ライナ株式会社 代表取締役 小川雅弘氏 | |
生年月日 | 1981年5月16日 |
プロフィール | 兵庫県城崎出身。大阪市立大学卒。IT企業に就職するも1年で退社し、飲食業で独立を果たす。同級生や部活の後輩を誘いオープンしたステーキ店は、長蛇の列をつくる人気店に。2号店もオープンし、いざ3号店出店という時に、詐欺師につかまり、全財産を失ってしまう。そこから、大阪を捨て、東京へ。再度、飲食事業で起業するため奔走。知人の力も借りつつ、オープンした店が客を呼び、新たなスタートの号砲を鳴らす。 |
主な業態 | 「Vector Beer」「かいのみ」「BLOCKS」他 |
企業HP | http://www.lifeart-navi.com/ |
兵庫県城崎といえば、言わずと知れた温泉の町である。関西の奥座敷としても知られている。
「海にも山にも30分とかからなかった」と今回ご登場いただいたライナ株式会社社長の小川氏は、子どもの頃を振り返る。
「実家は、祖父が創業した家具屋です。私自身は、ごくふつうの元気な小学生でした。スポーツはJリーグが盛り上がっていたこともあって、サッカーをしていました」。
中学は残念ながらサッカー部がなかったそうで、ソフトテニスに転向。性格は、和気あいあいで、敵をつくらないタイプだったそうである。
「入学時は成績もふるわなかったんですが、卒業する頃には上から数えて10位くらいにはなっていました。中学生の頃から家業の家具屋を手伝っていましたので、いずれ商売をしたいな、と思っていました」。
部活、勉強、家の手伝いも、日課だった。優等生だったに違いない。高校では、硬式テニスに転向。
「シングルは、良くて4位だったんですが、ダブルスでは、地方大会で何度か優勝しています」。運動神経が良かった証。息を合わすのが、うまかった証かもしれない。
「神戸大学に進学したかったんですが、結局、進んだのは大阪市立大学です」。当然、独り暮らし。
「アルバイトは、色々と経験しました。家庭教師に、飲食、テキヤのバイトも経験済です(笑)」。テニスは卒業し、持ち前の運動神経を活かしアイスホッケーを始めた。ところが、試合中にホッケーの刃が、股間にあたってあわや大惨事となる。
「これはヤバイ!と思って、ボクシングに転向しました。1年ほどリングで打ち合って、今度はスキー部を立ち上げます。今思えば、スキー部を立ち上げたことは自信になりました。起業ではありませんが、ゼロから立ち上げたことで、俺にもできるんだという自信につながったわけです」。当時からいずれ起業と考えてはいたが、「飲食事業で」と思っていたわけではない。
「だいたい3年くらいと思っていました」と小川氏が語るのは、就職してから独立までの期間である。そうと決めたからには、時間を無駄にできない。会社選びも、必然的に独立が前提となる。狙いを定めたのは、IT企業だった。
「職種は、SE、PGです。300人未満の条件で検索して、物流のパッケージソフトを開発する会社に就職しました」。
社会人1年生。しかし、周りの新卒たちとは、明らかに違った。ハナから独立するのが目的だったからだ。そんな小川氏の目には、どうやら仕事の向こうにつづく、独立のイメージがわかなかったようだ。
「1年くらい経って、だんだん仕事についてもわかってくるんですが、先輩たちの仕事をみてもIT業界での独立がイメージできなかったんです。それで3年経っていなかったんですが、思い切って、独立しよう、と」。
予定より早い決断というか、社会人になってわずか1年目の独立である。
「古いビルを借りて、1階がテイクアウトカフェ、2階がステーキ店、3階を事務所にして、屋上は夏に一組限定でバーベキューができるようにしました」。
一棟借り、大胆な発想である。ただし、初期投資は800万円。
「凄く古くって、借り手がつかないようなビルだったもんですから、家賃もごくわずかで済みましたし、実家が家具屋なんで、ぜんぶ手作り。業者にお願いしていたら数千万円かかったと思いますが、ぜんぶで、800万円で済ますことができました」。
貯金と家族・友人からの借金、投資家からも200万円を借りスタートしている。
ちなみに、2階のステーキ店には行列ができたそうだ。初期投資を抑えたことで、低価格でステーキを提供できたのが、ポイントだったという。
大胆な一歩を踏み出した小川はさらに攻勢にでる。
「従業員は、お客様だった人や同級生、スキー部の後輩たちです。2階のステーキ店は行列ができるくらい繁盛しましたから、すぐに2店舗目の出店に踏み切りました」。こうなると、イケイケドンドンである。
2店舗目を出店し、短期間で3店舗目まで出店しようと試みた。
「3店舗目には、1号店からすれば思い切った額をかけようと思っていました。自信もあって、勝負に出ようと考えたんです」。
しかし、試みは、試みのまま終わってしまった。どういうことだろう。
「詐欺にあったんです。脇が甘かったと言えばそれまでですが、お金をぜんぶ取られてしまったんです」。
あるイベントで、出会った人だったそうだ。
「信用できる人間だと思った。オーラもあった。凄く、です。監査役になってもらって、しばらくして、私個人のカード類もすべて預けていたんです」。
あとの祭りといえばそうだが、向こうのほうが1枚も2枚も上手だった。見事なペテン師である。
「私とおなじ、経営者仲間もいっしょにやられてしまいました」。ひっかかったほうが悪い、という声もあるだろう。しかし、まだ23歳である。いや、かりにもっと年を重ねていたとしても、ひっかかっていたかもしれない。
悔やんでも、お金が返ってくるわけではない。問題は再生のほうである。
「ひっかかってしまって、資金がなくなってしまったんで、支払いもと滞ったままで、会社をたたまざるを得なくなりました」。
店は、知人に売却し、残った現金、44万円を持って上京した。城崎→大阪→東京。勝負するロケーションは、むろん、東京がいちばんでかい。
事業で失敗したわけではない。それが救いと言えば救いだった。イチからもう一度。
「大阪ではもうこりごりでした。いまも、おんなじ気持ちです。友人を頼って東京に来て。もちろんお金はないわけですから、1口40万円である会社の役員さんたちに共同出資してもらいました」。むろん、出資してもらった見返りも用意した。ランチ代は無料、オーナーという名称も、使い放題である。
「ぜんぶで、10人の方に投資してもらって、計400万円。またまた、ぜんぶ手作りです(笑)」。けっして大きな店ではなかったが、居抜きだったこともあって360万円で東京1号店、言い換えるなら、再生ライナ1号店がオープンした。
「飲食で勝負。それしかなかった」という小川氏だが、東京に出て、いきなり出店である。大胆な一手を打つ人である。その大胆さが裏目に出た時もある。ペテン師にやられたのは、その一例だろう。悔しいが、いい教訓だったと思えばいい。
ただし、そんな人間不信にも陥る境目でも、見事、踏ん張り、再生をめざした小川氏には多くの人が拍手を送りたくなるだろう。
現在、ライナは、店舗数で13店舗になる。今後の目標は国内で30〜50店舗。海外進出も視野に入れているということだ。
この復活劇は、まさに絵になる。
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