年代別社長インデックス
掲載時期別社長インデックス
オススメ求人サイト
リンク
第497回 株式会社ワインバーテラ本部 代表取締役社長 藤本和良氏
update 15/08/25
株式会社ワインバーテラ本部
藤本和良氏
株式会社ワインバーテラ本部 代表取締役社長 藤本和良氏
生年月日 1968年8月22日
プロフィール 岡山県笠岡市生まれ。子どもの頃から絵を描くことが好きで、いつも熱心にペンをにぎっていた。高校卒業後、段ボールメーカーに就職。デザイナーになるつもりが敏腕な営業マンとなり、日本を転々とする。40歳、脱サラで「ワインバーテラ」のFCオーナーとなり、「西宮北口店」をオープンする。のちに本部に入り、3代目の社長に就任。
主な業態 「ワインバーテラ」「PUB GUMP」他
企業HP http://winebarterra.com/

漫画家志望の少年。

絵を描くことが好きだった。いつか漫画家になるのが目標だった。作品をつくって投稿もした。小学生の頃の話である。
今回、ご登場いただく株式会社ワインバーテラ本部の社長 藤本和良氏が生まれたのは、岡山県の笠岡市。瀬戸内海に面する港町である。
「父親は製鉄所に勤めるサラリーマンです。小学1年生の時に母を亡くしたものですから、私は、父と祖母、特に祖母に育てられました。明治生まれの、きびしい祖母でした」。
箒でぶたれたこともあったし、箒を手に追いかけられたこともあった。友だちにも、容赦がなかったそうである。
「父親は、仕事ばかりです。私には姉が2人いて、私を含め3人なんですが、親父は私たちに『片親』という思いをさせたくなかったそうです。だから、しっかり働いて、そのぶん、美味しいものもたくさん食べに連れて行ってくれたりもしました。祖母も食べるのが好きで、その時は、さすがに祖母も怒ることなく、家族みんながテーブルを囲んで笑顔いたのをおぼえています」。
週に1回はレストランに。それぐらいの頻度だったらしい。父親の息抜きという意味もあったかもしれない。
「交替勤務だけど、連続して勤務することを連勤というんですが、父は毎日、連勤をしていました。睡眠は1日3〜4時間だったんじゃないでしょうか。そういう父親を観ていたもんですから、私も働くということにまったく抵抗がありませんでした。父の口癖は、『中卒だから汗をかくことしかできない』です。父が汗を流した分、私たちは大きくなりました」。
実は、藤本氏の父親も昔、漫画家になりたかったそうだ。漫画を熱心に描く子どもをどういう目で見詰められておられたのだろうか。

漫画家→デザイナー→そして、営業マンに。

愛情に育まれてはいたが、子どもの頃は、それをうとましく思ってしまうことも少なくない。藤本氏も、早く独り立ちをしたいと思っていたそうだ。
「高校でバイトを始めたのも、早く独り立ちしたいと思ったから。もちろん高校生になっても、デザインや、漫画に関連する仕事をまだちゃんと志望していました(笑)」。
一足飛びに漫画家は無理でも、まずはデザイナーから、そういう思いもあったのだろう。
「大学や専門学校に行く手もなくはなかったんですが、祖母がどうしても遠くへは行かせたくないというので、高校を卒業し、岡山に工場がある段ボールメーカーに就職しました。最初は、デザイナーです。ただし、デザインらしい仕事をしたのは、3ヵ月ほどで、あとは営業です(笑)」。

40歳、脱サラ。

営業のセンスがあったのだろう。工場の立ち上げのプロジェクトには、いつも藤本氏の名があった。大阪にも、東京にも、宇都宮にも、工場ができる度に行った。
「うちの祖母は、私が初めて、大阪に転勤した時には、お百度参りをしてくれていたらしいです。こわいおばあちゃんですが、やはり最高の祖母だと思います」。
ともかく、岡山を離れても仕事に没頭する日々がつづく。40歳、いつしか、そんな年になっていた。
「私が、飲食というか、『ワインバーテラ』を始めるのは、40歳の時で、それまで飲食の経験は一度もなかったんです。もともと50歳で定年だと決めていたもんですから、それが少し早くなった感じでしょうか(笑)」。
兵庫県西宮北口にオープンした「ワインバーテラ」。これが藤本氏の最初の店舗である。「この店はFC店です。私もFCオーナーだったんです。起業の時から関わっていたんですが、飲食のことは何も知らないからまずはFCからだと思って」。
段ボール会社の敏腕、営業マンが、突如、飲食のFCを始めるという。勤めていた会社の上司たちもさぞ驚いたことだろう。

