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第484回 株式会社ヴォーノテーブルコーポレーション 代表者 武藤進哉氏
update 15/05/26
株式会社ヴォーノテーブルコーポレーション
武藤進哉氏
株式会社ヴォーノテーブルコーポレーション 代表者 武藤進哉氏
生年月日 1982年4月6日
プロフィール 群馬県高崎市に生まれ。日本大学卒業後、店舗流通ネット株式会社に入社。仕事を通し、「はなこ」で有名な株式会社セクションエイトの横山淳司氏、「ステーキ けん」で有名な株式会社エムグラントフードサービスの井戸実氏などに出会い独立を決意。エムグラントフードサービスのFCである「とんかつ&サラダバーよしかつ三芳」「ステーキハンバーグ&サラダバー けん 友部店」の経営を経て、2012年5月1日、「ヴォーノ・イタリア」浜野店をオープン。以降出店を進め、現在「ヴォーノ・イタリア」の東日本エリアの運営本部となり、FC店含め19店舗運営している。
主な業態 「ヴォーノ・イタリア」
企業HP http://www.bono-table.co.jp/

高校までの武藤の話。

少年武藤は大の野球好きで、小学1年生からソフトボールに没頭した。5年生になる頃には主将に選ばれた。最高は県大会2位。立派な数字である。
武藤が生まれたのは1982年。出身は群馬県高崎市。4歳から埼玉県浦和市で過ごしている。
父は日本工業経済新聞社の記者で、平日はいっしょに食事をすることも稀だった。母は専業主婦。兄弟は4人で、武藤が長男。妹が2人、弟が1人いる。
武藤がソフトボールをはじめると、父はおなじチームにコーチとして参加した。1年生から入団するケースは、父もコーチとして参加すること。そういう決まりがあったのかもしれない。ともあれ、長男と父が入団したことで武藤家はソフトボール漬けとなる。
「お兄ちゃんがソフトボールをはじめて、父さんもコーチになって、うちはソフトボール漬けの家になった」。武藤の弟や妹に聞けば、こう言って苦笑するかもしれない。
ソフトボールに熱中したが、いうまでもなく目標は野球選手だった。夏休みも返上して、練習した。公園で素振りを繰り返す日々。休日になれば、父も武藤の練習に付き合った。
中学に入って、ソフトボールから軟式野球に転向した。1年の秋からレギュラーに抜擢された。肩も強かったし、足も速かったからだ。
「中学でもキャプテンを務めていました。中学の時は、県で4位が最高です。私は中学でもピッチャーを務めていました。バッターでいえば、アベレージヒッターですね」。
軟式野球だったが、スカウトの目に止まったようだ。ある高校から「来ないか」と誘われた。「野球ばかりで、勉強は全然でしょ。そういうこともあって、セレクションに参加して推薦で進学させていただきました。埼玉には、『浦和学院』などの強豪校も少なくないんですが、さすがに浦和じゃレギュラーにもなれないだろうと思っていたので、ちょうどいい高校からお誘いを受けたと思いました。県でベスト4くらいの『南陵高校』という高校です」。
高校でも、野球漬け。野球が真ん中にあって、それ以外には関心がなかった。
「高校生にもなってくるとさすがに異性も意識するようになるでしょ。でも、それどころじゃなかった。恋愛する時間も、グレたりする時間もついになかった(笑)。朝早くから朝練して、授業が終わってから全体練習、それからまた2時間くらい個々人で練習です」。
ヘトヘトになる毎日だった。しかし、高校にもなると、立ち位置もわかるようになる。「いまの阪神の遊撃手と対戦したことがあるんです。おなじ高校生とは思えませんでした。スイングスピードもそうだし、身体能力が、私たちと全然、違うんです」。
高校になっても「いつかはプロへ」という思いがあったそうだが、現実の距離は、相当離れていることも知ったはずだ。

