ドリームフーズ株式会社 代表取締役社長 山本英柱氏 | |
生年月日 | 1975年10月20日 |
プロフィール | 愛知県一宮市出身。3人兄弟の長男。アメリカ留学後にベンチャー企業を起業しIT教育事業を軌道に乗せたのち、ビジネススクールに進学。医療関連のコンサルティングファームに勤務しながら、MBA(経営学修士号)を取得。2004年に父の経営する「ドリームフーズ」に取締役として入社。父と親子二人三脚で、店舗数を拡大。2011年に現職の社長に就任する。 |
主な業態 | 「ちゃんぽん亭総本家」「ご当地ちゃんぽん研究所」「京もつ鍋 烏丸くろ」「居酒屋 彦一」「蕎麦・地酒 金亀庵」 |
企業HP | http://www.dreamfoods.co.jp/ |
山本氏は、1975年、愛知県一宮市に生まれる。父は、銀行員。住まいは、祖母がかつて経営していた喫茶店の2階スペース。
「ナポリタン用の鉄板やパフェ用のグラスが残っていたもんですから、愛知県の定番メニューの鉄板ナポリタンやチョコレートパフェをつくってもらっていました」。
父は銀行員だったが、幼少の頃はけっして裕福ではなかったそうだ。
「建物はボロボロ、隙間風がピューピュー吹いていました(笑)」。
雪の日には、カベの隙間から雪まで吹き込んできたそうだ。
銀行員というくらいだから、堅実な父親像が思い浮かぶが、山本氏が10歳の時に父(現会長)の山本一は脱サラを決意する。
破天荒な決断か、それとも、ち密な計算のうえの決断か。山本氏は、「とにかく、一念発起して、飲食の世界に飛び込んだ」と表現する。
つまり、「ドリームフーズ」の創業は、山本氏が10歳の時にまで遡ることができる。
さて、山本氏10歳の頃まで遡り、父親、山本一氏が起業する経緯をみてみよう。
山本一氏は、一宮市から遠く離れた彦根市で事業を開始する。
「『彦根駅』の目の前に『麺類をかべ』という小さな食堂があったんです。うどんやそば、丼ものを提供する大衆的なお店でした。父がそのお店に偶然立ち寄ったことが、そもそもの始まりです」と山本氏。
「当時、仕事の都合で滋賀へ出張する機会があったそうです。地元の方から『をかべ』のちゃんぽんが旨いと評判を聞き、グルメな父はどうしてもそれが気になって、わざわざ彦根に立ち寄り、をかべの行列に並んだんです。ちゃんぽんを食べている時に、店内にいた知人を見つけたんです。父が何気なくその方に声をかけてみると、なんと『をかべ』の店主だということが判明。すると、『店舗の後継者を探している』と切り出されたんです。まさかの話の展開に驚きながらも、何か運命的なものを感じて、すぐに『それなら自分が!』と手を挙げたそうです」。
「もともと家業が喫茶店だっていたもんですから、飲食に抵抗はなかったのでしょう。銀行員ならではの計算もあったと思います。父の言葉を借りるなら『とにかく、をかべのちゃんぽんが気に入ったから。その味に人生を賭けてみたい』と決断したそうです」。
「をかべ」の経営を引き継ぎしばらくして、山本一氏は、店にアレンジを加え、「ちゃんぽん」を主力メニューにした新店を彦根の郊外にオープンする。
「麺類食堂」から「ちゃんぽん専門店」への切り替え。息子の山本氏にも、味見をさせている。「いつだったか、連れていかれて、食ってみろって(笑)。当時の私は野菜ギライだったんです。うちのちゃんぽんって野菜が多いでしょ、だから最初は、そっと横に…。でも、父が野菜も食えっていうもんですから、食べてみると、これがぜんぜん旨いんです」。「野菜特有の青臭さを感じなかった」と山本氏。ペロリと完食した息子をみて、父の山本一氏は、さぞ笑みをこぼされたことだろう」。
「この店が大ヒットするんです。更地から新規開発したロードサイド型『ちゃんぽん亭1号店』は、最盛期には1日1000人を超えるくらい繁盛しました。50席ですから、朝から晩まで文字通りフル回転です。人手が足りずに母と姉2人も手伝いに行きました」。
これが、「ちゃんぽん亭」事業始まりの号砲となる。
をかべを引き継いで3年後、1988年のことだ。
山本氏は「近江ちゃんぽん」の展開を3つのフェーズに分けて説明する。
「1963年の創業から1988年までの25年間が第1フェーズの『をかべのちゃんぽん時代』です。そして、1988年にちゃんぽん亭1号店が開業してから2004年まで、滋賀県内でのローカル展開を進めた16年間が第2フェーズの『彦根のちゃんぽん時代』です。そして2004年に県外1号店の出店から2016年現在が第3フェーズ。これが『近江ちゃんぽん時代』です。実は2004年まで『近江ちゃんぽん』という言葉はなかったんです。つまり、2004年から『近江ちゃんぽん』はスタートしているんです」。
「黎明期」「創業期」、そして「成長期」というところだろうか。ところで、どうして『近江ちゃんぽん』というネーミングとなったのだろう。
「1日1000人からわかる通り、彦根市や、滋賀県内では受け入れられた当店のちゃんぽんが、県外に行くとどうも勝手が違いました」。
