株式会社B・H・Cダイニング 代表取締役 千葉啓介氏 | |
生年月日 | 1978年1月8日 |
プロフィール | 愛知県知東海市出身。関西大学卒業後、「ワタミフードサービス株式会社」に入社。渡邉美樹社長の薫風を受け、成長する。32歳で独立。「和民」で学んだことをベースに、飲食事業を推し進める。 |
主な業態 | 「トントンびょうし」「ねぎま屋 武蔵」 |
企業HP | http://www.bhcdining.com/ |
3人兄弟の長男。父親は岩手出身で、新日鉄に勤務されていた。一流会社である。のちに千葉氏が「和民」に入社する時に、反対されたのも頷ける。
千葉氏が生まれたのは、1978年。愛知県の知多半島にある知多郡阿久比町で育った。中学、高校と水泳部に所属していたが、熱心に取り組んだという記憶はない。
1年、浪人し、「一橋大学」を受験するが不合格。滑り止めで受験した関西大学に入学する。「当時、ろくでなしブルースって漫画が流行っていて、それでボクシングに興味を持ち、経験もないのにボクシング部に入部します。ぜんぜん強くはなく、部員も10人くらいの弱小クラブでした。最初は、3部リーグ、私たちの最終年になんとか2部に昇格します。私自身も、3年までは勝てなかったんですが、3年になって突然勝ち始めました(笑)」。
51キロ以下のフライ級だった。ちなみにネットで調べてみると、現在は、当時より部員も増え、1部リーグにまで昇格している。千葉氏らの活躍が引き金になったそうだ。
体育会系で、関西大学出身である。就職時には、15社から内定をもらった。
「大学時代のアルバイトは飲食です。最初のアルバイトは、ホテルの厨房。そこで料理にこだわるシェフの姿をみて、憧れを抱きました。飲食だけではなく、様々な業種の企業を受け内定ももらったんですが、『和民』の渡邊社長の話を聞き、また高杉良氏の『青年社長』を読んで、『和民』に入社を決めたんです」。
冒頭に書いた通り、父から反対される。すでに「和民」は上場していたが、すすんで「息子を飲食に」という時代ではまだなかったのだろう。
「しかし、結局は上場企業だってことで、納得させました」。飲食には、就職するにもカベがあった時の話である。
400字詰め原稿用紙、10枚に入社理由を書いた。熱い思いを綴った。10年勤務し、独立するという決意も、そのなかで述べている。
入社8ヵ月目にして、店長になる。「荻窪店です。60坪、120席。スタッフは15名でした」。新卒社員が、わずか8ヵ月で店長になる。稀とは言わないが、千葉氏の実力が評価されたうえでの抜擢だろう。
「オペレーションを強化しました。オーダーから配膳までの時間短縮に取り組んだんです」。今思えば、楽しい時代だった。渡邊社長というキラ星がいて、周りにも尊敬できる先輩・上司がたくさんいたからだ。仕事にも自信があった。「この料理を、この価格で、という『和民』の強みに対する自信ですね」。連日、お客様が来る。予約を増やそうと、周辺のオフィスを回ったこともある。
「『和民』が、私のベースです。人間関係も、『和民』中心です。いまも、当時の先輩たちとはお付き合いがあります」。
「もともと、10年たったら独立すると宣言していたこともあって、32歳で独立しました」。もうひとつ理由がある。「当時、『和民』のオペレーションもずいぶんかわりました。料理も、いままでとは違った。何より数字が優先されました」。
「数字」はすべてを物語るといわれている。しかし、「何を優先すべきか」は経営者の意思でもある。「そういうこともあって、年齢的にも、タイミング的にも、ある意味よかった。でも、妻に『和民を辞める』といったら、大反対されました(笑)」。
32歳。会社のなかでもすでに中堅。給料も、悪くなかった。上司からも引き留めてもらった。それでも、「独立する」という意思を貫いた。
「知人の紹介もあって、湯島に20坪、38席のお店をオープンします。これが、B・H・Cダイニングの始まりです」。
資金は、虎の子の500万円をもとに、900万円を借り入れた。奥様が言う通り、「何を考えているの?」である。すでに子ども2人もいたからだ。
それでも、千葉氏はきっとわくわくしていたはずだ。ついにジブンの店を持つことができるからだけではない。自信のある料理を、自信のある価格で提供し、お客様の笑顔を観ることができる。そんな飲食人冥利の仕事をふたたびすることができると考えたからだ。
もっともオープン後、2年間は「利益もトントンだった」らしい。当初は給料を取ることもできなかったそうだ。2年間は、奥様が「口を聞いてくれなかった」と笑う。
「その当時からいっしょにやってきてくれたのが、今のナンバー2です。当時の苦労を知ってくれているから、ぜんぜん違います」。
社内のチームワークもいい。信頼が置けるナンバー2もいる。
「今後は、福祉事業にも目を向け、外食と福祉の2つから、互いをつなぐような事業を行っていきたいと思っています」。めざすは、両者をつなぐリーディングカンパニー。年商は、ひとまず10億円。5年後の目標だそうだ。
ところで、飲食の道に進む時、反対されたお父様は、いまどう思っておられるのだろう。「苦労」は人を育てる。千葉氏は、苦労を経て、強い人になった。
飲食という業界が、育てたと言ってもいい。
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