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第513回 株式会社T・Sコーポレーション 代表取締役 徳山哲大氏
update 15/12/22
株式会社T・Sコーポレーション
徳山哲大氏
株式会社T・Sコーポレーション 代表取締役 徳山哲大氏
生年月日 1977年6月11日
プロフィール 京都市南区生まれ。高校卒業後、家業を手伝い、兄弟3人で事業を拡大する。2009年、飲食店を立ち上げ新たな道を進み始める。アメリカで成熟肉と出会い衝撃を受け、黒毛和牛の成熟肉をメインとした<京都エイジングビーフ専門店「听(ポンド)」>をオープン。たちまち、人気店に。2015年9月現在、すでに全国に18店舗を展開している。目標は50店舗。ちなみに年内にあと2店舗オープンが決定済みである。
主な業態 「ステーキハウス 听」「串バル LIBRA」他
企業HP http://www.ts-corp.co.jp/

やんちゃな奴は、ラグビー部に入れ。中学時代に流した汗と悔し涙。

今回、ご登場いただく株式会社T・Sコーポレーションの代表取締役、徳山哲大氏は1977年、京都市南区に生まれる。
「父は、建築関連の会社を細々とやっていました。社長1人、従業員1人というような会社です。兄弟は3人。私が末っ子で、長男と長女、そして、私です」。
末っ子ということもあったのだろう。小さな頃から好き勝手に何でもやる性格だったそうだ。
「これは、兄もいっしょなんでしょうが、とにかく負けずキライでした。目立つのも大好き。運動神経も悪くなく、陶化中学校に進学してからは、ラグビーを始めます。陶化中学校は京都府内でも有名なラグビーの強豪校だったんです」。
ポジションは、スタンドオフ。あの有名なラグビーの、平尾誠二氏とおなじポジションである。ちなみに、平尾氏も京都市南区出身である。
「当時、『やんちゃな奴は、ラグビー』っていう風潮があって、私もラグビー部に入れられてしまったわけです(笑)。練習ですか? そりゃきつかったですね。『お前らは、勉強しなくていい。ラグビーをしろ』って。そういう学校でしたから、練習も朝・昼・晩。今と違って水も飲めない。練習地獄です。でも、それだけ練習しても、私たちの代はパッとしなかったですね。いち学年うえにはタレントが多く、ベスト2までいったんですが、私たちはベスト8が最高でした」。
徳山氏の代になって、監督が一時不在になったことも、いい成績を残せなかった理由だろう。
しかし、それとは別に、徳山氏にはいまも悔いが残っている。
「練習で、膝が折れてしまったんです。病院に行ったら、即入院と言われ、最後の試合に出られなかったんです」。
負けずキライの徳山氏にとって、あまりに悔しい思い出でもある。

泣きながら、乗ったトラック。兄弟3人の戦い。

「高校になって足も治ったんですが、もうラグビーはいいかな、という気分になって、サッカーに転向します。進学したのは、今夏(2015年の夏)、甲子園に出場した鳥羽高校です」。
当時の徳山氏の学力から言えば、「鳥羽高校」は高いハードルだったそうで、たまたま、受かってしまったそうだ。
とにかく、学業のレベルもあげつつ、高校を卒業した徳山氏は、父の下で建築関連の仕事を開始する。
「私たちは、兄弟3人で助け合って、励まし合って父がはじめた事業を拡大し、京都でも名の知れた会社にしていくですが、最初に入ったのは末っ子の私だったんです」。
当時の話も聞いてみた。
「最初は、給料もでませんでした。でも、歯をくいしばって。給料がないから、夜はショットバーでバイトをしました」。
ちょうど、この頃、父にとっても、兄弟3人にとっても最愛の、母親が亡くなった。
「これが、ひとつのきっかけですね。兄弟みんなが一つになったのは。兄も、姉も、いっしょにやろうと」。
徳山家の挑戦がはじまった。
もちろん、いばらの道であることは、だれの目にもあきらかだった。2人だけでも、食べていくのに精いっぱいの会社である。
「兄も姉も、社会人だったんですがもどってきてくれました。とにかく、『いっしょにやろう』って。『兄弟3人、ちからを合わせればなんとかなる』って」。
徳山氏にとっては、何より心強い援軍だったはずだ。「私は、ラグビーで鍛えた体があったから、きつくても大丈夫。だから、作業担当です。兄は、頭もいいから、営業です」。
負けずキライな兄が、頭を下げているのを何度もみた。その度、徳山氏のエンジンが点火する。
「兄が獲ってきた仕事は、『何でも引き受けてやる』って思いました」と徳山氏は当時の心境を語っている。
兄は、京都府内にある、ゼネコン、工務店を片っ端から回った。契約をもらうまで何度でも、頭を下げつづけた。
経営のことがわかっているわけではない。許可についても詳しくは知らなかった。只々、頭を下げ、只々、利益を確保できるように仕事に没頭した。「泣きもって、トラックに乗った」のも、この時である。
ひと息ついた時には、10年が経っていた。会社は、京都でも、少しは知られる会社となっていた。
「事業が安定したもんですから、そろそろ、ええんちゃうかと思って、私自身、昔からやりたかった飲食店をやろう、と思ったんです」。
姉のご主人であり、現在、副社長でもある竹村氏と2人、新たな旅が始まる。

