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第533回 株式会社とりとり亭 代表取締役 北川民生氏
update 16/04/12
株式会社とりとり亭
北川民生氏
株式会社とりとり亭 代表取締役 北川民生氏
生年月日 1960年12月31日
プロフィール 愛知県知多郡南知多町日間賀島生まれ。3人兄弟の長男。高校まで日間賀島で過ごし、卒業後、名古屋の蕎麦店に就職。2年後再び島に戻り就職、オーベルジュ支配人に抜擢。1997年独立し、半田市にとりとり亭1号店を開店。2016年現在、総店舗数51店舗(直営6店舗・FC店45店舗)
主な業態 「地鶏炭火焼とりとり亭」「大衆焼肉ホルモン酒場とりとん」
企業HP http://www.toritoritei.co.jp/

三河湾に浮かんだ小さな島。

今回、ご登場いただいた北川氏の生まれは、三河湾に浮かぶ小さな島である「日間賀島(「ひまかじま」と読む)」。いまでは観光客も大勢訪れる人気スポットだが、北川氏が生まれたのは、1960年12月31日。昭和35年のこと。まだまだ「離島」という表現がぴったりだったのではないだろうか。
「祖父も、父も、海運業を行っていました。海運と言っても運送業のようなもので島に必要な生活用品を輸送する仕事です。母方は、島で金物屋を営んでいました。人口もそう多くない、小さな島です。仲間意識の強い風土で、育ちました」。
北川氏は、高校まで、この「日間賀島」で過ごしている。

名古屋へ。風呂もないアパート暮らしが始まる。

名古屋に出てきたのは、蕎麦屋に就職したからである。「風呂もないアパートです。そのアパートに先輩と寝食をともにしながら住み込みではたらきました」。
オーナーがいい人だったと北川氏。
このオーナーから社会人の基礎を学んだそうだ。
「こちらで勤務した2年半は、貴重な経験でした。しかし、もともと人の下ではたらくことに向かない性格だったんだと思います」。
2年半勤務して、退職。北川氏は、ふたたび「日間賀島」に向かう船に乗った。

「日間賀島」でみつけた新しい道。

「島に帰って、しばらく『やるべきこと』をみつけようと思っていた」と北川氏。充電期間というところだろうか。ところが、腰かけ程度のつもりでお世話になった「旅館」が、新たな道につながっていた。思いもしなかったところに広がっていた道だ。
「旅館を経営されている社長が、とても魅力的な方だったんです。アイデアマンで、『日間賀島』は今、観光の島になっていますが、そういう島のベースを考えたのも、その社長さんです」。
社長に惹かれ、社員として勤務するようになった。
「人軸」でものを考える北川氏らしい話である。
もっとも仕事はハード。「人がいないから、サービスからフロント、調理場まで、なんでもこなしました(笑)」。オールラウンドプレイヤーである。社長にとっても頼りになる存在だったに違いない。北川氏はさらにフィールドを拡大する。

オーベルジュ、オープン。軌道に乗る。

「私が24歳の時です。オーベルジュを出店することになったんです」。
北川氏が支配人に抜擢された。もっとも、会社にも、北川氏にもオーベルジュの経験はない。
「それどころか、フレンチなんて食べたこともなかったですからね(笑)。まったくゼロからのスタートです。いまならインターネットで検索すれば、情報も簡単に入手できますが、当時はそういうわけにもいかないでしょ。フレンチって言葉も、一般的ではなく、文献を探そうとしてもわずかしかありません。とにかく、フレンチのお店があれば、お店に行って話を聞かせてもらいました」。
行動力も、北川氏の魅力の一つだ。しかし、この時は、切羽詰まった思いが北川氏の行動に表れていた気がする。
努力が実ったのか、狙いが良かったのか、初挑戦のオーベルジュは、上手い具合に軌道に乗った。

13年目にして幕が閉じ、新たな幕が上がる。

このオーベルジュがオープンしたのは、北川氏が24歳というから1984年の頃だ。日本経済が急成長していく時と重なる。大量の資金が日本中にばらまかれ、やがて熱狂するようになる。飲食も新たな時代を迎える。しかし、当時をバブルと表現するように、1990年代に入り、経済はとたんに収縮する。
「バブルが崩壊するまでは、うちの店も好調でした。もっとも当時は、たいていの店が好調でしたから、そう自慢にもなりませんが、バブルのおかげでフレンチという文化も、日本に根付いたと思います。バブルが崩壊した後は、売り上げも低迷し、13年目にして、うちの店はクローズすることになります」。
13年、愛されたオーベルジュは幕を閉じた。さぞ、辛かったことだろう。
「社長には、本業である旅館に戻ってくるようにとおっしゃっていただいたんですが、ふたたび元に戻るだけのような気がしましたし、私自身のちからで何かをやりたい、そういう思いが強くって、誘いをお断りしたんです」。
何かをやりたい。思いは強かったが、構想があったわけではなかった。

