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第537回 株式会社エキサイト 代表取締役社長 井口孝志氏
update 16/05/02
株式会社エキサイト
井口孝志氏
株式会社エキサイト 代表取締役社長 井口孝志氏
生年月日 1974年7月2日
プロフィール 札幌市で生まれる、2歳の頃に東京に引っ越し、小学1年から中学1年までは大阪に。ふたたび札幌に戻ったのち、東京の大学に進学するため上京する。現、東京海洋大学から同大の大学院に進み、エンジニアとして、日揮株式会社に就職する。世界を意識した仕事を行い、インドネシアにも駐在。31歳で、帰国。会社という枠に縛られずフリーハンドでビジネスを追求するために、起業を模索。「つぼ八」の創業者であり、当時、「八百八町」を展開されていた石井誠二氏と出会い、「ひもの屋」の業務委託を開始。1億円で買い取るという本格起業に向けての戦いがスタートする。
主な業態 「ひもの屋」「串屋横丁」
企業HP http://www.cambodiahimonoya.com/

ラグビー少年、船に乗る。

中学からラグビーを始めた。中学2年からは、スクールに通うほどのちからの入れようだった。
「札幌で唯一、花園に出ている公立高校に受かるために勉強もしました」。花園とはいうまでもなく、高校ラグビーの聖地である。
「私が進学したのは、札幌では毎年優勝している公立学校です。でも、あくまで札幌での話で、毎年、札幌ではいちばんでしたが、北海道の大会では勝ちきれず、ついに花園の切符は手に入りませんでした」。
今回ご登場いただいた、株式会社エキサイトの代表取締役社長、井口孝志氏は1974年7月2日、札幌市に生まれる。小さな頃はからだが大きかったが、中学では背丈が伸びず、ラグビーではフォワードのなかでも、小柄な選手が多いフランカーというポジションだったそうだ。
大学でも、ラグビーをつづけた。
進学したのは、現東京海洋大学。船舶関係の国立大学である。この大学にもラグビー部はあった。だが、井口氏いわく「伝統はあったが、弱い大学だった」そうである。
大学の4年間は、寮生活を送っている。「バイトは、基本、船関係しか許されません。私も、港湾などでバイトをしました。海洋にも出ます。ある意味、優遇されていました。学費も安いし、大学生活の最後には国からお金をもらって、76日かけ世界一周もさせてもらいました」。もっとも4人で暮らす寮生活も、船のうえの生活も、過酷だった。海洋に出ると、海が荒れ、甲板で波にさらわれそうになったこともある。卒業生の1/3〜1/2は、外航船などの船乗りになった。
しかし、井口氏は、技術系の仕事に就くため大学院に進んだ。船乗りにならなかったのは、船酔いがきつかったからだそうだ。とはいえ、この4年間は、井口氏の視界を広げた4年間ではなかったか。いままで経験したことのない、息が詰まる寮生活もそうだし、世界一周も、その要因の一つである。
ラグビーで鍛えたからだがモノを言った4年間ということもできるだろう。

日揮、入社。インドネシア、滞在。

「就職したのは、日揮」と井口氏はいう。日揮といえば、世界的なエンジニアリング会社である。「私の動機も、日揮なら、『船より大きなモノがつくれる』でした。スケールの大きさに惹かれたんです」。海外に行けることも、動機の一つ。
「海外にはもともと興味があって、20歳の時に1ヵ月だけですが、語学留学もしました」。
「大きなモノづくり」「海外」。この2つが決め手となったそうだ。
狙い通り、本社で3年半勤務したのち、海外に旅立っている。
「インドネシアです。こちらで1年半くらい仕事をさせていただきました。日本人は私を含め8人、従業員は400名です。衣食住も手当され、60万円の給料とは別にお小遣いまで支給されました。でも、残念なことに街まで3時間。週末以外は、遊びにもいけませんでした(笑)」。
海外での暮らし。お金もあって贅沢な暮らしができたが、井口氏は「もういい」と思ったそうだ。その思いを証明するように、帰国後、「日揮」を退職している。会社勤めが、どうも性に合わなかったからだ。

