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第489回 株式会社テイクユー 代表取締役社長 大澤 武氏
update 15/06/30
株式会社テイクユー
大澤 武氏
株式会社テイクユー 代表取締役社長 大澤 武氏
生年月日 1968年11月4日
プロフィール 港区青山出身。帝京技術科学大学(現帝京平成大学)経営情報学科卒。計算機や時計でも有名な電機メーカーに就職。海外営業などを経て、同社のなかでも重要なプレイヤーとして活躍。その一方、ラーメン店の経営をはじめ、会社も承諾のうえ、二足の草鞋を履き続ける。2012年11月、株式会社テイクユー設立。濃厚鶏そば「麺屋 武一」をリリースし、ラーメンファンの心を捉える。現在、直営店18店舗、FCで25店舗。ラーメン店の経営を起業の出発点に、いまや海外への進出を計画する、飲食業界のビジネスパーソンである。
主な業態 「麺屋 武一」「和伊まる」「武一とり食堂 」他
企業HP http://noukou-torisoba.com/
今回登場いただくのは、行列必至の<濃厚鶏そば「麺屋 武一」>を経営する(株)テイクユーの大澤 武社長。大澤氏は、数あるラーメン店店主のなかでも異例の経歴の持ち主。大手企業の社員と飲食店経営者の二足の草鞋を10年近く履き続けたうえに、その経験をもとに講師やプロデューサー的な仕事も行い、起業家のためのノウハウ本も数冊、上梓している。起業とは、を念頭に置きつつ、今回も氏の足跡を追いかけてみよう。

大人しい少年。

澤が港区青山に生まれたのは1968年の11月4日。昭和38年のことである。小学・中学、高校に行っても、どちらかといえば大人しいタイプの少年だったそうだ。
「小学校は公立で、中学から私立、日大の豊山中学に進みます。高校もおなじ系列で、エスカレーターで進学。大学も日大に進めたんですが、私が行きたい学部がなかったので、できたばかりの帝京技術科学大学(現帝京平成大学)に進学しました」。
できたばかりの大学。当然、一期生。寮に入り、仲間と語り合う日々が始まった。大澤にとってはすべてが新鮮に映ったに違いない。
学部は、経営情報学科。
「文系でも、理系でもない。パソコンはやりたかったんですが、理系ガチガチだとつまらないと思っていたので、ちょうど良かったんです(笑)」と大澤。
勉強も楽しくなり、それまで大人しかっただけの大澤が、少しずつ大人の姿になっていく。
 「元々、勉強は大きらいだったんですが、自分で選んだ学科だったこともあって、今度は勉強がたのしくなるんです。勉強するようになれば、成績もあがり、それが自信になる。好循環ですよね」。
4年生になった時には、教師を手伝い報酬をもらうまでになっていたそうだ。
「就職を前に『第二種情報処理技術者』の資格を取得。うちの学部でいちばん最初に取得したんですが、それが大きな自信になり、それまでの挫折感から解放されるきっかけにもなりました」とも語っている。
「小さな頃は、経営者になるなんて思ってもいなかった。もちろん、大学でもそうでしたが、その頃から起業家だった祖父ゆずりのベンチャー精神が少しずつ表にでてきたような気がしなくもないですね」。

電機メーカー入社。

頃はバブル真っ最中である。いわゆる売り手市場。特に、パソコン関係の知識を持った大澤のような学生は引く手あまただったのではないか。
「そうですね。ただ、当時から電機メーカーは人気でしたからそう簡単だったわけではないですよ。私は、たまたま希望通り就職することができましたが、何しろまだできたばかりの大学出身ですからね(笑)」。
外にも選択肢はあったそうだが、ほかのメーカーとは異なり、まだ社員数も少ないところに惹かれたのだという。たしかに祖父ゆずりのベンチャースピリッツが、姿を現した証拠だろう。
一方、勉強嫌いだった少年時代の面影はどこかに消えてしまった。「大学時代から勉強が好きになって。入社してからも学ぶという意識はつねにあった気がします」。
入社後は希望をだし「システム営業部」に配属された。「コンピュータにも触れていたかったし、営業もしたかったから、その部を希望した」という。まだまだ希望通りの配属がかなう時代だったそうだ。

才能花ひらく。

遅咲きといっては怒られてしまうかもしれないが、大澤は、まさに「遅咲きの人」である。小中高と地中に埋もれ、開花する日を待っていたような…。花が開花すると、大澤はみちがえるような花を咲かし始める。
「システム営業部に配属されて半年くらいして、スーパー向けのシステムの担当になるんです。当時、スーパーに私の会社のシステムはまだ10台ほどしか納入されていなかったんですが…」。
大澤が日本を代表する量販店2社を新規で落としたことで、シェアはいっきにトップに躍り出た。
「新たな取引ですが、もともとコネクションはあったんです。そのコネも上手くつかって。そうですね。たいへんだったのは、社内営業ですね。顧客の要望をヒアリングして、社内にフィードバックする。聞くちからも大事だし、相手の話を把握するちからも大事です。幸い、私はシステムのことがわかるので、そういう知識を持っていたことで、社内とお客様をつなぐことができたんだと思います」。
年間、相当な取引額になった。社内でも、一目置かれた存在になったのではないか。一方、大澤は、それで満足していなかったようである。29歳、1998年、フランスで開催されたワールドカップを観て啓発を受け、今度は、「海外に、駐在させてくれ」と会社にかけあったそうである。むろん、海外経験はほとんどない。英語もまったくしゃべられなかった。
それでも数年後には、半月に2回は海外に出向くまでになる。香港、シンガポール、台湾、タイ、マレーシア、インド。
当時の肩書は、アジアエリア担当者である。この時の活躍ももちろん認められ、若くして課長に就任している。

