で生まれたが、育ったのは父と母の故郷でもある北海道である。
「小学校に上がるときに、引っ越しました。父親は、仕事の関係上、単身赴任も多く、私たち兄妹は母に育てられました」と言って明智氏は笑う。
ちなみに、兄妹は妹が1人。2歳、離れているそうだ。
長男の明智氏は、むろん、父の影響を受けて育った。

やんちゃ坊主。半年で転校させられる。

「小学校1年生の時、半年で田舎の学校から転校しているんです」と明智氏。どうしてですか? と尋ねると、氏は笑いながら「授業にならないんですよ、私がいると」と答えてくれた。なんでも、先生が問題を出すとあてられてもいないのにスグに答えてしまったそうだ。「だから、授業にならない(笑)。それで、もう少し都会の学校にということで、転校させられてしまったんです」。
 最初に書いておくと、明智氏は東京大学を現役で合格している。当時から頭脳明晰だったのだろう。もっとも本人は、「やんちゃだったから」と笑うだけなのだが。
少年野球に入って野球もした。「当時は、野球しかなかったもの」という。
中学2年生の冬、父の転勤で、一家は東京に出てくることになる。「2年生の1月です。もうそろそろ受験に備えなければいけない時でしょ。北海道では、あの学校と決めていたんですが、引越しちゃったからまたイチからです」。
北海道から来た、やんちゃな少年。言葉のカベもなくはなかった。「いじめられていたわけじゃないけど、みんなに訛りがあるとからかわれた、そんな記憶があるな」といって笑う。ともかく、明智少年は、東京で新たなスタートを切った。

高校、大学、そして就職。

都立戸山高校に進学した。むろん、進学校だ。野球部も強く、都大会でベスト8まで進んだことがあるそうだ。
「私は2年生になって受験勉強のために野球部を辞めました」と明智氏。めざすは東大。野球をつづけたい気持ちもなくはなかったろうが、早々と舵を切った。東大を受験するには、それだけの覚悟がいる。
ところで、大学進学を考える頃になると、進路を決めなければならない。東大と一口に言っても、文・理もあれば、学部・学科もある。
「そうですね。父の仕事を観てきたでしょ。父から仕事についていろいろ聞いていたんです。それもあって、私も父と同じように社会のインフラをつくるような仕事がしたかった。だから、理系の、土木工学科を選択しました」。
それから4年。就職先は、国鉄だった。
ゼネコンではなく、国鉄? と国鉄を選択した理由を伺うと、企画に興味があったから、という返答。企画とは、全体を俯瞰し、計画を立てる仕事。だから、ゼネコンではなく「国鉄」に入社したそうだ。民営化される前だから、準公務員である。計画を立て、工事を発注する側に回った。
当時は、東北新幹線が計画段階にあった。明智氏は、まずその仕事に従事することになる。ちなみにこの年は、1977年。国鉄が分離民営化されるのは、1987年のことだから、ちょうど10年、公務員として勤務したことになる。

国鉄民営化から、ジェイアール東日本フードビジネスの社長に就任するまでの話。

国鉄の分離民営化は、ある意味、時代の潮流だったのだろう。歓迎する向きも少なからずいた記憶がある。しかし、当の本人たちは、どうだったのだろうか。
「とにかく、退職する人たちの食い扶持をなんとかしないといけない。特に地方の、ローカル路線は廃止されるところもあって、希望者は東京に出てきてもらいました」。
副業といっては怒られてしまうだろうが、鉄道事業であぶれた人たちの受け皿として、新たな事業にも取り組まなければならなくなる。良く言えば、多角化である。明智氏が所属することになったJR東日本も、多角化に舵を切る。
「平成5年のことになりますが、私は宿泊特化型ビジネホテル「メッツ」のことですが、あのホテルの事業を担当することになりました。もともとは国営ですから、民業を圧迫してはいけないという決まりがあって、ホテルといっても、ほかのホテルとバッテングはできないんです。だから、1泊9000円とちょっと高めで、宿泊に特化したクオリティの高いホテルを企画し、運営することになりました」。
「これ」と言って差し出された1枚の写真は、その当時、視察のために訪れたコペンハーゲンのものだった。「事業としてはお手本がなかったものだから、自由にさせてもらうことができた。ある意味、たいへんでしたが、おもしろくもありました」と語っている。
調べてみると今、「メッツ」は首都圏と東日本に24のホテルを有している。その基礎を築いたのが、明智氏である。「ちょっとはいい仕事ができたかな」と明智氏は目を細めた。
そののち、JR物流において明智氏は取締役となりサプライチェーンマネジメント(SCM)システムの構築などを担当する。
2004年から2008年にはJR東日本に戻り、ニューヨークに赴任し、海外の鉄道事業者との情報交換の責任者を務めた。帰国後も、東京駅など大規模なターミナル駅の開発を推進。錦糸町ステーションビルの社長としても手腕を発揮した。そして2012年。ジェイアール東日本フードビジネス株式会社の社長に就任する。

