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第535回 株式会社うる虎ダイニング 代表取締役 片瀬真一氏
update 16/04/26
株式会社うる虎ダイニング
片瀬真一氏
株式会社うる虎ダイニング 代表取締役 片瀬真一氏
生年月日 1972年6月18日
プロフィール 東京都葛飾区に生まれる。小学生の頃から空手を習い、何度も全国大会に出場。空手の名門校「目黒学園」に入学。全国に名が轟く。駒沢大学に進み、大学でも空手をつづけるが、1年の半ばでクラブを辞め、中退。その後、焼肉店で勤務したことがきっかけで肉のプロとなり、2006年、34歳で自らも焼肉店をオープン。経営理念は「手塩にかけて育てられた最高級黒毛和牛を、最高の状態で、心躍る提供と心温まるサービスで、より多くのお客さまに召しあがっていただくこと」。「商いとは何か」「サービスとは何か」を常に考えるプロ集団をつくりあげた。
主な業態 「焼肉問屋じゅう兵衛本店」「JYU-BEIはらみ堂」「魅惑の焼肉 金肉屋」「焼肉本家 肉兵衛」他
企業HP http://urutora-d.com/

「うる虎ダイニング」

社名がいい。
「うる虎ダイニング」。凝っているわけではないが、すんなり頭に入ってくる。今回、ご登場いただくのは、この「うる虎ダイニング」の社長、片瀬 真一氏である。
片瀬氏は、1972年6月18日、東京都葛飾区に生まれる。子どもの頃から運動神経が良く、父親の仕事の関係で世田谷区に引っ越すことになった時もスグに転校先に馴染めたそうだ。運動ができれば、仲間もできる、そんな時代だった。
スポーツは野球。ショートなどを守っていたが、どちらかと言えば、父親にやらされていたというのが正直なところだ。一方、本人がやりたかったのは空手で、物心ついた頃から「空手がしたい」と直訴していたという。なぜやりたかったのか?と問えば、「ケンカがつよくなりたかったから」と素直な回答。
引越しを機に許しが出て、それからは空手一筋。道場に通い、中学3年の時には全国まで勝ち上がって、組手で1位、型で2位となっている。高校は空手の名門「目黒高校」からお呼びがかかった。始発から終電まで、練習漬けの日々が始まる。しかし、弱音はいっさい吐かなかった。こちらでも全国大会に出場。団体で優勝。組手や型でも2位という成績を残している。
大学は、駒沢に進学する。「セレクションに通り、進学しましたが、その秋に退部し、大学も退学しました」。
それから、半年くらいは何もしなかったそうだ。空手を辞めたことで空いた心の穴の大きさを証明している。

飲食へ。新たなスタートを切る。

半年間、何もすることがなかった。しかし、いつまでも遊んでいるわけにはいかない。「牛鉄という、牛角のモチーフになったようなお店で、アルバイトを始めたのは、ちょうど半年くらい経った頃です」。
きっかけは「友人に誘われて」とのこと。「別段、飲食に興味があったわけではありません」。興味や関心がないかわりに、誘いを断る理由もなかった。むろん、牛角のモチーフになるような店だったと知ったのは、ずいぶん後の話である。
「最初は、なんとなく仕事をしているって感じだったんです。特に目標があるわけではないし、飲食が好きってわけでもない。ところが、あることがきっかけで、アルバイトから社員に昇格しました」。
なんでも、社員になる予定だった片瀬氏の友人が、両親の反対で社員になることを断念。店側もそれを予定していただけに、「代わりの正社員を募らなければならなくなった」のだという。
それで片瀬氏が手を挙げた。19歳の時である。
「少しずつですが、飲食に惹かれていたのは事実です。でも、それ以上に、やるからには負けたくない、そういう思いが強かったんだと思います」。
やるからには負けたくない。このシンプルな思いが、片瀬氏を飲食という仕事に立ち向かわせる原動力になった。思えば「勝ち、負け」の世界で生きてきた。勝つか負けるか。もっとも空手の時のように、上手くはいかなかった。それがかえって、仕事に没頭させる要因となったのではないだろうか。「負けたくない」、片瀬氏は、誰よりも真剣に仕事に取り組んだ。
「飲食」という新たな道がスタートする。

「店長に」と直訴。20歳の思いは、3年後に結実する。

「周りの人間に負けたくない、という思いだけで必死にやってきたわけですが、はたらいているうちに、飲食という仕事が好きになっていること気づくんです」。
何名もの「飲食の戦士たち」をインタビューしていると、「飲食」はつくづく幅が広く、奥が深い職業であることに気づく。
何気なく始めた人たちが、「『ごちそうさま』の一言に魅了され、奥深さに触れ、熱中した」という話を何度となく伺ったからだ。
片瀬氏も、その1人だろう。飲食が好きだと気づいた片瀬氏は、それまで以上に、からだを動かし、頭を使った。どうすればもっとお客様が喜んでくれるのだろう。店の運営にも関心を持つようになった。
拍車がかかる。1年後には、「店長になりたい」と、会社に直訴するまでになっている。「ところが、この時はまだ若いってことで、受け入れてもらえませんでした(笑)」。
店長になったのは、23歳の時。「牛鉄本店」の店長に就任している。20歳で願ったポストを3年後に勝ち取ったことになる。
責任者となった片瀬氏は、それまでの3年間の思いをぶつけるように仕事に励んだ。売上額は、あっというまに最高額をオーバーした。