もう一つの才能。

ある意味、順風満帆のサラリーマン生活である。しかし、大澤は、平穏ともいえるサラリーマン生活に加え、もう一つの仕事をすることになる。それが「武一」の起源となる。
「もともと妻が飲食店をしていたんです。最初は黙っていたんですが、経営が傾いてきて、それで少しずつ口をはさむようになったんです。決定的だったのは、家内が妊娠したことですね。で、店もあったし、当時、人気だった『むつみ屋』のFCをしてみようということになって」。
大澤は二足の草鞋を履くつもりはなかった。退職するつもりだったが、上司に引き止められた。だから、経営者であるとともに、会社員でもあったわけだ。もし、週末起業家を志すとすれば、大澤のように、しっかり会社に根を張り、評価されていることが大事なこととなるのだろう。
しかし、「言うは易く行うは難し」である。この難しい二足の草鞋を、大澤は10年間も履き続けた。
「厨房にはなかなか入れなかったですね。抵抗があったんだと思います。そんな経営者でしたが、当時、むつみ屋は大人気でしたから初日からいきなり列ができて…」。とはいっても、これは誤算だったそうだ。「宣伝を打ち過ぎたのが原因でした。たしかに、売上は立ちました。4月21日オープンして10日ほどで、300万円です。たった10坪の店なのに。翌5月には600万円。まぁ、ここまではよかったんですが、6月には400万円です。予感が的中したといいますか」。
何しろオペレーションがまったくだめだった。それで、人だけ投入するから、人件費がかさんで利益もでない。「いま思えば、3人で回せるところを6人で回していた」という。
「それでも、4ヵ月目くらいから少しずつスタッフも板についてきて、秋くらいには、毎月500万円程度を安定的に売上ることができるようになりました。経営者である私もひと息つくことができました」。
営業の才能に加え、経営者の才能も、花開きつつあった証拠だろう。とはいえ、それで物語が終わるほど起業は甘くない。

男だったら、やってみろ、の誘惑。

もともと、副業である。商売が上手くいけば逆転することもあるのだろうが、電機メーカーでの仕事も、大澤を魅了しつづけた。ある意味、どっちつかず、である。それでもバランスを取り2つのビジネスを巧みに操縦した。
「そうですね。一度、コンサルに入ってもらったことがあったんですね。『いまのうちにもう一つのブランドを』というか、ね。男だったら、やってみろ、みたいな。それで、中野にラーメン店を。赤坂にこちらもFCですが居酒屋を出店しました。中野の店はすぐに軌道に乗るんですが、赤坂は、いけると踏んだのにぜんぜんだめ。投資額は3600万円。立地も悪くないと思っていたんですが、毎月200万円の赤字です。ほかの店の利益をぶち込みましたが、それでも間に合わず親にまで借金です。理由ですか?『人』ですね。『人』。」
大澤は、しばらくして週末起業家などに自身の経験を交え講演を行うようにもなるのだが、その際も、「人」重視の姿勢を説く。また現在、大澤自身FCを展開しているが、加盟店になる条件は経営者が先頭に立つことが条件である。
「私自身が大きくかわったのは、この時期ですね。赤字の垂れ流しで、もう開き直って、コンサルに経営を委託するような感じにして。その一方で、私も抵抗があるなんてもう言っていられなくなって、この頃、初めて厨房に入りました。会社が終わってからですから、20時くらいから深夜の1時くらいまで。そうやって、初めて飲食は人だということがわかっていくんです」。
赤坂の店舗で不振の原因となったのは、人のいざかいだった。従業員4人がケンカの毎日で、仲裁がいつしか大澤の仕事になってしまっていた。そういう経験も踏まえて、大澤は効率的なFC経営から、「人」に焦点を当てた経営に舵を切り始めたのである。
そうなると、もう二足の草鞋とはいっていられなくなった。それでついに10年近く続いた経営者とサラリーマンという二足の草鞋を脱いだ。

飲食、もう一つの顔。

「飲食プロネット」というポータルサイトがある。プロネット株式会社という会社が運営しているのだが、この会社の代表も大澤が務めている。電機メーカーを退職したのは、「このサイトをきっちり運営するためでもある」とのこと。
むろん、比重を傾けた飲食ビジネスも加速した。
「株式会社テイクユーを設立して2年5ヵ月くらいになりますが、直営店だけで8店舗、FCで25店舗くらいになります。いい感じで推移しています」。
従業員の採用状況も悪くはない。採用の条件としているのは、将来の独立。<20代で5年、30代では3年で独立せよ>とのことである。その一方で、海外進出も進めている。タイ、インドネシア、アメリカ、まず、この3ヵ国がターゲットだ。ひっさげていくのは、濃厚鶏そばである。ラーメン大国の日本で認められた味が、世界でどこまで通用するか、楽しみである。この世界戦略においても、コアメンバーとなってくれる人材をいま求めているとのこと。
ラーメンファンはもちろんのこと、起業したい人、「食」ビジネスを追求したい人、海外で活躍したい人にも気にかかる企業である。起業の達人でもある、大澤の下で、学べることは少なくないと思うからだ。

思い出のアルバム
 
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