ホルモン鍋、思いもかけず、大ブレイク。

「とにかく、仲がいい」と徳山氏は言う。兄弟3人のことである。事業も3人でなんとか切り盛りしてきた。徳山氏は、飲食の道に進んだが、もちろん兄も、姉もバックアップを惜しまない。
兄弟の「絆」という言葉を思いつき、株式会社リンガーハットを育てた米M和英氏の兄弟の話を思い出した。「絆」は、たぶん、人のちからを引き出す魔法でもあるのだろう。
ところで、徳山氏が飲食を始めたのは2009年のことである。リーマンショックで景気が落ち込んでいた頃の話である。
「京都の一乗寺に店を開きます。当時、ホルモンがブームだったもんですから、ホルモンの店をやろうと思ったんですが、その店では『焼肉はダメ』と言われ、じゃぁ、ホルモン鍋にしようと」。
ホルモン鍋? もつ鍋みたいなものだろうか。ネットで調べてみると、どうやら違うようだ。
「出汁もオリジナル。もちろん、当時、ホルモン鍋というのは、このあたりには一軒もなかった、たぶんそれが良かったんでしょう」。
いま振り返れば、「良かった」という表現になるが、当時は、思いも寄らない状況に悪態をついていた。
「オープン当初から話題となり、毎日、行列、行列なんです。急に行列の店ができて、周りの人も驚いたでしょうが、とにかく、こちらが、びっくりです。『飲食ってこんなもんか』って正直、なめてかかりました」。
行列ができ、業績は天文学的な数字を叩きだした。だが、からだはいつまでもいうことを聞いてくれない。
「もう、こんといて」。何度、その言葉が口から出かかったか。
「人通りがそうあるところでもなかったんです。いまなら、絶対、出店しないようなね。だから、家賃も25万円。25坪あったから、坪1万円の計算です。モルモン鍋は1杯、980円。それで、月600万円です」。
竹村氏と2人、「やるな、俺たち」と、そう語り合っていたはずだ。しかし、徳山氏の言う通り、「何も知らん、素人」。その素人が、飲食をなめてかかり、2号店を出店する。

素人経営者、道に迷う。

「1号店をオープンしてから3年で、5店舗だしました。焼肉店、2店でしょ。ステーキハウス、それに精肉店です。1号店が爆発したでしょ。だから、俺たちがつくる店は、そうなるんだと思っていたんです。でも、ぜんぜん、あきませんでした(笑)」。
「何しろ、周りの店より安かったら、それでええとしか思ってなかったですからね。そりゃ、あきませんわ」。
 周りの店の、たとえばカルビの値段が600円だと判れば、550円に値下げした。ビール1本500円だと聞けば、450円にした。採算度外視の、捨て鉢戦略である。しかし、それでは、客は来なかった。
「歴史にはかなわん、と思いました」と徳山氏。しかし、白旗は上げられない。もう、6店舗、家族はもちろん、スタッフもいる。負けるわけにはいかなかった。

成熟肉と出合って、衝撃が走る。これを黒毛和牛でやったら、とんでもなくなるで。

徳山氏には、とても素直な部分がある。「とにかく、人の話を聞きます。アドバイスには、耳を傾けます。そうしないと、最初の時みたいに天狗になってしまうからです」。
徳山氏が成熟肉と出会ったのも、そういう姿勢が呼び込んだ出会いと言っていいだろう。
「ある人の紹介ですね。私は店が上手くいっていないことを素直に言いました。その時に、これからは成熟肉だと教えてもらったんです」。
ひっつくようにして、アメリカに同行させてもらった。
成熟肉で有名な店を6軒、回った。
「衝撃でした。これを和牛でやれば、どうなるんやろ。とんでもなく旨くなるんやないかって、電気が走ったっていうのは、あのことですね」。
日本にもどり、さっそく、京都エイジングビーフ専門店「听(ポンド)」をオープン。
これから先、成熟肉の威力が爆発する。
ちなみに、1号店は、ステーキハウスからの業態転換である。
ステーキハウスの頃の月商は180万円。それが、500万円となり、現在では800万円の月商をコンスタントにあげる店となっている。
成熟肉は、メディアも呼び込んだ。行列もできたが、「もう、こんといて」とはならなかった。「おいしかった。また、くるわ」、いつしか、その言葉がしびれるように嬉しくなっていたからである。

「おいしかった。また、くるわ」。徳山氏がいま追いかける一言。

現在、「听(ポンド)」は、FCを合わせ18店舗。2015年内にあと2店舗出店する。1号店を出店してから、まだ★年というから、驚きだ。まさに「成熟肉の威力、ここにあり」、である。
「50店舗が、一つの目標だ」と徳山氏はいう。期限は、あと3年。しかし、「まずは、組織づくり」だとも徳山氏は言っている。
たしかに、そろそろ、パッチワークではなく、ビジョンを見据え、組織をつくっていかなければならない規模となっている。
そのビジョンの一つが50店舗という数字である。
「店長はもちろんですし、スーパーバイザーや、本部のさまざまなスタッフ、経営層にちかい人にも参加いただきたいと思っています。つよい、組織にする。それが次の展開につながると思っているんです」。
これは、求職者にとっても一つのチャンスではないだろうか。ただし、徳山氏の兄弟の絆を理解できる人でなければ、いけないような気もする。はじまりを知ることは、未来を知ることにもつながるからだ。
それともう一つ。徳山氏が、「黒毛和牛の熟成肉では値段はいちばん安い自信がある」というのはなぜか、を理解することである。それはいうまでもなく、「おいしかった。また、くるわ」の一言を頂戴したいがためである。
これは「効率」や「合理性」とは無縁の言葉である。しかし、この言葉がなくなれば、徳山氏がいまめざす飲食店ではなくなるといった、大事な一言でもあるのも確かなのだ。

思い出のアルバム
 
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