東京にて、「島」に出会う。

「偶然です。東京で、知り合いの焼鳥屋さんに行ったときに、肩肘張らない、とってもフレンドリーなコミュニケーションに出会うんです。まるで、島にいるみたいで、無性に心地よかったんです」と、北川氏はその後のことを語り始めた。
肩肘張らない。客も、スタッフも一つになっていたのだろう。
「私は、それまでフレンチをやってきたでしょ。当時のフレンチは今よりずっと敷居も高かった。肩も肘もちゃんと張って、食べていた頃です(笑)。だから、この東京で知った店は衝撃的ですらあったんです。このフラットな感覚、日間賀島にいるような感覚に心奪われました。そして、私にも、こんなお店ができるだろうか、と考え始めたんです」。
フレンチとはまったく異質な業種である。しかし、逆に考えれば、フレンチのエッセンスを加えれば、今までにない「焼鳥屋」ができるのではないか、と思い至ったそうだ。
頭のなかで、ひとつの構想が組み立てられていった。
「自信は少なからずありました。13年、レストランを運営してきたのですから、ないといえばうそになります」。
ただし、そのぶんプレッシャーがあったのは間違いないだろう。失敗すれば、13年、何をやってきたんだ、ということになる。

プライドを賭けた挑戦。

友人から、小さなお店を紹介してもらった。それが、北川氏初のお店なる。坪数、15坪。たしかに小さい。出店場所は、半田市。
地図で見ればわかるが知多半島の根っ子のあたりで、名古屋市内からはずいぶん離れている。商圏は、どれくらいだったんだろう。
「うちのエリアには、九州からはたらきに来られている方が多かったんです」と北川氏。オープン後、フレンドリーな雰囲気が人気になり、北川氏がいう九州出身者も気軽に訪れた。
実をいうと、彼らが、引き金になった。
「九州出身のお客様から焼酎の種類やチキン南蛮のレシピなどを教えてもらったんです。リクエストに沿ってお出ししていると、それがまたたくまに口コミで広がり、連日長蛇の列ができるようになったんです」。
予想外の展開である。フレンチをやってきたというプライドではなく、人に楽しんでもらおうという、飲食人生13年のプライドが功を奏したということだろうか。
開業時の苦労話は?と伺ってみた。
「良くそういう話を聞かれるんですが、実をいうと、まったく苦労しなかったんです」と、こちらの期待を裏切ってしまったといわんばかりの返答。
「当時は、焼酎ブームの前だったんです。だから、旨い焼酎が飲める店はまだ少なく、ましてチキン南蛮を出している店なんて、まずない。そういうのが差別化につながったんだと思います」。
出だし好調。そんな店なら少なくない。しかし、その後も、「苦労」の二文字はなかったそうだ。
北川氏のいう島のような肩肘張らない雰囲気が、人を集めたのではないだろうか。喧噪が聞こえてくるようだ。
もちろん、フレンチに長く接してきた北川氏である。
「仕入れ先から徹底的にこだわりました。塩も、当時から独自のものを用意しました」。旨いし、楽しい。客にとって、無性に心地いい空間だったに違いない。客も集まったが「勉強させて欲しいという」従業員希望者も集まった。将来の独立希望者だ。

肩肘張らない空間が、イチオシの店。

「開業してまだ1年も経ってなかった」と北川氏は笑う。フランチャイズ1号店がオープンした時の話である。「フランチャイズといっても当時はそういうのも知らなかったので、最初は、のれん分けのようなスタイルではじめました」。
「いくぶん、保証金とかはいただきましたが、材料を仕入れてくれればいいやって」。大きな声ではいえないが、フランチャイズ契約に関する詳細な事項を取りまとめたのは、ほんの数年前のことだそうだ。
ちなみにロイヤリティは、店舗規模にもよりますが5万円から。加盟金も最近値上げしてようやく120万円になったところ。研修費も書いてはいるが、「もらったことはない」と笑う。
「少しずつでも、店が増えたらなんとかなるでしょ」と北川氏。何かにつけ、人がいい。たぶん、その根底には「人を信じる」という「日間賀島」で育った者ならではの感覚があるのだろう。北川氏のいう強い仲間意識だ。
旨い焼鳥もそうだが、なにより肩肘張らない「日間賀島」のようなフランクで、そして人々の絆が強く、広い空や、海がみえるような空間が、イチオシの店。
ちなみに、「肩肘張らない」とは「気負わない」と同義語である。「気負わず」付き合える店。思いつけばふらりと立ち寄りたくなるお店ということだろう。だから、今宵も、客が来る。
今後の展望は、関東進出だという。思いを共有できるような人との出会いがあれば、「やってみたい」、北川氏は目をかがやかせる。
この表情から察すると、日間賀島が、東京に現れる日もかなり近い。

思い出のアルバム
 
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