「2004年に、初めて京都の大型SCに出店するんですが、その時、あるお客さまから『こんなのは、ちゃんぽんじゃない』と否定されてしまうんです。おそらく、とんこつや鶏ガラベースの『長崎ちゃんぽん』をイメージされていたのでしょう。そういうこともあって、『ネーミングやブランディングをちゃんとしないといけないな』となって。では、どうしようかと。『彦根ちゃんぽん』や『滋賀ちゃんぽん』というアイデアもありましたが、近江牛、近江商人など響きの良さから『近江ちゃんぽん』にしようと入社したての私が強く主張しまして、ネーミングが決定しました(笑)。だから『近江ちゃんぽん』の歴史は、そう長くはないんです」。
いまや全国ブランドになりつつある「近江ちゃんぽん」。その起点となったのが2004年。この年、山本氏が入社している。
「いわゆる社会のレールっていうんでしょうか。そういうのに違和感があって私は就活もせずに留学しました」。大学卒業時の話である。「でも、思い付きだったからでしょうね。たった1年で帰国する羽目になりました(笑)」。
父、山本一氏の事業が拡大する一方で、10歳の頃、お店を手伝っていた山本少年もすでに大人になっている。
「帰国後、知り合いと共同で起業し、IT教育事業に携わりました。当時、パソコンやインターネットというのが普及期でしたから、パソコンスクールをやろうと。すぐに3店舗まで拡大しました。経営は順調だったんですが、この時も、どうも違うなと思って、経営を引き継いで東京に向かいました」。
山本氏は、立教大学ビジネススクールへ進学する。そこの学友からの誘いで、医療系コンサルティングファームに就職し、遺伝子研究領域を担当する。当時は「バイオベンチャーブーム」の真っ最中。
「研究に参画している大学教授の中にも次々にベンチャー企業を立ち上げる動きがありました。ただ、起業するといっても彼らは研究者でノウハウはありません。そういう意味では、私は起業経験がありビジネススクールにも通っている。相当に重宝された人材だったと思います」。
「バイオベンチャーと言えば、時代の最先端分野です。そういう分野に関われたことも凄いことですし、就職したコンサルティングファームでの評価も高く、仕事にやりがいを持っていました」。
ところが、実家のほうでは、タイミングを計られていたようだ。
「GWに実家へ帰省した時に、うちも県外に初めて出店する時期だったもんですから、母が、『そろそろじゃない?』って言うんです(笑)。何のことかはすぐに察しましたよ。父は何も言わないんですが、『帰ってきて欲しそうよ』とも言われて。ただ、そう簡単には踏ん切りはつきません。仕事も油が乗ってきたタイミングですから」。
「父は何も言わなかったんですが、当時の幹部社員との会食をセッティングしてくれました。その時ですね。『よしやってみよう』と思ったのは…」。
短い会食の時間に、山本氏の頭は、幹部たちの熱にすっかり満たされてしまったそうだ。
「彼らの熱がバンバン伝わってくるんです。創業者の息子がいつまでも部外者ではいけない。はっきりと思いが決まって、事業の継承を決意したんです」。
心の「熱」は伝播する。今度は、山本氏の「熱」が、幹部を含めスタッフ全員を動かす番がやってきた。これが2004年のこと。
「当時は、直営店6店舗、ライセンス店7店舗、ほかに居酒屋やラーメン店があって、合計15店舗です。むろん、『近江ちゃんぽん』と言っても県外の人には『?』の時代ですね。それで、採ったのが『地域一番化戦略』です。とにかく『滋賀で一番になろう』と。その目的はいうまでもなく、『近江ちゃんぽん』のブランディングです」。
当時の山本氏は、「総務部長」という肩書だった。
「つまり、なんでも屋です。立ち上げのヘルプや店舗開発もそうですし、採用から教育までの人材開発、オペレーション改善や製麺工場運営、商品開発も行いました。銀行にも行くし、補助金申請もするし、就業規則も作る(笑)。ちなみに、いま2番手商品になった『豚そば』は、私がつくったメニューです」。たしかに山本氏が言うとおり、なんでも屋である。
その結果は、2016年までの12年間で、店舗数は5倍以上になっている。むろん、「近江ちゃんぽん」はすでに独り歩きを始めている。2011年には、山本一氏が会長に、山本氏が社長になるという人事も行われた。
「商圏30万人に1店舗。誰もが知っていて、1度くらいは食べたことがあるというブランドになるためには、最低それくらいの店舗が必要じゃないかと思っています。つまり、全国400店体制。これがちゃんぽん亭の当面の出店目標数です。彦根で生まれて滋賀で育った近江ちゃんぽんを、新しい食文化として日本中に浸透させるのが後継者である私の使命です。決して『派手な商品』ではありませんが、誰からも末永く愛していただける商品だと確信しているので、焦らず地道に育てていきたいと思っています」。
この春には「水道橋」や「銀座」にも出店するという。いよいよ東京でも「近江ちゃんぽん」が本格デビューだ。
もはや「長崎ちゃんぽん」だけが、ちゃんぽんではない。「近江ちゃんぽん」が、もう一つの「ちゃんぽん」のスタンダードになる。
その日は、そう遠くない。
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