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第488回 野川麺業株式会社 代表取締役社長 野川博史氏
update 15/06/23
野川麺業株式会社
野川博史氏
野川麺業株式会社 代表取締役社長 野川博史氏
生年月日 1953年5月15日
プロフィール 東京薬科大、薬学部卒。大学卒業後、父が経営する「野川麺業株式会社」に入社。平成8年、父からバトンを受け、現職の社長に就任。霞ヶ関などの省庁内中心に店舗を展開。参議院、衆議院にも出店している。
主な業態 「みとう庵」「日豊庵」
企業HP http://nogawamengyou.co.jp/

昭和31年、法務省内に「蕎麦屋」出店。

野川氏は、1953年5月15日に神宮前で生まれた。以来、神宮前が氏のホームグラウンドになる。2人兄弟の長男である。
「当時は、神宮前といっても田圃ばかりだったんです。私も、真っ黒になってあそんだ。自然も豊かだったんです。今では、ちょっと想像できないと思いますが」。
「私の父は元々キングレコードでディレクターをやっていたそうなんですが、母方が代々続く蕎麦屋だったものですから、会社を辞め、蕎麦屋の修業を始めたと聞いています。代々、続く格式のある蕎麦屋だから、そういう選択を迫られたんでしょうね」。
「縁あって、修業を終えた父が法務省内に、今の『日豊庵』の前身となる蕎麦屋を出店したのは昭和31年のこと。これが、お役人さんたちにも喜ばれたんですね。それで、次々と『うちにも』という声がかかるわけです。そうですね、親父の代で、5店舗。法務省、農林水産省、国土交通省(当時の建設省)、衆議院、参議院の計5店舗です」。
「出店にあたって、父は日常食であることにこだわりました」。
「日常食べる蕎麦だから、とにかくローコストじゃなきゃいけないでしょ。だから、手間暇かけた旨い蕎麦なんですが、毎日、食べていただけるような値段に設定しました。これが、評判になりました」。
たしかに、仕事の合間に食す「蕎麦」は、早く、安く、旨くが、鉄則である。しかも、野川氏の店では一切、添加物を使用しない。

添加物はいっさい使用しない、背景。

添加物を使用しない。これには、息子の野川氏も一枚かんでいる。小学校の頃には「医者になりたい」と思っていたそうだ。「まぁ、当時は憧れみたいなもんですね。だからなりたいと思ってもそう勉強もしなかった(笑)」。
経歴を言うと、中高一貫の芝学園に入学し、卒業後、医学部を狙うが、結局、東京薬科大に進学する。「薬学部」である。たしかに、医学部ほどではないが、薬学部も、そう簡単に入学できるところではない。しかも、「東京薬科大」である。
大学に入学した野川氏は、父の勧め通り、食品衛生を勉強する。添加物は、この時にでてくる話である。
「あの頃、親父にやるなら食品衛生だって言われて。私も、いつか親父の会社に入るつもりだったもんですから、素直にそちらを専攻したんです。マウスを使った実験も、何度もやってね。だから、添加物の恐さは良くわかっているんです」。
その恐さを知っているから野川氏の店では、いっさい添加物は使用しない。「蕎麦はデリケートなんですよ。1日もたてばすっぱい匂いがしてきます。でも、添加物を混ぜれば、そうはならない。いいかどうかは別にして、うちでは、出したくない、蕎麦です」。
ちなみに野川氏は薬剤師の資格も持っているそうだ。

社長となった野川氏の挑戦。

大学を卒業した野川氏は、「野川麺業株式会社」に入社する。いうまでもなく、父親の会社である。「2代目のなかには、いったん別の会社に入って修業する人もいると聞いていますが、私は、大学時代からうちの会社と決めていましたので、卒業後、1年間ほど海外で見聞を広げたあと、スグに就職。父の下で、さまざまなことを勉強しました」。
野川氏が、大学を卒業したのは、1978年。1970年代と言えば、日本の飲食業界にとって、一つのターニングポイントである。経営の近代化が図られ、ファミリーレストランなどを筆頭にチェーン店も台頭してくる。ハンバーガーチェーンなど、アメリカ発のファストフードも勢力を拡大する。
むろん、バブルという時代にも、やがて突入する。そうした時代の流れのなか、飲食店の経営にも「安泰」という2文字はなかったはずだ。省庁に店舗を構えていたとしても、それは同じことだろう。
野川氏が、先代の父親に代わり、社長になったのは平成8年の2月のことである。
すでにバブルは去り、飲食業界は新たな時代を迎えていた。
野川氏は積極的な経営を展開する。
「そろそろいいだろうと、バトンを受けました。親父が5店舗までやり、私が、いまの14店舗まで拡大しました」。
店舗数を拡大させただけではない。野川氏になって、官庁以外にも進出している。この5月には、品川シーズンテラス内に新店もオープンする。通販事業にも注力するとのことだ。
「市中に出るというのは、一つの試みです。官庁の職員の方々から支持されている日常食としての蕎麦ですから、自信はあります。また通販事業も、しかりです。実は、縁があって、一時期TVショッピングに出たことがあるんです。あまりに売れすぎてしまって、工場が根を上げて辞めてしまったんですが(笑)」。
その数「3万食」だったそうである。「旨い蕎麦」ならではだ。
ともあれ、今日も、官庁にある「日豊庵」では、多くの職員が蕎麦を啜っている。
「ふつう大臣は秘書の方が、買いに来られるんですが、ある首相は1人でフラリと来られたもんですから、SPの人がたいへんだったみたいですね(笑)」。
「最近は、5年毎に申請しなければいけなくなったんですが、おかげさまで毎回、職員の方々はうちの蕎麦を選んでくださいます」。
サービスよし、値段よし、味よし。総理や大臣たちだって、安くて旨い蕎麦にはかなわない、その証明である。
同様に時代が流れても、やっぱり日本人は「蕎麦が好き」という証でもあるような気がした。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
東京薬科大学卒業少し前 20代後半社員旅行。
当時の社長(亡き父)と一緒
会社設立30周年パーティー
 

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