1億円、5年分割で、「ひもの屋」を買った。

「海外が、もういいっていうより、やっぱりサラリーマンだとできることも限られてしまう。日揮にはむろん感謝はしていますが、もっと自由に海外とも接したかった。そうするためには、起業するしかありませんでした」。
「起業する」と、簡単に宣言しても、すぐにできるわけはない。この時、すでに井口氏は31歳。技術一筋のエンジニアである。できることも限られている。
「そうですね。ふつう、起業、独立なんていうと、すぐにできるわけはないと思われがちですが、私の場合は、案外スムーズでした」。
どういうことだろう?
「『つぼ八』を創業された石井誠二さんの本を読んで、すべてがスタートします。当時、石井さんは、八百八町を創業され、『八百八町』『ひもの屋』を展開されていました。ビジネスのスキームも独特で、私は、『ひもの屋』を1億円で買いました」。買った?「そう、5年分割です。もちろん、石井さんに認められた者しか起業でないスキームです。私は、何名もいた候補生のなかでも、いち早く起業させていただいた方です」。
井口氏と同様のスキームで起業した人もいたが、全員が成功したわけではないそうだ。「だめなら、店ごと石井さんに返すことになっていました。確率的には40人いて10人が成功するかどうかです。それでも、多くのチャレンジャーが挑戦しました」。

スケールはでかい。

確率的には、1/4しか成功しない、というきびしい状況のなかでも、井口氏はオープン以来、順調な業績を上げた。井口氏をいち早く起業させた石井氏の目に狂いはなかった、ということだろう。
「ロイヤリティは月に190万円。結構、しばりもきつかった。でも、5年分割で、ぜんぶ返せばすべてオレのモノだと。そういう思いが励みになりました」。
のちに、「ひもの屋」は、石井氏の手から離れる。2013年、石井氏は「八百八町」を「サブライム」に売却する。しかし、それによってまた井口氏は、ネットワークを広げる。サブライムの社長である花光雅丸氏と出会ったからだ。シンガポールの際の海外進出では、サブライムの花光氏ともタッグを組んでいる。
ちなみに、起業から現在までを時系列で追いかけてみよう。
2007年5月/個人事業として綱島のひもの屋業務委託契約開始。1億円で、「ひもの屋」を買うというプランがスタートする。
2009年1月/株式会社エキサイト設立。
2012年12月1日/中延のひもの屋業務委契約開始。
2013年10月31日/綱島の串屋横丁オープン。
2014年6月23日/京急蒲田の串屋横丁オープン。
2014年11月27日/日ノ出町のひもの屋オープン。
2015年1月、Excite International Co.,Ltd.設立。
2015年2月/カンボジアのひもの屋オープン。
2015年6月/KTSE Holdings Pte.,Ltd.設立。
2015年8月/シンガポールのひもの屋オープン。
2016年4月、Excite Vietnamを設立。
2016年5月1日/蒲田西口のひもの屋業務委契約開始。
2016年5月1日/日ノ出町のひもの屋横にテイクユー大澤社長プロデュースの濃厚煮干しラーメン新星オープン予定。
2016年度前半/ホーチミンにオリジナルブランドの焼鳥新道(しんどう)をオープン予定ですでに物件を取得し、内装工事がスタートしている。
となっている。ちなみに、串屋横丁は、中村正利氏が率いる「ドリーマーズ株式会社」のFCである。
創業以来、ここまで、順調に成長してきた。むろん、当初1億円で買い取るプランの「ひもの屋」は、すでに井口氏のものとなっている。海外にも進出済だ。しかし、井口氏のスケールは、これぐらいではおさまらない。飲食ビジネスは、社名が示す通り、エキサイトなビジネスなのである。
「2016年度前半には、ベトナムに出店します。今後の目標は、国内30店舗、海外も30店舗です。国内で展開する目的は、つねに日本の東京で最先端の飲食ビジネスを行っているということを海外の方々に示すためです。だから、国内と海外は、つながっているんです」。
当然、自社ブランドの展開も進めている。「基本は海外です。海外で自社ブランドを展開し、逆輸入する。そういう構想で、進めています」。これもまたスケールのでかい話だ。
ラグビー大好きだった少年の、いま現在の位置は、当時からは想像もつなかい頂のうえということができるかもしれない。日本から海外へ、海外からまた日本へ。「飲食」がつなぐ世界がまた一つ、ここにあった。

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