難題浮上で、生まれた独立心。

ところが、今度は、社会問題が、片瀬氏の意思をくじく。
「念願の店長になったもののしばらくして、BSE問題が起こるんです。焼肉屋ですから直撃です。あれだけ報道でも取り上げられれば牛肉を食べようと思う人はまずいません。うちも、それまでの繁盛ぶりがウソだったかのように店はガラガラ。苦肉の策で、ジンギスカンを始めたりしたんですが、ハッキリ言って、迷走です。売上もガタ落ち。この時、初めて独立心が芽生えたんです」。
片瀬氏にとって吉か、凶か。むろん、表裏の一体である、2つの事象のいずれであるかを決めるのは本人である。
「実はこの時、結婚もしていましたし、子どももいました。だから、独立という賭けにできるのは躊躇して当然だったと思います。しかし、牛肉がだめだからジンギスカンに走ればいいという方針には納得がいかなかったんです」。
いくら迷走と映っても「社」の方針である。自身の思いをぶつけるには独立しかない。片瀬氏はそう思った。

10年目の回答。

話は前後するが、すでに述べたように片瀬氏は、21歳で、結婚し、子どもも授かっている。結婚はしたものの、奥様のご両親は、反対のまま、結局10年も音信不通だったそうだ。
「21歳の時、子どもができて結婚します。でも、向こうのお父さんは、反対。許しが出たのは、10年後です。それまでしっかり家庭を築いてきたことを認めてくださいました」と片瀬氏。奥様と2人で歩んだ10年の重みが、奥様の父親の心を動かしたのだろう。
10年目にして、晴れ晴れしい回答を得た。
「それからです。ちょくちょくお店のほうにも顔をだしてくださるようになりました」。いま「うる虎ダイニング」があるのも、実は、この奥様の父親のおかげだという。
「何度かお店にも来ていただいたんですが、そんなある日、ちょうどいいお肉がなかったんですね。それで精肉店に行くんですが、そこで、ひらめくんです。わざわざ来ていただいたお父さんに召し上がっていただくんだし、こういういいお肉の盛り合わせでもいいんじゃないか、な」と。
「牛鉄」自体は、安くて、旨い。そういうお店だった。牛角のモデルとなった店だからそれも頷ける。しかし、片瀬氏は、安い、旨いだけではなく、高いが、旨い、もありではないかと考えた。これが、のちのちのビジネスモデルの原点となる。
BSEなどの問題に対してもまっすぐ立ち向かおうとする片瀬氏の一本気な性格が、新たな光明をみつけたと言っていい。

2020年までの明確な目標。

2006年。片瀬氏、34歳。ついに、片瀬氏は独立を果たした。懸命に走ってきた片瀬氏にとってそれは一つのゴールであり、新たな道のスタートだった。この時には、「勝つか、負けるか」という簡単な発想ではなかった気がする。自身を魅了した「飲食」を通し、どれだけ人々を幸せにできるか。思いは、その一点だけだったのではないだろうか。
オープン後の足跡を年表で示す。
2006年7月、五反田に「焼肉問屋じゅう兵衛 本店」をオープン。
2006年7月/五反田に「JYU−BEI」オープン(現・焼肉問屋じゅう兵衛本店)。2008年6月/五反田に「JYU−BEI真館」オープン(現・JYU-BEIはらみ堂)。
2010年2月/三軒茶屋に「魅惑の焼肉 金肉屋」オープン。
2012年8月/浜松町に「焼肉家 肉萬」オープン。
2014年3月/赤坂見附に「焼肉本家 肉兵衛」オープン。
2016年3月、大門に6店舗目をオープン。
今後の目標は日本国産和牛の復旧を目指し、直営・加盟店含め通算100店舗展開を目指す。
オリンピックを機に日本国内の美味しさ・サービスを伝えていきたい考えもあり、海外出店にも意欲的だ。
採用にも本気で、教育も熱心であり、卒業者の独立支援も行っている。
高校時代、監督の理不尽な振る舞いに対し、片瀬氏は仲間とともに試合をボイコットした。その時のことを「まだまだ心が練れていなかった」と表現していたので、心は練れましたか? そんな質問をしたらどんな答えが返ってくるだろうと思った。
空手と焼肉。奥様と子どもたち。片瀬氏の世界は、端的に言えば、それだけである。だが、だからこそ、奥が深い。
「一筋」というものの価値を改めて教えていただいた気もした。

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