株式会社CREAFE(クリエイフ) 代表取締役 宇佐美祐介氏 | |
生年月日 | 1973年5月22日 |
プロフィール | 愛知県名古屋市守山区生まれ。20歳になった時に決意を固め、飲食の道を進み始める。34歳で創業者である父の跡を継ぎ、社長に就任。2015年9月現在、「味樹園」ほか7店舗を出店している。 |
主な業態 | 「味樹園」 |
企業HP | http://www.creafe.co.jp/ |
「それまで勤めていたデパートから脱サラし、焼肉店『味樹園』を創業したのは、父が30歳の時だそうです」。
その店が今も好調な「志賀本通り店」である。名古屋で何十年にも亘り愛されてきた名店の一つだ。
その名店の2代目当主が、今回、ご登場いただいた、宇佐美氏である。
「もの心ついた時には、『我が家は焼肉店』という環境だった」と言う。
「味樹園」のメインは、当時からカルビ。このカルビの独特な味付けと、父親が名古屋で初と言う「海鮮焼き」が、好評だったそうだ。
「もともとこの場所には、3店舗が入っていたらしいんですが、最終的には、うちが3店舗を一つにします。それくらい繁盛していたということでしょう」。
宇佐美氏自身の店舗デビューは高校時代。仲間も誘って、アルバイトを開始。週に4回は入っていたそうで、「いつのまにか主任となって店舗の運営を仕切っていた」と言う。
小さい頃から目立ちたがりで、まとめ役でもあったそうだ。その性格が、初のアルバイトでも惜しみなく発揮された格好だ。
「今では、あまり言わなくなった」と言いながら、宇佐美氏はバンド活動に打ち込んでいた頃の話を聞かせてくれた。そのうえで「バンド活動は、20歳で終了」と一言。「音楽で一生食べていくことは不可能だと悟って。それで、方向転換」と言って笑う。
方向転換で向かった先は、2代目店主への道。
まずは修業と、当時、大人気だった洋食店に就職する。「正社員でお願いしたかったんですが、目的を正直にしゃべったら、正社員じゃなく、アルバイトで採用されてしまいました(笑)」。
宇佐美氏の目的は、圧倒的なサービスを生み出す「しくみ」を知ること。正確に言えば盗むことだった。
「手っ取り早く、サービスを学べるだろうと思っていたんですが、最初に配属された店で痛烈な洗礼を受けます。いかに私が甘ちゃんで、ボンボンだったかを知ることにもなりました」と宇佐美氏。
宇佐美氏が洗礼というのは、女性店長からの、こと細かい指導と指摘だった。「歩きかた一つからなっていないと指摘されるんです。料理の持ちかたなど、話にならないレベルでした」。
すべてイチから。
いかにハイレベルなサービスが評価されていた店とは言え、宇佐美氏も素人ではない。飲食の申し子とは言わないが、子どもの頃から「飲食」という世界観のなかで暮らし、育ってきた。それが、まったく通用しない。
宇佐美氏が「洗礼」と表現した気持ちもわからないではない。
「優れたサービスのうらには徹底した教育がある」。宇佐美氏がこの時知ったことはこれだ。「今でも、私のなかでは、あの時のサービスレベルがスタンダードなんです」というくらいサービスの高さも印象的だった。むろん、今も当時の店長に、感謝している。
この店にいた2年間は、アルバイトといえども修業期間だった。
レベルの高いサービスを叩き込まれ、自信をつけた宇佐美氏は「味樹園」に就職し、新店をナンバー2という立ち位置で仕切ることになる。
高校時代の経験もある。2年間の修業も、終えてきた。やる気満々でオープンしたが、これが、まったくの期待外れ。今の「茶屋が坂店」のことである。
「今からは考えにくいですが、実は、軌道に乗るまで6〜7年かかりました。今ならわかるんですが、うちの業態は、いきなりドーンとはいかないんです。6〜7年はさすがに長いですが、2店舗目でしたし、私にとっても会社にとってもある意味、貴重な経験が積めたと思います」。
当時は歯ぎしりしたに違いないが、いまでは冷静に振り返ることもできる。
「元、叙々苑の店長を総料理長として入社いただいたのも、いい刺激となりました」。
「軌道に乗るきっかけになったのは、思い切ってすべて個室にしたこと」と宇佐美氏。「個室にして、スグにバーンときた」と語っている。
宇佐美氏が、社長に就任したのは、まだ若く34歳の時だ。1973年生まれだから2007年となる。
宇佐美氏は早くから、人材を重視してきた。「人材確保のため」といち早く完全週休2日制を導入したのはその表れである。
今も宇佐美氏は、こう言う。
「私もそうですが、スタッフもちゃんと休みを取ることが大事です。うちは早くから完全週休2日制を導入しましたが、それでも辞めていく人がいます。そうならないように、今もしくみを考えているんです」、と。
取り組みの一つを教えていただいた。
「本店のキッチンをセントラルキッチンとして活用したことで、各店舗で仕込みにかかる時間を短縮することができました。焼肉と言えば、肉を切ることからすべてが始まります。凍った肉ならマシンでスライスできますが、うちの肉はそうはいかない。手仕事ですから、そう簡単には効率化できないんです」。
ずいぶん負担が軽くなった。スタッフ目線から、店の運営を見直す。そう簡単なことではないだろう。ここにも「人」にこだわる宇佐美氏の経営手法が、垣間見える。
現在、2年で1店舗のペースで出店しているが、どの店も「茶屋が坂店」同様、立ち上げに苦しむ傾向にある。
「1年くらいは、なかなか難しいです」と宇佐美氏も言う。
「問題は、知名度とブランディング。うちの店は、どうしても敷居が高いと思われてしまうのでしょう。常連さんがつくまで、時間がかかるんです。そういうのを払しょくするためにもブランディングが大事だと思っています」。
ホームページで確認いただければ話が早いが、たしかに、ふらりと立ち寄りにくい、たたずまいである。しかし、それもまた「味樹園」の味であり、ブランディングされることで、その味が引き立てば、新店出店時のカベもなくなるに違いない。
ところで、宇佐美氏は45歳まで20店舗を出店という目標を立てている。2015年現在、42歳だから、あと残すは3年。しかし、いまだ店舗数は7店舗である。
「かなりやばい、です(笑)。でも、今はどの店も好調で、知名度もアップしてきました。更に今後は、名古屋の中心街にドミナント形式で出店していきますので、ネームバリューもますます高まり、出店にも拍車をかけることができると思っているんです」。
布石も打っている。
「今年8月にオープンした栄店は、うちの会社のなかで最大で110席あるんです。この店に、本格的なセントラルキッチンの設備を用意しました。人材の採用、定着にも、今一度注力しています」。
人材面では、スタッフ、店長、幹部クラスにわけ、それぞれと食事会を開いているそうだ。「スタッフたちも、幹部や店長がいない、そういうざっくばらんな食事会だと気軽に話をしてくれるんです」と、すでに収穫ありという顔で、宇佐美氏は笑う。
たしかに、宇佐美氏となら、すぐに打ち解けられる気がする。そういうオーラをまとった人なのだ。
店舗数以外のもう一つの目標は、「味樹園を名古屋の焼肉店の代名詞することだ」と言う。大きな目標だが、宇佐美氏らしい目標だと思った。
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