「エキナカ」という発想。

ジェイアール東日本フードビジネス株式会社が誕生したのは平成元年のことである。事業を継承するかたちで、社長の席に就いた。だが、発足当時とはずいぶん役割も異なっていたのではないだろうか。すでにJR東日本も完全民営化している。当然、社長のイスの意味も重みも違ってくる。
「鉄道というのは、『輸送業』です。輸送業という観点から観れば『駅』は、通過点に過ぎないんです。つまり、駅に人が滞留することに、意味はないんですね。だから私たちが行っている駅構内の飲食事業というのは、駅で飲食店を開きながらも、スムーズな移動を妨げてはならなかったんです。そういう意味では、一般の飲食業とは違った役割を持って生まれた特異なサービスなんです」。
だから、クオリティよりも、スピードが求められた。しかし、その役割が徐々に変化しつつある。
その顕著な例が、「エキナカ」という発想である。「駅」を通過点にするのではなく、「エキナカ」を起点に人の動きをつくりだそうという計画である。
それは同時に「駅」という最高の立地に展開するクオリティの高い「飲食事業」の始まりである。フードのクオリティしかり、サービスのクオリティもしかり。その舵取りが、明智氏に任されている。

駅に街をつくろう。

社長に就任すると、明智氏は改めて経営理念を打ち出した。会社がいま、どこに向かって進んでいるかを明確に示す指標が必要と感じたからである。
「食を通じた豊かなライフスタイルの創造」が、それ。
この理念の下、さまざまな戦略も打ち出した。
カフェの「BECK’S COFFEE SHOP」」では、ライスメニューも推進した。
「調べてみると、利用者の単身者が50%だったんです。だから、ちゃんとした朝食や夕食を食べてもらえるようにしました」。
ジューススタンドの「HONEY’S BAR」では、豊富なビタミンをしっかり摂取できるようにと、ヘルシーなドリンクを提供するようにしている。一方、バール業態を開発しアルコール需要も取り込みつつある。「仕事帰りの一杯」である。たしかに、「エキナカ」だと気軽に立ち寄れる。
 むろん、エキナカの開発は、同社のみが担っているわけではない。2000年にはJRグループの戦略として「ステーションルネッサンス」が掲げられ、のちに「エキュート」や「グランスタ」といった「エキナカ商業施設」が誕生している。皮肉なことに、このグループの戦略が同社を窮地に追い込んだそうだ。なぜなら、再開発によって、同社が抱える店舗が閉店に追い込まれたからだ。
 その一点だけ取り上げても、同社の立ち位置は微妙で、経営の舵取りもむずかしい。現状を一点突破するには、「駅」の活性化をミッションに掲げつつ、「『駅』という立地に頼らない品質の高いサービスを行っていくしかない」と明智氏は語っている。
だからだろう。明智氏は、「市中に出店する」ことを目標としていると言ってはばからない。駅の外にでることだけが目的ではなく、駅の外でも勝負できる優れたブランドを構築するのが目的である。それは、すなわち「エキナカ」の更なる活性を担うブランドともなる。
ゴール設定は2020年。まだ先ではあるが、悠長なことはむろん言っていられない。ハッパをかける日々がつづいているのではないか。
 1955年。新潟県の、小さな町に生まれた少年が、東京でいま、大きく言えば日本の未来を動かすような仕事をしている。「駅に街をつくろう」。その街が、いまからの日本という国の新たな始発駅となればいい。

思い出のアルバム
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