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第531回 株式会社小肥羊ジャパン 代表取締役 青山 浩氏
update 16/03/29
株式会社小肥羊ジャパン
青山 浩氏
株式会社小肥羊ジャパン 代表取締役 青山 浩氏
生年月日 1973年7月5日
プロフィール 大阪市住吉区に生まれる。東京大学法学部卒。卒業後、富士銀行に就職したが、3年でスピンアウトし、インターネットのベンチャー企業を設立。そののちM&Aコンサルティング(通称、村上ファンド)に転職。習得したファンドのノウハウを武器に、ふたたび独立の道を歩む。2005年に、第三者割当増資を引き受け、株式会社ウェブクルー代表取締役に就任。翌2006年に「小肥羊ジャパン」を設立。代表取締役に就任する。
主な業態 「小肥羊(しゃおふぇいやん)」
企業HP http://www.xfy.co.jp/

火鍋、そのルーツ。

小肥羊。「しゃおふぇいやん」と発音するそうだ。「小肥羊は1999年、中国・内モンゴル自治区の包頭(パオトウ)市で誕生した火鍋専門店です。1号店がオープンするやいなや行列ができる人気店となり、2003年までの4年間でフランチャイズを含め、中国全土に約700店舗を開店するに至ります。私が小肥羊に出合ったのは2005年で、日本に第1号店をオープンしたのは、2006年9月です」。
日本でもすっかり馴染になった火鍋。そのルーツは、この「小肥羊」と言えるかもしれない。今回は、株式会社小肥羊ジャパンの代表、青山 浩氏にお話を伺った。

名門、灘中学にて。

青山氏は1973年、大阪市住吉区帝塚山に生まれる。兄弟は、兄と弟。父親は大手百貨店のグループ会社で勤務されていたそうだ。
「好奇心旺盛な子ども」。少年時代を一言でいうとそうなるらしい。勉強が良くでき、名門、灘中学に進学している。
小学校では塾でも、学校でも群を抜いていたはずだが、「灘中に入ると、勉強ができる奴ばかりで」と青山氏。
成績は上から数え3分の2くらいを行ったり来たりしていた。天才がふつうの生徒になる。しかし、その順位に甘んじる青山氏ではない。中学3年になって、一念発起すると、成績はみるみる上昇し、最終的には上位10位に食い込んだそうだ。
「中学3年の時には、めざすものがあったんです。野口英世さんです。彼に憧れ、京大に入り、医師になるつもりでした。しかし、彼もけっして英雄だったわけではないことを知って幻滅してしまうんです」。
「幻滅」。多感な少年にとって、重い二文字である。少年の心は、いたく傷ついたに違いない。しかし、青山氏は、すぐに方向転換した。

野口英世、改め官僚。

「医師を辞め、次にめざしたのは官僚です」。
「東大」「官僚」。野口英世の話にしてもそうだが、一般の私たちからすればホラにも吹けない話がバンバンとびだし、腰が引ける。
とにかく、話を進めよう。
青山は、エスカレーター式で灘高校に進学する。むろん、めざすは東大。しかし、勉強ばかりの青二才ではない。
甲子園球場でビールを売り歩くバイトもした。
挫折も経験している。
「バイトも含め、さまざまなことに手を出していたもんですから、結局1浪してしまいます」。
青山氏が赤門をくぐったのは、高校卒業の翌年。法学部に入学している。住まいは池ノ上に借りた。月5万円のアパート。初めての独り暮らしでもあった。

官僚、断念? 富士銀行(現みずほ銀行)就職。

「思ったより、国家一種の試験のカベは高かったですね」と青山氏。当時は猛烈な買い手市場。そのなかでも、大手都市銀行に就職しているからすごい。
「結局、富士銀行に入行しました。勤務したのは約3年です。その後、友人に誘われてインターネットのベンチャー企業を設立しました」。
2000年、ITバブルに向け、ネット関連の企業が次々、設立された時だ。うまくいった会社はそう多くない。青山氏がつくった会社も、その一つだったようだ。
「なかなかうまくいきませんでした。結局、1年くらいで撤退。転職活動、開始です(笑)」。

M&Aコンサルティング入社と独立。

M&Aコンサルティングは通称、村上ファンドと言われている。村上世彰氏が代表であり、村上氏も、青山氏同様、灘中、灘高で、東大法学部出身である。
そういう縁も、2人をむすびつけた。
転職活動を開始した青山氏は、すぐにM&Aコンサルティングに就職する。
「村上ファンド」では7人目の社員だったそうだ。村上氏の薫陶を受け、青山氏は様々なノウハウを習得する。むろん、秀才、青山氏である。村上ファンドのなかでも、すぐに頭角を現した。
そして、ふたたび独立の道を進み始めた。

「中国に歯医者をつくろう」。それからの道。

2003年、青山氏は中国へ渡り、歯科診療所を設立している。はじめて「火鍋」に出合ったのはこの頃だろうか。
一方、2005年には、第三者割当増資を引き受け、株式会社ウェブクルー代表取締役に就任している。株式会社ウェブクルーは、自動車保険の一括見積もりのサイトなどを運営するITベンチャーである。
就任した翌年には、赤字だった会社を黒字に転換。社長就任後8年間で年商30億円から200億円へと6倍以上に拡大させている。
そして、2006年である。
青山氏は、2006年7月に小肥羊ジャパンを設立。中国の小肥羊から、ブランドの日本市場における独占展開契約権を付与され、「中国小肥羊」と「ウェブクルー」の合弁会社として設立し、代表取締役に就任する。

火鍋、日本でも大ヒットする。

火鍋は、紅白二種類のスープにラム肉をくぐらせていただく料理である。「小肥羊」の火鍋スープは、白湯(パイタン)スープと麻辣(マーラー)スープの2種類となっている。HPによれば、「この特製スープは、ラム肉特有の臭みを取り、ジューシーな食感が引き立つよう工夫されています」とのこと。
普段、ラム肉を食べない日本人にも、抵抗なく受け入れられそうだ。もっとも、最近ではスーパーにもラム肉が並んでいる。良質なたんぱく質はもちろん必須アミノ酸、ミネラル、ビタミンなどが豊富に含まれているラム肉が見直されているのかもしれない。
さて、中国で「小肥羊」の火鍋に出合った青山氏は、「日本人に、火鍋を!」と思ったそうだ。ラム肉を好んで食べる日本人は少なかったが、「世界中どこにいっても、おいしいものは、おいしい。日本人にも間違いなく受け入れられる、と確信していた」という。
「日本の寿司や刺身もそうですよね。なかなか生食をしなかった欧米人も、いまでは抵抗なく寿司や刺身を食べている。あれとおなじです」。
その狙いは、見事に的中。2006年9月に第一号店をオープンするなり、ブームとなり、社会的な現象となって、食卓にまで広がっていった。
ちなみに現在、「小肥羊ジャパン」は、直営14店舗、FC1店舗である。グルメサイトの口コミを覗いてみたが、各店高評価だった。「からだが、ポカポカ温まる」と火鍋らしいコメントもあった。

思い出のアルバム
 
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