ワインバーテラの生い立ち。

「もともとワインバーテラは、芸能人の北野誠と、彼の同級生2人の3人でスタートしたんです。うち1人はビアードパパの創業者です。私は、北野さんと以前から知り合いだったこともあって、創業時にもいろいろと話を聞かされてはいたんです」。
「その時、北野さんが語るワインビジネスというか、私は、ビジネスという言葉はあまり好きではないで、文化と置き換えたほうがしっくりきますが、日本にはまだワインの文化が根付いていないという言葉に惹かれて、私もたいへん興味を持ったんです」。
藤本氏自身、ワインが大好きだったことも、背景にはある。それで40歳で、脱サラ。ワイン文化を広げるという大きな目標を掲げ、2008年、西宮北口に15坪のワインバーをオープンさせた。
「とんでもなかったですね」。
というのは、売上のことである。
「15坪で2フロア。席数は50席。それが1日に2回転するんです。月商は400〜500万円を下ったことがなかったですね」。
ワインの仕入れは一元化されているが、ロイヤリティは低額固定で5万円。ワイン以外は、料理もすべて自身でチョイスできる。そういう自由なパッケージである。
「西宮北口は、私にとっても、本部にとってもキーとなるモデル店でした。あの店の成功をみて、FC数もグッと拡大していきます。それからも、私はFCのオーナーをつづけ、5店舗のFC店を経営していたんです。一方で、本部からも誘われ、一時はFCオーナーと本部スタッフという二足の草鞋を履いていました」。

FCオーナーから、本部の社長に就任。

株式会社ワインバーテラ本部の設立は、2010年5月10日。一時は、北野誠氏も、社長を務めていたが、3代目として、藤本氏に経営は一任された。
「私が社長に就任してからは、すこしブレーキを踏んでいます。それまで、かなりのスピードでFC数も拡大してきましたので、すこしペースダウンしようということです」。
従来は、投資目的の色合いが強いケースでもFC契約を結んできたが、今後は、そういうケースの場合は、契約を結ばない方針である。
「もともとの我々の役割である、ワイン文化の普及ですね。これに、立ち帰ることが大事だと思ったんです」。
現在、店舗数は30店舗。うち本部直営が、ゼロと聞いて驚いた。「ワインバーテラ本部とは異なりますが、私の会社が、3店舗経営しています。それが直営といえばそうなるかもしれません」。
直営店を「0」にしたのは、「FC業務に専念するため」だという。
もともと契約のしばりが少なく、自由度の高いパッケージである。直営というモデル店を存続させておく意味も薄かったのかもしれない。
「ワイン文化を広めていくのが、うちのミッションなんです。特別な日だけじゃなく、日常に、ワインがある。そんなイメージです。日常というのは、人によって様々だから、うちの店も、決まったパターンがなくていいと思っています。そういう思いもあって、FC店にはワインだけはうちから仕入れてもらって、『あとは自由にしてください』って言っています。各オーナーが自信のある方法で、たとえば、ヤキトリに自信があれば、ヤキトリ×ワインのワインバーテラっていうのもありだと私自身は思っているんです」。

飲食人は、自由人だ。

社長に就任して、2年。藤本氏は、独自色も強く打ち出そうとしている。物販もその一つであるが、料理店という色彩が強い店をオープンさせるのもその一つである。
「ワインバーテラは基本バーで食べられるメニューが中心です。その範囲を少し広げて、食事も楽しめる店をしてみようと、東京に新たな店をオープンします。私自身は、ワインに合うのは、パンとバターだって確信しているんですが、いろいろな楽しみがあっていい、と思って」。
FCオーナーとともにスタートすることになるが、本部にとっても新たな試みである。食材を探すために、藤本氏自らハンドルをにぎり、軽トラを運転しているそうだ。
そういう日々がたのしくてならないのではないか。
繰り返しになるが、藤本氏が飲食業界に入ったのは、40歳になってからだ。それまではサラリーマン一筋である。けっしてサラリーマンという生き方がきらいだったわけではない。縁あって、歩み始めたと言っていいだろう。
「飲食人というのは、自由を手に入れた人だと私は思うんです」。
「サラリーマンと違うのは、そこ」と言いたそうな一言だった。
2008年、西宮北口にできた小さなワインバーから始まった藤本氏の自由な冒険。それは、日本に新たな文化を根付かせる、冒険でもある。
それは昔、昔、描き切れなかった冒険のつづきかもしれない。だからこそ、藤本氏の一言は、「飲食人は、自由人。もっとたのしく生きよう」という、飲食の戦士たちへのメッセージにも聞こえる。

思い出のアルバム
 
ご登録はこちら

この企業にご興味のある方は、下記フォームよりご登録下さい。
求人情報が出次第、お知らせします。

ご登録はこちら