大学進学。広がる未来。

一浪した。「明治に行きたかった」が、日大に進むことになった。やっぱり野球部ですか? と聞くと、「最初はサークルとかも調べたんですが、どうも違うなと。野球をやるより、宴会が主みたいな…。で、野球を辞めて、基本はバイト生活。この時、バイトしたのが、あのレインズだったんです」。
それまで野球しかしてこなかった。もっとも高校時代、一度だけ「王将」でバイトをしたことがある。「楽しくてしかたなかった」そうだ。大学でも飲食を選択したのは、王将でのバイトの印象が良かったからだろうか。
「オープニングの言葉にも惹かれて」と武藤。レインズの新業態「土間土間」のオープニング店舗だった。「私の店で4号店です。牛角はある程度、確立していましたが、土間土間はこれから。オープニングということもあって、むちゃくちゃ楽しかったですね。長くなると、社員さんとそうかわらない仕事までするようになっていました。ただ、仕事は楽しかったんだけれど、だからって店長になろうとは思わなかった。単純な話ですが、店長が、可愛そうなくらい仕事尽くめだったからです」。
飲食に惹かれる一方で、武藤は営業という仕事にも挑戦した。「新聞の勧誘です。こちらでバイトをするうちにやっぱり営業だな、と。当時、土間土間とこちらの給料を合わせて30〜40万円くらいあったんですが、時間給で換算すれば断然、新聞の勧誘のほうが良かったからです(笑)」。
飲食は楽しい。しかし、仕事の目的は、それだけではないだろう。であれば、営業職のほうがいい、という選択だったはずだ。とはいえ、営業を選択したものの、入社した会社は「飲食」をサポートする事業を行っていた。飲食と武藤は、付かず離れずの距離だった。入社したのは「店舗流通ネット株式会社」。みなさんも一度はこの社名を聞かれたことがあるはずだ。

店舗流通ネット株式会社を卒業し、独立。

店舗流通ネットは、飲食事業者を様々な角度からサポートする会社である。特に、「業務委託型店舗ビジネス」というシステムによって、素早い独立をサポートしている。
「店舗流通ネットには、4年半います。営業という仕事の経験もそうですが、仕事を通して、いまからスタートする若い経営者の意欲や熱気。また、いったんヒットすれば、次々と店舗が立ち上がっていく飲食のダイナミックな面も観ることができ、いい意味で営業という立場を利用することで、様々な経験が積めたと思っています。『株式会社セクションエイト』の横山社長とお会いしたのも、この時。偶然、飛び込んだ会社の社長さんが、横山さんだったんです」。
株式会社セクションエイトの横山淳司氏はセクシーな居酒屋「はなこ」などを経営する若き敏腕経営者である。「最初は、あちらの方が年上だと思っていたんです。でも、私より下だと知ってびっくり(笑)」。
同年代、しかも、すでに経営者として確たる地位にいる横山氏と出会うことで、武藤のなかで化学変化が起こる。「経営者になる」という発想が芽生えたのもこの出会いがあったからだろう。「株式会社エムグラントフードサービスの井戸実社長に出会ったのも、縁の一つですね」。エムグラントフードサービスは、ステーキハンバーグ&サラダバー「けん」で知られている会社である。
2010年、井戸氏と出会うことで、武藤は独立に舵を切り、株式会社アドバンスリンクを設立している。現在の、株式会社ヴォーノテーブルコーポレーションの前身である。
時系列で追ってみる。
2010年10月22日、株式会社アドバンスリンク設立。同年12月18日、「とんかつ&サラダバーよしかつ三芳」OPEN、翌年7月1日、「ステーキハンバーグ&サラダバー けん 友部店」OPEN。翌2012年4月5日、エムグラントフードサービス社の出資のもと、社名を現在の「株式会社ヴォーノテーブルコーポレーション」に変更。
現在、ヴォーノテーブルコーポレーションは、東海地方でル・クール社が展開するイタリアンのオーダービュッフェ「ヴォーノ・イタリア」の東日本エリアの運営本部という位置づけ。店舗数はFC合わせ19店舗となっている。

たどりついたのは、敏腕経営者の頂。

横山氏に惹かれたこと。井戸氏に魅了されたこと。いくつもの転機を乗り越えて、武藤の、いまはある。上には上がある、と知った野球部の日も、いまにつながっているといえるかも知れない。ともあれ、武藤はいま多くのスタッフ、多くの人たちに好かれ、リスペクトされる敏腕経営者となっている。
最後に今後についても伺ってみた。「まだ発表していないので言えませんが、ヴォーノ・イタリア以外の新たなブランドの構築を計画しています。時代をちょっと先取るブランドになると思いますよ。期待しておいてください」。
これが2015年3月の話だから、このインタビューがアップされる時には、もう新ブランドが登場しているかもしれない。
それもまた楽しみである。敏腕経営者として武藤が、更にどこまでたどり着けるか。新ブランドは、その試金石の一つになると思うからだ。

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